第55話 餌付け
目が覚めると夜になっているのか病室の中は薄暗い。
喉の渇きを覚えて頭を起こそうとすると背中にすっと手が差し伸べられた。
「ありがとう」
ナトフィと言葉を続けようとして瞳を動かし仰天する。
「……ございます、ギサール様」
「そんな気にしないでいいよ。どうしたの?」
「あ、いえ。なんでもないです」
「コーイチ。すぐに嘘をつくようになったね。僕は悲しいよ」
薄暗がりの中でも輝く美しい面輪が悲しそうに歪んだ。
「起き抜けの言葉の変な間もナトフィじゃなかったから不満だったんだろう?」
「ち、違います。単にいらっしゃると思わなくて驚いただけです」
「ふーん。まあ、いいや。それで起き上がって僕じゃなくてナトフィに何を頼もうとしたのかな?」
「だから、ギサール様だったことに不満はないですよ。それで、喉が渇いたなと感じていただけです」
ギサール様は唇を尖らせる。
「じゃあ、素直に飲み物が欲しいと言えばいいじゃないか」
そう言いながらも水差しからコップに水を注いで取ってきてくれた。
受け取ろうと右手を出すと首を振られる。
「怪我人は大人しくしてる」
びしゃりと言うと片手を後頭部に添えて、コップを俺の口元に寄せた。
唇に水が触れ口を開けると水が流れ込んでくる。
何度かコップを傾けて1杯分を俺に飲ませるとギサール様は満足そうな顔になった。
「まだ飲む? それとも何か食べたい? あ、少し明るくしようか」
ギサール様はとことこと部屋の隅からランプを持ってくるとつまみをいじって火を大きくする。
ランプをサイドテーブルに置くとギサール様は期待するような目で俺を見た。
何か介助をさせろということらしい。
そうはいってもなあと遠慮していると、目を細める。
「ナトフィには果物の皮を剥いてもらうだけじゃなく食べさせてもらったのに、僕だと嫌なんだ」
声が拗ねていた。
というか、そんなことまで把握してるの?
「あー、えーと」
時間稼ぎをしつつ一生懸命に考える。
さすがにギサール様に果物の皮を剥いて頂くというのはマズい。
絶対にそのタイミングでソフィア様が入ってくるんだ。
もう俺は知っている。
この世界の神は悪戯好きで性格が歪んでいるに違いない。
もう1杯お水をもらってもいいのだけど、それじゃ芸がないしな。
これがベストかな?
「魔力を回復しておいた方がいいですよね? 海藻を食べておこうと思うのですが」
「うん、それはいいね。あの壺だったかな」
ギサール様は立ちあがると壺を取ってくる。
蓋を開けて中を改めると小さな欠片を取り出して匂いを嗅いだ。
止める間もなくギサール様はポイッと口の中に入れてモグモグする。
「たぶん、痛んではいないかな。さ、コーイチ」
次の欠片を摘まみあげると、実に艶めいた笑みを浮かべた。
ランプの光を浴びて煌めく瞳が、ナトフィにさせたことを僕にさせないなんてことはもちろんないよね、と圧をかけている。
「ほら、早く」
じれったそうに言われれば俺も口を開かざるをえない。
モグモグ、ゴックン。
俺が呑み込みおわると次の海藻を差しだしてくる。
ギサール様の虹彩にハートマークが浮かびそうなほどうっとりとしていた。
えーと、これはあれだ。ちょっと変わった動物に餌付けをして楽しいという表情だろう。
うん、そうに違いない。
次の海藻を咀嚼しているとギサール様は自分でもまた一片を口にする。
「ギサール様。どうしてそんなに食べるんです?」
「あ、うん。明日以降に備えて美味しいわけでもないものを一生懸命食べている姿を見ていると、コーイチだけに辛い思いはさせられないと思って」
「ギサール様が無理をしなくてもいいですよ。前にも言いましたけど、俺は慣れてるんです。まあ、もうちょっと薄くてパラパラした感じのやつを干したものの方が口に合いますけどね」
「そっか。今度はコーイチが言うようなのを探させるよ。いずれにしてもコーイチは頑張っているのは間違いないね」
ギサール様はまた1つ海藻を俺の口に運んだ。
そして悪い笑みを浮かべる。
「だから、僕の言いつけを守らなかったことは不問にしてあげるよ。勝手にラシスとナトフィの2人を愛人にするなんて酷くない?」
「え? 何のことです?」
「この期に及んでしらばっくれるつもりかい?」
ギサール様は怖い顔をした。
ああ、やっぱり姉弟なのだなあ。
ソフィア様が険しい顔をしているときにそっくりかもしれない。
でも、ギサール様にこんな顔をされるのは始めてだ。
まあ、それでもソフィア様にしょっちゅう睨まれていたお陰というわけではないけれど、綺麗なお顔に叱られる練習が出来ていて良かったかもしれない。
そういう経験がなかったら激しく狼狽するところだ。
でも、それでもちょっとは堪えるな。
とはいえ、一旦約束した以上はギサール様にからくりを白状するわけにはいかない。
この嘘にかかっているのはラシスとナトフィの尊厳だ。
女性に甘いのかもしれないけど、この2人とは気心も通じ始めているし、根はいい子たちなんだと思う。
「何のことを仰っているのかさっぱり分かりません」
心に痛みを覚えながら俺はギサール様に嘘を重ねた。
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