第13話 災難

「は? お父様にいいつけられていたのに、ギサールに買い食いをさせたんですって? 馬鹿なの、死ぬの?」

 罵られている俺は絶賛土下座をしている。

 この世界のお作法に土下座があるかは知らないが意図は通じるだろう。通じて欲しい。


 いきり立つ姉のソフィア様を宥めようとギサール様は必死だった。

「お姉ちゃん。たった1回だけだから。それに僕がお願いしたようなものだから、コーイチは悪くないんだよ」

「ギサール。従者はそういう時に身を張ってでもあなたを止めるものです。役目を果たせないならクビよ。クビ」


 ああ。俺の計算にも穴があったとはな。

 ソフィア様が合流するという話を聞いていたのにすっかり忘れていた。

 というか、こんなに早く到着するとは思わなかったという見込みの甘さが命取りとなっている。


 ソフィア様は16歳になられたので、貴族の子女の慣習に従い、グランドツアーに出ていた。

 見分を深めるためのいわば個人的な修学旅行のようなものである。

 従者兼護衛を連れて旅をしてきて、タイミングを合わせ、ここアイラ島に寄ったとうわけだった。


 タイミング悪く、それが買い食いの翌日だったことと狭い島社会のため上陸したソフィア様の耳に入ってしまったということのようだ。

 それで別荘に到着するなり、荷ほどきも済まぬうちから俺を呼びつけて糾弾の場となったわけである。


「私の不徳の致すところ。深くお詫び申し上げます。なにとぞご容赦を」

 こうなったら、ひたすらごめんなさい作戦しかない。

 俺に命じたのはオイゲン様であって、是非を判断するのはソフィア様ではない、などという正論を決して言ってはならなかった。

 いや、まあ、ここまで怒られるほどのことかとは思うけどな。


「やめてよ、お姉ちゃん。僕の従者が居なくなっちゃうじゃないか」

「だったら私の従者を貸してあげるわ。というか、私と一緒に行動すれば問題ないでしょ。ええ、それがいいわ」

 ソフィア様は一人で納得している。


 参ったなあ。

 別荘なら俺を制肘する人間はいないだろうと思っていたが、それは同時にソフィア様を宥められる人間がいないことになった。

 家令のグラフトンならこの場を引き取って、丸く収められる可能性がある。

 しかし、現地採用の使用人は壁際でおろおろするばかりだった。


 表の車寄せのところで馬が小さくいななく声がする。

 ギサール様がそのことを持ち出した。

「お姉ちゃん。荷物をまだ降ろしてもいないんでしょう? まずは荷ほどきをしてからにしてはどうですか?」


 ソフィア様は大きく息を吐く。

「いいえ。こんな不心得者がいるのは我慢がならないわ。そもそも欠格者を従者にするなんて私は反対だったのよ」

「でも、コーイチはいい人だって」


「あなたはまだ子供だから分かっていないんです。世の中には悪い大人が一杯いるのよ」

「でもコーイチの属性は中立善だって。僕も父上も兄上もみんなそうだったんだから」


「そんなの私は……」

「僕はともかく、父上や兄上の判断が間違っているとは考えられないけど」

「でも、そんなことを言っても欠格者よ」

「この話と魔導銀を使えるかどうかは関係ないよね」


 沈黙がその場を支配した。

 床を歩く音がする。ギサール様がソフィア様に近づいたようだ。

 ほんのちょっとだけ顔をあげ上目遣いで状況を把握しようとする。

 二人の足が触れ合わんばかりの距離まで近づいていた。


「……」

 なにやらギサール様がソフィア様に耳打ちしている。

 はっ、と息を飲む声がした。

「……」

 またごにょごにょ囁いている気配がする。


「分かったわよ。もう、いいわ。荷物を降ろして私の部屋に運んで」

 苛立ちをぶつけるような足音が遠ざかっていった。

 軽やかな別の足音が近づいてくる。

「コーイチ。もう起きていいよ」


 ギサール様が声をかけるだけでなく、屈んで俺の肘に手をかけて引き上げようとする。

 顔を上げるとギサール様と目が合った。

 声を出さずに口の動きだけで伝えてくる。

「後で説明するね」


 俺は立ち上がると手で服を払った。

 土足で歩き回る玄関ロビーの床ではあるが、日々掃除をしているのでそれほど汚れてはいない。

 どちらかというと俺のアパートの床の方が汚かった。

 梅雨時にひょろひょろっとしたキノコが生えていたこともあるし。


 慌ただしく荷卸しが始まった。

 ギサール様はお茶の用意を頼むと俺を中庭に連れていく。

 周囲を建物の漆喰に囲まれており、日よけの幕が張ってあった。

 丸テーブルに連なる金属製の椅子の一つに腰を落ち着けるとギサール様は空いている椅子を俺に勧める。


 お茶が運ばれてくるまでギサール様は無言だった。

 お互いに一口すする。

 なんかスースーするハーブティだった。

 先ほどまでのささくれだった神経が少しだけほぐれる。


 ギサール様がテーブルに身を乗り出し俺もそれに体を寄せる。

「ごめんね」

「いきなり何を?」

「姉が失礼なことをしたから」

「それはギサール様が謝ることではないのでは?」

「まあ、でも、僕の姉だし」


「どうやって宥めて頂いたのか窺ってもいいですか?」

「姉には言わないでくれる? 聞いたら文句の一つは言いたくなると思うけど」

「もちろん言わないと約束します」

「もっと早く僕が気づけばコーイチに窮屈な思いをさせないで済んだんだけどね。こんな簡単なことにすぐには気付けなくて」

「まあ、とりあえず話してください」


「姉は馬車で別荘に着いたよね」

「そうですね」

「あの馬車はフォースタウンから乗っているうちの家の馬車だよ。連絡船に乗せて運んできたんだね。船から降りてそのまま馬車に乗って別荘に来たのなら、いつ僕らのことを聞いたんだろう? そんなのはあり得ない。姉もあの店で食べたか、食べようとしたから知りえたんだ。姉もグランドツアー中は品位に気を付けるようにって言われてるのに、それってズルいよね」

 ギサール様は本当に申し訳ないというように体を小さくした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る