第三章 愚者の愚者たる所以4
空に赤く輝く太陽が見え、その反対の空には白い月が満ち足りぬとでも言うように小さな自己主張をしていた。
真一と美浜は街の一角にあるちょっとした大きさのゲームセンターから出てきたところだった。
大いに遊び尽くしたという顔をした美浜と、サイフの中身がすっからかんになって何ともやるせない顔になっている真一という組み合わせだ。
「いや、少しは遠慮しろよ」
ぼろくそになったサイフをポケットにしまいながら、真一は溜め息と共に呟いた。
「あんたが派手にいこうって言ったんでしょ。責任は自分にあるわよ」
「諸悪の根源が何を。いやいや、何も言ってませんよ?」
完全に、王女と無理矢理に付き合わされた付き人といった風体である。
「あー、それにしても意外と面白かったわね。格ゲーって言ったっけ、あれ。相手ぼこぼこにしても怒られないなんて気持ち良かったわ、ほんと」
美浜はここの格闘ゲームで、初めは初心者と同じくらいの動きしかできなかったが、僅(わず)か三十分ばかりで十連勝を飾(かざ)るほどに強くなっていた。
それによって辺りで沸き起こる軋轢(あつれき)を処理したのはもちろん真一だ。何も疲れているのはこづかいがなくなったばかりというわけではないのだ。
「にしてもよ、いいのか? あれ以外は一回やったきりだろ」
普段より二割減の言い持ちで真一は訊(たず)ねる。
「いいのよ。他は今度来た時にでも、ね?」
「うわ。また来んのかよ。しかも俺の金で」
「当然っ♪ あんたは私の腰巾着(こしぎんちゃく)なんだから」
「なんか意味違う気がするぞ。もっとこう、別な場面で悪い意味で使うもんじゃなかったか?」
「そうなの? まあ別に良いじゃない。金のなる木に変わりはないんだから」
「……ごめん、俺友達止めて良い?」
「あははっ。本気にしないでよ。びっくりしたじゃない」
「お前が言うとしゃれになんねえんだよ。今日だって軽く一万近く使ったんだぞ」
「え、そんなに? あちゃー、今度からもうちょっと気をつけるね」
「まあいいけどよ。お前も元気になったみたいだし……」
「何か言った?」
「いんや、何も」
両手を肩まで持ち上げて掌を上にし、首を振って言った。いわゆるどうしよーもねえなというポーズである。
「んじゃ、陽も落ちてきたところだしそろそろお開きにするか? 金もなくなったしよ。誰かさんのせいで」
「気にしないみたいなこと言っといてその言い草は何よ。……ま、そうね。今日はもう遅いし帰りましょ。今度お昼でも奢(おご)るからあんたもそんなすねてないでよ」
「はあ? すねてなんかねえよ」
おかしな女、と真一は顔を背(そむ)けた。
「あ、あれ透のとこのネコじゃない? ポロって名前だよね」
真一が顔を元の場所に戻す前に隣の美浜が言った。
「ん? ああ確かにそれっぽいな。真っ白な白猫だしよ。でも違うんじゃね? 透がよくぼやいてただろ、あいつ外に出てかねえって」
真一は美浜の見ている先を見てそう答えた。
「そうだけどさ、全く外に出ないわけでもないでしょ。今日はたまたま外に出たい気分だったのかもしれないし」
まあネコだしな。
ネコだもんね。
そう二人で頷いた。と、
「ねえ、なんかこっち見てる気しない?」
「確かに……ずっとこっち見て動かねえし。なんなんだ?」
白猫は耳をピンと立てて二人を見つめている。雑踏の中、逃げもせず真一と美浜の進行方向で待っている。
その距離およそ二十。二人は迷わず近付いた。
逃げ出す様子も見せずに接近を許す白猫。しっぽが一度ぱたんと揺れる。
「ミニ~」
可愛い声を出して二人を迎える。思わず頬(ほお)が緩んだ瞬間、白猫は二人の間を通り抜けて行った。
「あ」
「あーあ」
美浜が残念そうに、真一はもう見えなくなっているだろうと諦めながら後ろを振り返った。
「えっ」
ついそんな声がどちらともなく漏れてしまった。
白猫はまだ二人の見える位置にいた。そしてまたこちらをじっと見ている。
それから体を翻(ひるがえ)し、一度振り返ってしっぽをくねらせた。
「ついてこいってことかな」
「いやそんなおかしなことあるか? ネコが人を誘うって」
「ん~、でも昔から猫又とか化け猫とかの伝承があるし、あながちないことはないんじゃないかな」
「んなもんかね」
