後編

善は急げといいますから、その日のうちに、少年呪師は里長の家に向かいました。


「あれが里長の家だな」


 白木造りのひときわ立派な家が見えます。


「ありゃあ、しっかり呪師を呼んでんじゃん」


 ぽりぽりと後頭部を引っ掻きながら少年がつぶやきます。


 少年には、普通のひとには見えないものが見えるのです。


 かなり力の強い呪師のようです。


 これまでに少年が見たことのない、凄まじいまでの恨みが里長の家を取り巻いています。しかし、それは里長が雇っているのだろう呪師によって、かろうじて遮られていたのです。


「さて、どーすっかな」


 今里長の家に行っても、雇われている呪師の邪魔をしてしまいます。かといって、その呪師ももうそろそろ限界のようです。時折呪師の張った結界が揺らぎ、その隙を逃さず、少しずつ『ドゥルアジズ』の瘴気が結界の中に入り込んでゆくのです。


 雇われてる呪師の商売の邪魔をするつもりはありませんが、このまま見て見ぬふりをしていれば、呪師の命も里長の命も風前の灯に思えてなりませんでした。


「あの結界を破らずにはいらにゃならんな」


 独り語ちた呪師の少年は、自分を小さな結界で包みました。


 そうして、無造作に見える足取りで里長の家に向かったのです。


 しかし、少年の決断は少しばかり遅過ぎました。


 彼が里長の家の戸をくぐるかくぐらないかの微妙なタイミングで、呪師の張った結界が破られたのです。


 家の奥からは悲鳴が聞こえてきます。


 家の奥の広い板の間、入り口の真正面に壇が築かれ、結界を張るのに必要な護摩が焚かれています。


 駆けつけた少年は、護摩壇に向かってこときれている呪師の骸と腰を抜かしている里長らしい壮年の男を見出しました。


 里長らしい男は、靄のようなものに囲まれています。


 靄は里長の口から入り込もうとしていますが、里長も必死に抗っているように見えます。


 遠巻きにしている下男下女達は一様に青褪め、逃げ出したほうがいいのだとわかっていながらその場から動けない――そんな雰囲気でひとところに固まっています。しかし、


「あんたたちは逃げろ」


 少年のことばに、彼らはギクシャクと逃げ出しました。


 この部屋に残されたのは、里長と彼を取り巻く靄のような瘴気、それに少年だけです。


「…………」


 少年は両手を組み合わせ、何事かを唱えはじめました。


 朗々とした、けれども何を言っているのかわからない、そんな声が、部屋中に響きます。


 と、不思議なことに、里長を取り巻いていた瘴気がわずかに身じろいだようです。


 ふるえながら、里長が尻でいざって逃げようとします。けれど、


「あんたは逃げんな」


 少年の凛とした制止に、里長は動けなくなってしまいました。だらだらと脂汗を流しながら、少年とさっきまで彼の中に入り込もうとしていた瘴気とを見比べています。


 脂汗を流しながら里長が固まっている間にも、少年は里長に襲い掛かろうとしている瘴気を圧しとどめています。


「あんたが、『ドゥルアジズ』か」


 言わずもがなの問でしたが、隙が欲しかったのです。瘴気を縛めることができる、隙が。


 けれど、瘴気に隙は現われません。それどころか、少年に対して攻撃をはじめました。


 必死になって少年は瘴気の攻撃を無力化します。凝り固まった怨念は、少年がひとりで押さえ込むには激しすぎるものだったのです。


「そいつをやっつけてくれれば、褒美を出す!」


 突然かけられた里長の言葉からは、恐怖に擦れていながらも『ドゥルアジズ』に対する憎しみが感じられました。


「オレは、鎮めてくれと頼まれただけだ」


 里長の言葉に、里人たちに頼まれたときに感じた同情が思い出されたのです。


 もとより少年には、『ドゥルアジズ』を退治するつもりはありませんでした。ただ、『ドゥルアジズ』に平安を平穏を与えてあげたくて………。ただそれだけのことだったのです。


 そんな少年の心が通じたのか、少年に向かって繰り出されていた『ドゥルアジズ』の攻撃が途絶えました。


(へ?)


