第四章 空と月と窓に訪問者1
コンコン
「どうぞ」
許可の声が聞こえて一秒後、病室のドアが開けられた。
「あら、君は……」
「こんにちは、松原先生」
「赤峰(あかみね)君、だっけ」
「はい」
人の良さそうな、それでいて悲しそうで、どこか達観(たっかん)した気のある少年がささやかな花束を手にしていた。
「これ、学食連盟(ものずきども)からの物です。どうにも、代表として俺が行くのが適任だと言われてしまいまして。俺、一年生なんですけどね」
困ったような顔で言う赤峰は、こういうことに慣れていないようでおどおどしながら花束を手渡した。
「ありがとう。これは……アングレカムね」
アングレカム。その花は白く、良い芳香(ほうこう)を放っている。匂いがきつくなり過ぎない程度に詰められた花束を松原志枝は近くの台に置いた。
「ええ。花言葉は、祈りだそうです」
口喧(くちやかま)しい先輩が言っていました。
「そんなこと言っていいのかしら。仮にも先輩なのでしょう?」
二人共に苦笑して、どちらともなく夕暮れに染められた空を見た。
「えっと、見舞いって何をすればいいんですか?」
きょとん、と松原は赤峰の顔を見つめた。
赤峰はそのことで更に困惑してしまい、右へ左へと視線を泳がせた。完全に上がっているようだった。
変化に乏(とぼ)しい表情と、苗字に赤が入ってるくせに赤くならないのとで分からなかったが、どうやら緊張していたらしい。先程窓の外を見ていたのだって間を悪くしないための配慮だったのかもしれない。
「そんなことを言う見舞い人は初めてね。『鋼の胃袋』といえども他のことはからっきしみたいね」
「そういうわけでもないですけど。ほら、ほとんど会ったことも話したこともありませんし」
「そういえばそうね。よく話を聞くからどうにもそんな気がしないのよね」
考える仕草をする松原は他に人がいるのも忘れて感心していた。
置いてきぼりにされた赤峰はどうすることもできずじっとしているしかない。
「あ、ごめんなさい。ちょっと驚いちゃって。皆への報告もあるんでしょう? 私のことはもういいから、遅いし、帰った方が良いわよ」
見舞いに来てくれてありがとうね。
「あ、えと、それじゃ失礼します。復帰は、一週間後なんですよね」
「そうよ。念のために一週間の休みを取ってから来るように、って言われたのよ。その間に色々と事後処理をするんでしょうけど。ま、その辺りは大人の世界ね」
ひらひらと手を振って適当なことを言う。それでも赤峰は込み入った事情でもあるのかと納得した様子だった。
病室のドアを再び開けて外に出る時、赤峰は思い出したように振り返った。
「今日、これから外に出るのなら、事故現場に行った方が良いですよ」
「え? ちょっと」
松原が訊き返す暇もなく少年――赤峰は出て行ってしまった。
「どういうこと?」
ふと気になってもう一度花束を手に取る。すると中から、
「催涙スプレー……って何が何でも出ろってことよね」
一体彼は何を考えているのだろうか。
それは彼女には分からず、そして彼が彼女に何かをさせたいのは分かる。
「行くしかない、ってことか」
一つ、溜め息を吐いた。
「でも、まだ危ないのよね」
デルイは未だ回復し切っていない。この状態で下手に動き回るのは憚(はば)られた。
「デルイ?」
いつの間にかデルイがその姿を現していた。見た限りではその体に負っていた傷が影も形もなくなっていた。
「明日まで掛かると思ってたけど、これなら大丈夫そうね」
すでに行く気になっている自分に辟易(へきえき)しながらも、これも生徒の身に何かあっては困るからと言い聞かせる。
問題はどうやって病院を抜け出すかだが、まさか本当にあれを使うわけにもいかない。持って行く気もない。
「となると、隠れて行くか堂々として行くかの二択ね」
細分化すれば、前者は更に五通りの方法がある。しかし大抵は使えそうにない案ばかりだった。
「やっぱり、正攻法で行くのが一番ね」
運の良い事に本職は学校の保険医だ。上手く白衣を着るか、病人ではないと思われるように振る舞うノウハウは実際にやったり見たりして――こっちは主にサボりの生徒や本当に怪我をしてきた生徒などから――蓄積されている。
できないはずはない。
そう心の内で呟いて松原志枝は立ち上がった。下手に動くと危険だからという理由でずっと横になっていたせいか体の血流が目まぐるしく変わって目眩がした。
「もう大丈夫だし、明日の退院時間までは適度に動こうかしら」
たった一日だけとはいえ着せられている入院服から畳(たた)んであった私服へと着替え、松原はぼやく。
「行きましょうか」
誰にともなく言い置いて、彼女は扉を開いた。
窓から見える空にうっすらと輝く月は、もう淡くも白くもなかった。
★☆★☆★
状況は、一言で言うと劣勢だった。
「はっ、逃げるしか能がねえのかよ! この腰抜け共がっ」
美浜の木刀も、振り回される鉄パイプの前にいつまでも持つはずもなく、十度目に真上から振り下ろされた一撃が透と真一を庇(かば)った美浜ごと吹き飛ばされた。