真一はメルヘンだかオカルトだかに夢を抱いている美浜に呆れ顔だ。
「そういうわけで、行きましょ。こういうのには付いて行くのが常識ってもんよ」
「へいへい、お嬢様」
仕方ないというのが滲(にじ)み出るどころか垂れ流しているような様子の真一であった。
「どこまで行くのかな」
「さあな。でもここらに来たのなんて数えるほどだぜ」
二人は白猫に導かれ、普段は来ることのない場所へと来ていた。
「あ、あそこ曲がると確か……」
「ああ。今朝事故のあったところに出るな」
そして二人の予想通り、白猫はその道を曲がって行った。
こうなるともう、何かあると考えるのは自然なことだった。
「嫌な予感がしてきたな」
「そうね。じゃあこれでも出しとく?」
「わっ、バカ。木刀なんて出すんじゃねえよ」
やおらしまっていた木刀を取り出すと、美浜はにやりと笑みを作った。
「別にまだやばい事になるなんて決まったわけじゃねえし、そのやばい事だってどんなのか分かりゃしねえんだから」
「気構えってのは大事なの。それに落ち着くし」
「この暴力女め」
「言ってなさい」
軽口を言い合いながら二人は白猫の後を追い続け、そのうちに完璧に見知らぬ土地へと出ていた。
「どこよここ。いつの間にかネコもいなくなってるし」
「工場跡だよ。ま、簡単に言えば潰れたりした工場がそのまま残ってる廃工場群ってとこか」
真一が妙に物知り顔で美浜に教えると、美浜はそんなものかと適当に頷いた。その拍子に近くに置かれていたバイクが目に映る。
「あそこ、バイクあるけど」
「は? ほんとだ。ここらにゃ何にもねえはずだけどな」
真一は人の手が入らなくなって久しい廃工場群を見回した。
美浜がその怪しいバイクに近付き、まじまじと見つめて調べている。
真一がもう一度目をやった時にはすでにべたべたとバイクのあちこちを触ったりしていた。
「だっ、何勝手にしてんだよ」
「別に。すっごく怪しいから念の為に調べてるんじゃん」
「それで? 何か分かったのかよ」
「ええ、分かったわよ」
「マジかよ」
真一は苦笑いをして美浜に嘘だよな、とシグナルを送る。
「見たところ、これに乗ってるのは派手好きね」
「いやそりゃな。うん」
バイクには明らかに改造が施(ほどこ)してあり、見た目もチューンナップされていた。具体的に言うと、基本は鈍く光る赤。はっきり言って趣味が良いとは言えない。なにせ目に毒だと言いたくなるようなほど酷い色合いなのだから。
「他にはねー……」
美浜がもったいぶって焦らすようにこちらを見てにやにやしていた。
「他には?」
しゃーねーなーと心の内で独りごち、それなりに――どう見ても嫌々に――興味と期待の入り混じった顔で訊いた。
「ずばりっ」
ビッ、と美浜が得意気に指を立てた瞬間。
「何か音しなかったか?」
全てを台無しにする一言を真一はぶつけた。
それはさきほど、バイクを調べ初めて少ししてから気付いた物だった。ぎりぎり耳に入る程度の音で、それまでは特に気にするようなものではなかった。真一は話の区切りとちょっとした意地悪を兼ねて今更のように言ったのだ。このタイミングで。
「ねえ、真一……」
「おい、早く行こうぜ。ちっとやばい声がしたぜ」
考えたとおり、美浜はぴくぴくと額に青筋を立てていたが、今はそれに付き合ってやる暇はない。今度は本当に聞こえたのだ。どこか切れてしまったような声を。
「真一?」
美浜も真一の様子に周囲の気配を探った。
「……………………っ!」
美浜はここから程近い、ある一つの工場へと目を向けた。
「あっちよ!」
言うと同時、走り出す美浜。
真一もそれに付いて行ったが、如何(いかん)せん、日々の努力の違いによってあっという間に引き離されていった。美浜も普段なら気に掛けるのだが、そんなことに気を遣えないほどに切迫した状況だ。
何があるか分かったものではない。ここは全力で行くのが望ましい。
真一もできる限りの速さで後を追い、美浜が向かう先に見当を付けた。
それは一つの廃工場だった。
金と茶の二色に髪を染めた危なそうな男と、明らかに男に殴られたりした形跡を持つ透の姿が目に入るのに、そう時間は掛からなかった。
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