若君♂が俺のことを好き過ぎる

新巻へもん

第1話 お坊ちゃま

「ねえ。コーイチ。出かけるよ」

「はいはい。坊ちゃま」

 俺は掃き掃除をしていた手を止めて振り返る。

 ギサール様が革の鞄とバスケットを提げたメイドを従え、いつものように身ぎれいな格好で立っていた。


 物置小屋にすっ飛んでいって箒を置くと木桶に汲みおいた水で手を洗う。

 腰に下げた布で手を拭くと走って戻った。

 ギサール様の後ろに控えているメイドから革の鞄とバスケットを受け取る。

 門番が頭を下げる横を通って屋敷の外に出た。

 ギサール様の後ろを歩き始める。


 大通りには多くの人が行き交っていた。

 成人男性もいるが現代日本ではよく見かけたいわゆるスーツを着ている人間は一人もいない。

 貫頭衣か長い布を体に巻き付けたものを身につけている。

 古代ローマを舞台にした映画グラディエーターに出てきた人々のような格好をしていた。

 この姿を見るたびに異世界にきたことを改めて痛感させられる。


 俺の前を歩いていたギサール様がこころもち歩くスピードを落とす。

 ほぼ横並びになる位置になったので半歩下がった。

 ギサール様がほっぺを膨らませる。

「なんだよ。コーイチ。しゃべりにくいじゃないか」


「かんべんしてください。主と横並びに歩く生意気な使用人って目で見られて非難されるのは俺なんですよ」

「僕が許すって言ってんだからいいじゃないか」

「世間の人はそういう目で見てくれないんですよ。この位置でも話はできるでしょ」

「まあ、いいや。それじゃ、コーイチがどうやってここに来たのかをまた話して聞かせてよ」


「何度も聞くような面白い話じゃないですよ」

「コーイチだって僕にはなんてことはないことに感心するじゃんか。それと一緒だよ。いいから話して聞かせて」

「それでは」

 俺はほんの半年ほど前に起きた出来事を話して聞かせた。


 14連勤の後の久しぶりの休日。

 のはずだったのに上司からの連絡で叩き起こされ職場に向かう。

 今から思えば偶然空いた座席に腰を下ろしたのが運命の分かれ目だったのだと思う。

 

 そんな状態で座れば意識を保っていられるわけもなく当然寝落ちしてしまった。

 気が付けばすっかり人の減った電車は職場の最寄駅を通り越している。

 握りしめていたはずのスマートフォンも手元には無かった。

 ぱっと立ち上がって足元を見回すが見当たらない。

 もちろん自分の座っていたロングシートの上にもスマートフォンは転がっていなかった。

 念のため頭上の荷物置きも覗き込むが影も形もない。


 どうも誰かに持っていかれてしまったようだ。

 買って3年も使っているおんぼろの端末なんぞ売り払っても二束三文にもならないだろうに。

 腹が立ったがそれどころではない。

 誰かの手元にあるスマートフォンにはきっと山のようなメッセージや鬼電が入っているだろう。


 ちょうど停車していた駅であたふたと下車する。

 エアコンの効いていた車内から出るとむっとした熱気と真夏の太陽が容赦なく降り注いだ。

 きょろきょろとプラットホームの上を見回す。


 俺以外に下車した人間はいない。

 そうこうしているうちに俺の乗ってきた車両はガタンゴトンと走りさった。

 プラットホームの真ん中にある屋根のかかった部分を目指して歩いていく。

 公衆電話を探すがあるわけがない。


 そのまま上り電車を待てばいいのに俺は職場に連絡することで頭が一杯だった。

 自動改札機もなく、ポールの先にタッチ用のパネルがあるだけの出入口を見た時に引き返すべきだったかもしれない。

 律儀にパネルにICカードを押し付けてピピっという音に送り出されて外に出る。


 とにかく職場に電話をしなくてはならない。

 絵に描いたような薄給のブラック企業だが首になったら非常に困る。

 職場とアパートの往復生活で彼女もいないという半ば人生終わっている俺だがまだこの世からおさらばする覚悟はなかった。


 歩き出した俺は森の中の道に入り込み気が付いたらこっちの世界にたどりつく。

 シームレスにぬるっと迷い込んだみたいでトラックに轢かれるとか、女神様にチート能力を授かるなどというイベントは全くなかった。

 その後、緑色の肌の人間に似たモンスターに追いかけ回され逃げ回る。

 たまたま行き会った人に助けてもらい生き延びた。


 なぜか言葉こそ通じたものの間もなく俺はこの世界でも最底辺の存在だということを思い知らされる。

 いや、元の世界よりもひどかった。

 この世界では普通に魔法が存在する。

 別に俺だけが魔法を使えないということではない。その当時は無理だったが今では一応いくつかは使える。

 問題はその魔法を使うために必要な魔力の補充方法だった。


 高度に魔法が発達した社会では当然魔力が大量に必要になる。

 現代社会で送電線が張り巡らされていて、スイッチ一つで電灯がつき、冷蔵庫が常にものを冷やせるようになっているのと一緒だ。

 なにも自転車を漕いでコイルで発電することはない。


 魔導銀という魔力を大量に含んだ物質がある。

 精製すると通常の品質のものはICカードサイズで人体が自然に生成する魔力の1年分以上を蓄えていた。

 高品質なものになるとさらに含まれる量は多くなる。

 俺はこの魔法銀から魔力を引き出せない。

 魔導銀適性欠格者の烙印を押された俺はまともな職につけなかった。


 そうなるとどこの世界でもたどる道は同じである。

 そんな半端者は大都市に流れ着く。

 こうしてマガラリア帝国の首都フォースタウンに潜り込んだ俺は運良くコーネリアス家の下男として雇われた。


 さらに幸運だったのは、その家の末子であるギサール様になぜか気に入られたことである。

 汚れ仕事やキツイ力仕事で体力をすり減らしてくたばるはずだった運命がねじ曲がり、こうしてギサール様の従者みたいなことをしていた。

 下働きではあるが、一応は奴隷ではない。

 こうして今日も魔法学校へと通うギサール様のお供をして歩いているのだった。

 

 

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