第一章   見えるもの1

 早歩きで通学路を通る。時間的にはまだ大丈夫だったが、愛夏が先に行ってしまったので気分的に早く学校に着きたくなっていた。

 そうして歩く途中、一つの路地裏に繋がる道に気付いた時、

「――っと」

 慌てて後ろに飛び退いた。そして今までいた場所、ではなくそのまま進んでいればいたであろう場所に、凄まじいスピードで何かが振り下ろされるのが見えた。

「ああーっ! また躱(かわ)したっ」

 叫び声にも似た大声が響く。

「躱さないと下手したら死ぬだろうが」

 ごく当然のことを襲撃者に言う。

 襲ってきたのはクラスメイトの一人、金藤(こんどう)美浜(みはま)だ。剣道部に入っている彼女は幼い頃からやっていただけあってかなり強い。実際、二メートル近い大男を一発で倒したこともある。

 そんな相手が木刀を――決して竹刀(しない)などという生易しいものじゃない――振り翳(かざ)して来られたら逃げる以外に道はない。

「お、おはよう」

 睨(にら)み合う二人を他所(よそ)に、おずおずと声を掛けるのは草永海(くさなみ)明里(あかり)。美浜と同じくクラスメイトで、美浜の親友でもある。

 上がり症の彼女はやはりいつも通りに落ち着きなくもじもじと体を忙(せわ)しなく動かしている。美浜より少しだけ短く癖(くせ)のない彼女の髪は、顔を隠すほどに長くはない。そのため赤くなった顔がよく分かる。

「おはよう、草永海さん」

 ぷい、と目の前の相手から目を離し明里の方へと顔を向ける。

「ふー。おはよう、山崎(やまざき)」

 美浜も一触即発の雰囲気を一瞬で消し去り、ぷらぷらと片手を振って言った。

「なあ、いっつも思うんだが、何で木刀なんだ。せめて竹刀にしろよ」

「なーにを。一度も喰らったことないくせに」

 はっはーん、といった感じに木刀で肩を叩く。どっちが強いか決めようじゃないか、と誘っているようにしか見えなかった。

「まあ、分かるからな」

「ほんと、武術をしてるわけじゃないのに何で人の気配が分かるのさ」

「あはは……」

 乾いた笑いが出る。実際は気配が分かるのではなく〝見える〟のだが、そんな些細なことは脇(わき)に置いておいた方が良い。

「それじゃあ、行くか。ほら、草永海さんも」

「あ、はいっ」

 一歩身を引いたところにいる彼女を引き寄せ三人で歩き始める。そうしてすぐに美浜が口を開いた。

「さっき愛夏を見たよ」

「ああ、先に行ったからな」

 どうやら待ち伏せしていた時に彼女たちの前を横切ったようだ。

「ところで草永海さん、後で宿題を見せてくれないかな?」

「うん、いいよ」

「ちょ、明里。いっつもサボってるんだからいい加減止めなよ。エセ優等生の思う壺(つぼ)よ」

 今時エセなんて言葉を使うのはいったいどれくらいいるんだろうか。

 と思っていると背中を思い切り叩かれた。美浜の奴ではないし草永海はこんなことをしない。となると答えは一つしかなくなるわけだが――

「よう、透(とおる)。プチハーレムなんざ作りやがって。俺も混ぜやがれっ」

 ニヤニヤと楽しそうな顔で現れたのは、久那(くな)真一(しんいち)。もちろんこいつもクラスメイトではあるが、影ではホモだともゲイだとも噂されているほどに浮いた話のない軽薄な男だ。本人の言い分では婚約者がいるからだそうだが……。とても信憑性(しんぴょうせい)の高い話とは言い難い。