 思いもよらないことに、少年の鳶色の瞳が大きく見開かれます。


 そんなに唐突に恨みの塊でもある『ドゥルアジズ』の攻撃が止むだなどと、どうして思えたでしょう。


 一瞬の空白。


 かつては可愛らしい少年であった瘴気と呪師の少年との間に、なんとも表現のしがたい空気が流れました。


 それを破ったのは、忘れ去られた里長でした。


 やはり忘れられている呪師の骸から小刀を抜き放ち、瘴気に向かい投げたのです。


 それは、意味のない攻撃でした。


 小刀は瘴気をつきぬけ、白木の壁に突き刺さっただけです。


 ただ、里長の行動は、『ドゥルアジズ』の逆鱗に触れる結果になりました。


「うわっ」


 突然空中に浮き上がった里長は、荒々しく振り回されました。そのままの勢いで壁に投げつけられれば、里長の首は折れてしまうでしょう。


 そう思えるような激しさです。


「よせっ」


 少年は叫んでいました。


「もうこれ以上、ひとを殺さないでくれ。こいつを殺したって、あんたの心は穏やかにはならない。今度はあんたがしたことで、あんた自身が苦しむようになる。怨みはいつまでも連鎖してしまう。それじゃあ、誰も救われない。オレは、あんたを救いたいんだ」


「ぎゃっ」


 里長が大きな音をたてて、尻餅をつきました。


「里のひとたちは、あんたを怖がってるけど、怨んじゃいない。オレへの依頼は、あんたを鎮めてくれ―――だった。だから、引き受けたんだ」


 もう一度、少年の真摯な言葉に、瘴気は沈黙しました。


「もう誰も殺さないって約束してくれるんなら、あんたを神として祭る。だから、もうこれ以上ひとを殺すのはやめてくれ」


 靄のようだった瘴気が、少年の言葉にゆらめき、ひとの姿をとりました。


 それは、すらりと丈高い、きれいな青年の姿でした。


『母の陵を造るなら。それに、ミコをつとめるのは、誰です』


 それは、少年の頭に直接響きました。


「里のひとに頼むから。だからあんたはこの里を守る神さまになってくれ。頼む」


 頭を下げる少年に、


『君がミコになるというなら、考えてみてもいいのですけどね』


「はい?」


 それは、思いもよらないことでした。だって、本来、少年とこの村とは通りすがりの関係に過ぎないのですから。


『母の陵を造り君がミコになって僕を祭ってくれるというなら、僕はこの男を殺さずに、この里の守り神になってもいい――と、言っているのですよ』


「たのむ」


 里長の声と同時にグワシッと足を抱きかかえられて、少年はその言葉が自分だけに聞こえているものじゃないということを知りました。


 足を抱えている里長を何とか引き剥がして、


「そ、それは……」


 少年の背中を脂汗が流れます。


 それは、思いもよらない展開でしたから。


「ほ、ほら、オレってばミコってタイプじゃないから」


 くるりと踵を返した少年がその場に倒れます。


 見れば、必死の形相の里長が、懲りずに少年の足を抱え込んでいたのです。


「あんたなぁ………」


 もう一度、今度は手荒に引き剥がし、部屋から庭に出てそのままこの里をとんずらしようとした少年が庭に面しているだろう戸をひきあけました。


「げっ」


 思わずのけぞったのは、庭にいつからかひれ伏していた里のひとたちが顔を上げ、


「陵は、私たちが必ず造ります。だから、呪師さま、どうかミコになってこの土地に留まってください。お願いします」


と、みごとに声を揃えたからでした。


 元々がお人好しな性格の少年に、この方法は効果覿面でした。




 この時から、『ドゥルアジズ』と恐れられた荒れ狂う怨みの塊は、里を守る神さまになりました。そうして、旅の呪師だった少年は、男神さまのミコさまとなったのです。




里長自らが進んで改装した神殿に少年は住み、ガハールと名乗るようになったかつての『ドゥルアジズ』に仕える生活をはじめたのです。




『そういえば、君の名前を聞いていませんでしたね』


 怨念の塊から守り神さまに昇格したはじめての夜、ガハールはそう言って少年の瞳を覗き込みました。


 珍しい金色の瞳に呪縛されて、少年の意識が遠退きます。


 呪師には、名前を他人に知られてはいけないという掟があります。それは、魂を誰にも縛られないための、決まりごとでした。


 誰かのものになってしまっては、呪師の力を悪用しようというやからに利用されるかもしれません。その決まりは、呪師のからだと魂とを同時に守るためのものだったのです。


『君はもう呪師ではありません。僕の、ガハールと言うこの地の守り神のミコなのですから』


『………バイアトだよ』


 その瞬間から、少年のすべては、ガハールのものになったのです。




 ガハールは、以来、バイアトとの約束を守って、この地を守りつづけているのです。


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御陵さま 七生 雨巳 @uosato

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