見るも無残に粉砕された木刀は、元の長さが半分になりもはや使い物にならなくなっていた。
弾(はじ)けるように壊されたせいか、獲物としては殺傷力が増したもののリーチが短くて到底鉄パイプの攻撃を掻(か)い潜(くぐ)って行くことは怖くてできない。
幸いなのは相手が武道に関して素人だったということか。それでも体力バカらしく鉄パイプを延々振り回していられるだけの体力はまだまだあるようだった。
怖い世界というのは自然と体力が付くものなのだろうか。
なんとはなしに考え、自分も今その世界の末端に触れているかと思うと身震(みぶる)いした。
今現在、透たち三人は廃工場の中を隠れながら動き回っていた。
あの男は死神を嗾(けしか)けてこないが、それでも透たちの動きを探るのにくらいは使うはずだ。それに、相手が死神で攻めてこないのはまだ余裕があるからだ。
あと、いきなり余裕がなくなると冷静な判断も下せなくなることも分かった。さっきのも、あの死神をぶつけさせていればさっさと美浜を排除できたにも拘わらず――透は少なくともあの死神が異色で人を傷付けられることは理解していた――それをしなかったことから分かった。
「ごめん。不覚取った」
「あのな、人庇(かば)いながらじゃ無理あんに決まってんだろうが。一々気にしてんじゃねえっつの」
使い物にならなくなった木刀を捨てて逃げ出した三人は物陰に隠れながら奥へ奥へと進みながら話していた。
透が眼鏡を掛けてないことについては、殴られていたこともあってか何も触れられなかった。
「素人でもあんだけ振り回されたらどうしようもねえって。むしろ俺と透が足引っ張っちまってよ」
「それを言ったら真一。そもそもは――」
「ああもうっ、いいわよ。こんなことばっかり言っててもしょうがないわ。はいっ、もう切り換えて。あたしがこう言えば納まりが着くでしょ。さっさと自虐は止めてあの変態どうにかしましょ」
ぶーっ、と頬を膨らませて美浜は言い捨てた。言った本人も含め三人全員で渋々とそれに納得することにし、ごみごみした工場内を歩き続ける。
奥の工場内は思ったよりも物が置かれたままになっており、剥(む)き出しになったまま錆(さび)付いた機械や段ボールに入れられたままの荷物が転がっていた。
「あーこりゃあれだな。よくあるんだよ。会社が倒産したらこういう土地どうにかしなきゃいけないんだけど、金ないからってほったらかしにしてんの」
真一が、こっちが物珍しそうに辺りを観察しているのを見て取って、親切にも小さく耳元で教えてくれた。
小声で言ったのは見つからないためだが、耳元で言ったのは美浜に聞こえなくするための配慮だ。
一端(いっぱし)のくだらないプライドを持つ男として、自分の知らないこと・分からないことを周り――特に異性に――声高に言われるのが嫌である。まあいわゆる弱味を握られたくないというようなものなんだけども。いや美浜がそういうのかどうかは別にして。
「あんたたちどうしてひそひそ話してんのよ」
「うん? いや音響いたら不味いだろ」
「だったらどうしてあたしと話す時はそのままなのかな」
「――ッ、バカっ。お、俺にお前の耳元で、さ、囁(ささや)けと?」
「なっ、誰もそんなこと言ってないじゃない。どうしてって訊いただけで、別に他意はないんだからっ」
「大声出すなよ二人とも。思いっ切り響いたぞ」
『うっ』
気まずい、喉に何かが詰まったような声でハモる。どちらもが同(おんな)じ表情であることもある意味見所である。
こんな余裕ないというのに、どうしてこう緊迫感に欠けるのだろうか。
独りで奴と対峙(たいじ)した時は、どうにもならないくらいダメなことを考えたりもしたというのに。
誰かがいてくれるだけで落ち着ける。これは良いことだ。あんなのを相手にいつまでも辛気臭(しんきくさ)くしてても意味がない。こうして他愛(たわい)も無いことを考えていればいい。何でもできるわけじゃないんだから、対処療法的なやり方しかなくても腐らなければいい。
それが甘過ぎる考えだということは分かっていながら、それでも縋(すが)ってしまったのは単(ひとえ)に場数が足りないからだった。
そうだと分かっていながら、そうすることができるようになるには経験と覚悟が必要だから。とりわけこういった命のやり取りになると経験が物を言う。
突発的な殺人事件や交通事故ぐらいしか身の危険がない日本において、そんな経験を望むのは馬鹿げていたが。
「っ!」
だけれども。
「見つかった! 逃げるぞ」
「え? おいどこにいんだよ」
「さっきあれだけ大声出したんだから見つからない方がおかしいわよ。さっさと行かないと叩くわよ」
「わ、わかったよ。でもな、暴力女」
「なによ」
「透はどこ行った?」
「へ?」
いつの間にか二人は透の姿を見失っていた。
静かに反響する自分たちの靴音しか、そこにはなかった。
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