「よ、美浜。朝から襲撃とは精が出るね。明里ちゃんはそんなこいつのお付き合い? 偉いねー。がさつ(、 、 、)女と一緒に居続けるなんて」

「ねーえ、真一。あたしは今、とーっても機嫌が悪いんだけど、何でか分かる? そうよ。今日も山崎の奴をぶちのめせなかったのよ」

 うふふ、と口元に手を当てるお嬢様笑いをする。真一を含め、全員が警戒を強める。彼女が次に何をどういうのかが分かっているからだ。

「シニナサイ」

「ゴメンコウムリマス、っと」

 わざわざ同じ口調で返事をし、更に頭を下げる真似までしてからさっさと逃げて行く。それを嬉々として追いかける美浜。たまにある日常の風景だった。

「行こうか」

 もう何度目になるか分からない同じ文句を口にし、草永海に笑い掛けた。



 ★☆★☆★



 隣の席の草永海から宿題を見せてもらい、なんとか間に合ったそれを提出した後の昼休み。

「ふーむ、食堂にするか学食にするか……。悩みどころだな」

 腕を組んで真剣に悩む真一を横目に、透は草永海と愛夏に訊く。

「今日はどうする?」

 草永海は困り果て、愛夏は悩んだ。

「あたしには訊かないのね」

 まあいつものことだけど、とどこか諦め顔で言う。

「おーい透、ちょっとこっち来い」

 真一の呼ぶ声が聞こえ、真一の方へと向き直る。

「どうした、真一」

「いやなー、透。一緒に食堂行かね?」

「それは構わないけど……三人は来るか?」

 振り向いて一応の確認を取る。

「ん、あたしは別に良いわよ。明里も行くわよね」

 美浜は即答。草永海はどうしようかとあたふたしていたが美浜に押し切られる形で同意。残る愛夏に関しても別に構わないとの返事が来た。

「よし。これでお前のプチハーレムも終わりを迎えることになるぜ」

「朝から思ってたけど、なんだよプチハーレムって」

「ああ、いやな? お前ってこの女子三人組とよくいるじゃねえか。しかも毎回のように食事ご一緒しやがってよ。香則のことがあるにせよ仲良くし過ぎだからさ。男子の間でそういう風に言うようになってんだ」

 あっはっはっは、とさも愉快そうに笑う。いや、実際に愉快なのだろう。こいつの笑いのツボはとても浅い。ただのニュース番組にさえ吹き出すほどなのだから。

 しかし、透は言いたい。お前もなんだかんだでいつも一緒だろうと。

 真一の要(い)らぬ気遣いとでもいうようなものに適当な対応をして、透は意味ありげな視線を向ける。

「と、そろそろ行かねえとな」

 真一がこちらの視線に気付いたのか、思い出したように言い出す。学食も食堂もあまり混むことはないが席が足りなくなることはある。なにしろ二十人分しか座るところがないのだから。

 食堂へ行く途中、学食の様子が見えた。学食と食堂。この学校には購買部という物の他にそんな呼び方をされる食事所が二つある。

 他の学校では学食も食堂も同じ意味を持つが、ここでは違う。

 学食は、早い・安い・量がそれなりの味は未保障。半ば実験所と化しているがときたま名品ができることもある。

 かたや食堂は、オーソドックスなメニューと値段は普通なのに大量というのが売りだ。

 つまりはチャレンジャーか面白半分に行くのが学食。仲間内で楽しく食べるのが食堂、といった感じだ。

「おーおー、派手だねー」

 確かに、真一が言うとおり学食は混迷を極めていた。それも常人には理解し難(がた)い過程を経てそうなったらしい。

 『元祖! 火を吐くほど辛い何か(、 、)』とか書かれてる旗(はた)が刺さった本当に『何か』としか言いようのない物体を食って身悶(みもだ)えしてるのが見えたりしていた。

 中には食べ物を口に運ぶ度に席を立ってぐるりぐるりと踊っているようなのもいた。

「うっわ、まだあれあったんだ『回転三踊り』なんて」

 なんだよそれ。

 思わず全員が美浜に注目してしまう。それに気付いた美浜は、ばつが悪そうに顔を顰める。

 もっとも、怪しげなネーミングの物だけが実験料理なのでそれ以外は何の心配もない。たぶん。大丈夫。しかもそれらはスペシャルメニューの裏料理として掲載されている。よほどのことがない限り普通の奴がそんな物を食べる機会はない。今見ただけでざっと五人は食べているように見えたけれども。

「大変だーっ。味噌汁で当たりが出たっ!」

 誰かが騒ぎ立てる声がする。そちらの方へ目をやると、椅子に座っていたはずの生徒が一人、転げ落ちていた。

「早く! 松原さんの所へ!」

 松原さんというのは学食の責任者だ。学食の物を食べてどうにかなった時に見てくれる医者でもある。一部には医者のクセに冒険なんてさせるなよ、という意見もあるそうだが黙殺されている。

 校長と旧知の中だとか実はとてつもない権力の持ち主だとかいう話だ。

「……触らぬ神に祟(たた)りなし。これ以上ここにいるわけにはいかないな」

 真一が真面目な顔をして言い、皆それに従った。

 たぶん、最初からここに来ることにしてもおじゃんになることは決まっていただろう。

 そんなこんなで悲惨な学食を通り越し、目的の食堂へと辿(たど)り着く。

「ったくなんで学食の方が近えんだか」

 毒吐(どくづ)く真一に誰も合いの手を差し伸べることなどせずに食券を買いに台数だけは十分以上にある自販機へと歩いていた。

「ああもうっ、無視かよ」

「お決まりの言葉には聞き飽きたんだよ、皆」

 逸早(いちはや)く買い終わった美浜が振り向き様に答える。買ったのは『面白メニュー百選 ランダムセレクション』。堅実を売りとしているこの食堂で唯一の遊びネタだ。それでも出てくる内容は至って普通の物なのだが。

