突然の引越し

1月になってすぐの頃、ちえさんから少し遠くに引っ越す事を告げられた。

ちえさんが旦那さんと離婚する事になったそうだ。


旦那さんがいなくなり経済的な問題で、生活を継続する事が出来なくなるのでちえさんが生まれ育った実家に帰る事にしたそうだ。

もちろんあきちゃんとなっちゃんも一緒に。

あきちゃんはもう小学6年生なので、卒業までは何とか今の家で頑張るという事になったので中学からはあきちゃんは離れたところに引っ越してしまう。


ちえさんの実家は僕の家の最寄り駅から電車で1時間くらいのところだ。

家を出てから歩く時間や電車の待ち時間などを計算すると1時間30分はかかる。

距離は格段に遠くなるが通う事は不可能ではない距離だ。


僕は遠くなっても同じ日数通うつもりなので気にしないで欲しいと言った。

僕達がちえさんの負担になっていてはいけないのだ。



あきちゃんはあまり学校の友達と遊んだりはしていないが、明るく活発な性格から学校内ではそこそこの人望はある。

頼られる事が多く、リーダーシップの取れる人なので学校行事などはあきちゃんが中心になるような事が多かったのでみんなに慕われていた。

同じ中学に通うつもりだったので突然の引っ越しは少し寂しそうだ。

休みの日も僕と音楽ばかりしていたのでほとんど同級生とは接触がなかった。

もう少し関わっていたらよかったと少し後悔しているように感じた。


ちえさんがそんなあきちゃんの心情を察してお別れ会をする事になった。

学校でもクラスで簡単なお別れ会をしたそうだが、今回は幼稚園から仲良かった子を中心にクラスも学年も関係なく、学年も1つ上、同級生、一つ下など様々な人に声をかけた。


小さなライブハウスを貸切にして、大量のお菓子とジュースを用意してお別れ会は開かれた。

なっちゃんの友達もたくさん来てたので、10〜13歳くらいの子供達が集まった。

僕と学校が違うのであきちゃんの友達は誰も知らないが、人数が多いので僕もちえさんのお手伝いをするためにお別れ会に参加した。

子供ばかりなので話して騒いでくらいしかする事は無いが、各々楽しかった思い出を語りながら別れを惜しんで話に夢中になっている。


引っ越ししても友達だよと握手し合い、手紙を書くと約束をしては感傷に浸っている。

少し場違いな空気を感じながら僕は端っこの方でのんびりジュースを飲んでると、あきちゃんが近寄ってきて僕をみんなの中心へと連れて行った。


『あきの彼氏。一緒に音楽を始めたの。中学になったらメンバーを集めてバンドするからその内有名になるしみんな応援してね。』

みんなに僕を紹介すると僕にギターを渡しステージに上がっていった。

ちえさんもそれに気がつきステージに上がる。

どうやら演奏を予定していたみたいだ。

ベースとドラムの録音音源をしっかり持って来ている。


あきちゃんがみんなに披露したいなら僕は演奏するまでだ。

目で合図が来た時には僕はもうスイッチが入り演奏をする準備が整った。

コクリと頷き合図を返す。


ちえさんが録音の音源を流し僕も演奏を合わせると同時にピタッと会話が止まりステージに視線が集まった。あきちゃんがすかさずMCを入れる。

『今日は来てくれてありがとう。あきの音楽を聴いていってください。』

僕達はマスターした曲の中からなるべくメジャーな曲を3曲披露した。

友達たちもあきちゃんの歌声をしっかりと聴くのは初めてである。


活気に満ち溢れていたスタジオ内の人はみんなあきちゃんに釘付けだ。

言葉を発する事すら忘れて真剣にステージに集中する。

多くの視線が僕達の演奏に夢中になっているのを感じるのだ。


こんな快感は味わった事がない。

エレクトーンの発表会で1000人規模の観客の前で演奏した事はあるが、みんな基本的に自分の子供の発表会を見にきたついでなのであまり聴いていないし集中していないのだ。

こんなにも自分の演奏に集中して意識を向けて聴いてもらう経験は初めてだ。

曲が終わる度に会場内が沸く。


今日の主役はあきちゃんとなっちゃんで僕の事なんて知らない人ばかりだが、僕達の演奏に感動してくれて大きなエールを贈ってくれる。

「ライブってこんなにも気持ちいいんだ。」

僕の中に大量のアドレナリンが駆け巡り、今まで感じた事のない快楽を感じた。


3曲終わるとあきちゃんはボロボロ涙を流し始めた。

恥ずかしくて座り込んでしまう。

ライブの快感と友達との別れの寂しさの両方が押し寄せ平常心を保てなくなったみたいだ。

僕はあきちゃんの隣に立ち、マイクを受け取る。

『僕達の初めてのステージを聴いて頂きありがとうございます。

これからも引っ越した先であきちゃんは音楽を続けていきます。』

『僕も引っ越した先に通い一緒に音楽を続けます。

ライブなども行う予定なので皆さんもお時間がある時には聴きに来て下さい。』

この辺りであきちゃんが涙を拭いて僕からマイクを奪い去る。


『みんな大好きだよ!!あきとみんなの絆は簡単には消えない。

気軽に電車で行ける距離、近い近い。

あき達のバンドはこれからどんどん有名になるから見ててねっ♪』

頭が痛くなる程の大きな歓声が一斉に飛んできた。

真剣な決意ほど多くの人の前で堂々と宣言をするあきちゃん。

宣言したからこそ中途半端にやめられないからやる気が出ると言っていた。


『中学に入ったら真剣にメンバー探してこの「ゆうちゃん」と一緒にバンドを本格的に始めようと思ってます。

もちろん目標は日本一!!紅白に出てテレビで今日の初ライブの事を話すんだから♪』

『記念すべき初ライブを聴いたみんなは自慢しちゃっていいんだよ!

あきが有名になるのを楽しみにしてるんだぞー!』


今日集まってくれた人がみんなファンになってくれた気がした。

大歓声の中僕はあきちゃんのリーダーシップに感動した。

空間を制して自分のテリトリーと化し、周りを味方につける天才だ。

多くの人があきちゃんを支持して応援してくれるのだ。



『最後に1曲、1番得意な曲をやってよ!!

俺らの知ってる曲とかにこだわらなくていいから。』

そのような声が上がりアンコールが始まる。

あきちゃんは嬉しそうに少し照れながら笑い、手を上げると歓声が止まる。


『よし、じゃあ最後にとっておきを聴かせてあげる。

あきとゆうちゃんが初めに練習した曲、始まりの曲だよ。』

課題曲として僕が必死に練習した「あの曲」だ。


この曲は本当に自信がある。

練習量が桁違いなのだ。

知ってる人も知らない人も夢中で聴いてくれている。

涙を流す人もちらほらいる。

あきちゃんとの別れを悲しんでいるのだろう。


1秒1秒を大切に、心にフレーズを刻みながら演奏を堪能する。

途中からあきちゃんが涙声になっていき、その変化で会場内に鼻をすする音がたくさん聞こえるようになり、泣き声がどんどん聞こえてくる。

次々と泣き崩れていく会場の人達。

みんなあきちゃんと同じ中学に行きたかったんだ。



曲が終わった後に数人がステージに上がってくる。

あきちゃんの同級生となっちゃんの同級生だ。

サプライズプレゼントの大きな布製の旗に書いた寄せ書きをあきちゃんとなっちゃんに渡す。


この街であきちゃんやなっちゃんが関わった多くの人からの寄せ書き。

この日に同級生から受け取ったこの寄せ書きはあきちゃんの宝物となりベッドの枕元の壁に大きく飾られる事となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る