「透は何買ったんだよ」

「『みそラーメン』」

 ぴらぴらと音を立てて少し硬い食券を振った。

「香則(かのり)ちゃんと明里ちゃんは何買ったのかな」

 なぜか下心満点といった表情で二人に訊く。愛夏のことを苗字で言っているのはこいつなりの気遣いなのだろう。

「わたしは、『ハンバーグ定食B』」

「あ、はい。『日替わり定食A』です」

 とにかくこの学校の食品事情は壮絶の一言に尽きる。

 購買部からして教室二つ分近いスペースを陣取り、食堂では食事する所は狭いが調理をする場所は異常に広い。学食に至っては筆舌にし難いとしか言いようがない。

「それじゃ、俺はこれにさせてもらおう」

 そう言って出てきた券を見るとそこには『カツ丼』、と無意味にでかでかと書いてあった。

「おい」

 透と美浜のツッコミが被る。

「ははは、そろそろ注文したのができるころじゃねえの?」

 ここの自販機は調理場と連動していて、ここで食券を買うとあっちに何が注文されたのか分かる仕組みになっている。だから料理ができてから食券と引き渡すだけで済む。時間と手間を省(はぶ)く良いアイディアだ。

 私立なのに利益を考えてないでそこまでやるなとか言うなかれ。ここは金持ちの物好きが職員として集まる学校なのだから。

 そして噂では卒業生に兆を超える資産の持ち主がいてその人が道楽半分で母校に金を注ぎ込んでるとか。

 つまりは、奇特な物事が陳列されてしまった不運な高校というわけで、とりあえず幽霊を子飼いにしていると言われても笑えない小世界なのだ。

 なんでもあの超国家プロジェクト『新学園計画』に対抗して作られたらしい。

 全国に現在五つ作られたその国立の学園は、その巨大な敷地(しきち)と潤沢(じゅんたく)な資金を利用した一個の街として存在しているという話だ。その全容はまだ明らかになっていない。限られた、応募の中から選ばれた生徒しか入ることを許されない謎の学校。

 この学校の近く、と言っても大分離れていて交流も全くないが、その国家規模で作られた学園がある。興味はそれほどない。むしろこの辺りではこちらの学校の方が興味を持たれている。そんなわけでさほど意識していなかった。それに関係もない。

 席を確保してから出てきた品を取りに行く。どれも見た目からしてレベルの高い出来栄えだ。

「そういやさぁ、朝のニュース、見たか? 最近やけに事故が多くねえか。今年に入ってからこの街の中だけで二十件近くも大きな事故が起こってるしさ」

 真一が席に座ってから、おまえらどう思うよと訊いてきた。

「え? そんなに起こってるんだ。えっと、ほら、一番大きな事件が報道されなくなった後から増えてきたなとは思ってたけど」

 美浜が途中、言葉を濁(にご)しながら言った。わざわざ濁したのは、一番大きな事件と言うのが愛夏に関わることだからだろう。

「地方紙ぐらい見ろよ。自分たちの街だろうが」

 ここにいる五人は全員同じ街に住んでいる。ただ、透・愛夏・真一のグループと美浜・明里のグループが出会ったのは高校に入ってからだ。

「つっても俺だって正確に数えたわけじゃねえからそんなに起こってんのかは分からねえ。でもそれぐらい言えるほどに死亡事故が起こってるぜ」

 とにかく気を付けろよ。いつどこで巻き込まれるか分かったもんじゃねえからな。

 そう締め括(くく)ってからカツ丼を口に掻き込んだ。どうやら人の身を心配して言ったことらしい。

「物騒とは言わないけど、ここ数日は毎日のように起きてるから覚えとくわ」

 意外にも美浜が頷(うなづ)いた。真一の言っていることがそれだけ本当だということだろう。普段は真一と茶化したりからかい合ったりしてるのに、素直に返事を返したのだから。

 そこからはいつも通り、わいわいがやがやと賑(にぎ)やかに食事を進めた。

 真一がふざけ、透と愛夏がフォローするも美浜が怒り出し、草永海がそんな美浜を押さえようと彼女に関するちょっとした爆弾発言をする。

 滞(とどこお)りなく回る歯車のように、何の問題もなく続く永遠とも思えるこの時は、放課後に狂い始めた。

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