第70話 山越え

昨日も暗くなってから宿に着き、早朝には宿を発つ。


宿以外は、ずっと馬車に乗り続け(もちろん、途中で休憩はあるけれど)、国を移動するというのは結構、いえ、かなり大変なのね。


初めての体験に疲れを感じてしまうけど、この程度で弱音を吐いてはいけないわ。だってシリウス様は、いつも通りだもの。


そう自分に渇を入れていると、馬車のスピードが遅くなった。どうしたのかと窓の外を見ると、私達の行く手に大きな水色が。あ、あれは、もしかして!


「シリウス様! あれは川ですか?」

「え、そうだけど」


シリウス様の戸惑うような声色よりも、前方に広がる川に私は夢中だった。

はわわぁ~! あれが川! 大きい!


「アリシア、もしかして……」

「初めて見ました!」

「やはり、そうなのか」


元気な私の答えに、シリウス様は顔に手を当てて天を仰いでいる。


「今まで見たことなかったの?」

「はい。王都に水路はありますけど、川はないので初めて……あ、あの大きな橋を渡るのですか?」

「うん」

「わぁ、すごいです! こんな大きな橋を渡るは初めてです!」


私の目はキラキラと輝いてしまう。


(あの大きな川を渡るのね! あ、だから馬車の速度が落ちたのかしら?)


橋に近づき、ゆっくりと馬車は進む。


(すごく大きな橋だわ。歩いて渡ってみたい。あ、もしかして今、川の真ん中なのでは? すごい、すごい!)


窓の外から目が離せず、私の思考は落ち着きのない子どものように、はしゃいでいた。


「川か。ここで休憩するか……いや、今日は急がないと。あ、イングリルド国のクローバー川……うん、あそこなら安全だし、大きな川だからアリシアもきっと……」


そんな私の前に座るシリウス様は何か小さい声で呟いていたけど、川と橋に夢中だった私の耳には入らなかった。


川を渡り切って暫くすると、緩やかに馬車が止まった。どうやら休憩みたいね。

シリウス様に促されて馬車から降りると、私は“う~ん”と背伸びをした。ずっと座りっぱなしだと身体が固まってしまうわ。


それでも、この馬車は快適な方ね。クッションがしっかりしていて座り心地は良いし、何よりほとんど揺れない。これが普通の馬車だったら、きっと今頃お尻が悲鳴を上げていることでしょう。


お尻が悲鳴といえば……ふと私は、ジョンと馬に二人乗りで登校してことを思い出した。


(あの時は本当に、お尻が痛かったわ)


ふふふっと思い出し笑いしていると、シリウス様が不思議そうに声を掛けてきた。


「どうかしたの?」

「いえ、この馬車は快適だなと思いまして」

「そう? それなら良かった。それでも疲れただろう? 移動時間は長いのに休憩の少ない強行日程だったからね」


ん? “強行”ということは普通なら、もっと休憩が多いということですか?


「でも明日からは、ゆっくり出来るから少し我慢してね」

「それは、もちろん大丈夫ですけど。何故、明日からなのですか?」

「あぁ、あの山を越えたらイングリルド国なんだ。国境を越えれば、もう安心だからね」


シリウス様が指差した先を見ると、そこには大きな山がそびえ立っていた。


(はわわっ、山だわ! 近い! すごく大きい! 今から、あの中に?! 山の中って、どんな感じなのかしら?)


王都の周りには山がないので、いつも目を凝らして遠くに見える山を見ていた。

その山を目の前にして、私の胸はワクワクとドキドキでいっぱいになる。

初めての川と山を一日で体験できるとは!!


(あ、そうか。あの山を越えたらイングルド国、シリウス様の国なのね)


私の胸中に別の期待と僅かな不安も加わった。


そろそろ休憩も終わりだろうと思い『いざ! 山へ!』と意気込みつつ、馬車へ一歩足を出したところをジュリアンに呼び止められた。


「昼食のご用意が出来ました」

「あぁ、今行くよ」


シリウス様はジュリアンに返事すると、私に手を差し出した。

え、もう昼食の時間なのですか? 少し早すぎませんか?


「もう、お昼なのですか?」

「うん。今から山越えをするからね。山中で食べるわけにもいかないから、先に昼食をね」

「なるほど」


山の中で昼食を用意するのは大変そうだものね。ん、それならジョナサンのバスケットみたいに用意したらいいのでは? そう、ピクニックというやつ! 一度でいいからピクニックをしてみたいと思っているのだけど……ダメかしら?


ちなみにクロフォード家を立つ時に、ジョナサンが用意してくれたバスケットの中身は、その日のお昼にシリウス様とお義父様、お義母様といただいた。


それは初めての休憩時間でもあったのだけど、驚いたのは何もない原っぱにテーブルとイスが置かれて、まるで屋敷の庭でお茶をするような雰囲気になっていたことだった。


私達の馬車の後に続く沢山の荷馬車には、休憩のための家具も積まれていたみたい。貴族なら当たり前なのか、王族だからこそなのかは分からないけど、少なくとも私の憧れるピクニックではなかったわね。


そんなことを考えつつ、手を引かれながら向かうと、お義父様達は既にテーブルについていた。まぁ、こうして用意されているのだから「ピクニックがしたいです!」なんて我儘を言うわけがないのだけど。


私は大人しく席に着くと、用意されていたフォークを手に料理を口に運んだ。

あ、美味しい!


さぁ、昼食をいただいたので『いざ! 山へ! 今度こそ!』と馬車へ向かおうとしたところで、今度はシリウス様に呼び止められた。


「アリシア。ここからは父上達の馬車に同乗することになるけど、いいかな?」

「え? それはもちろん」


私の方は何の問題もないけど、この馬車に何か問題があるのかしら?

不思議に思っていると、シリウス様は察したのか補足してくれた。


「山は危険だからね。出来るだけ守りを固めたいんだ。2つの馬車を守るより、1つの馬車を守る方が安全性は高まるからね」

「なるほど」


そうか、山には野生動物がいる。中には人を襲う狂暴な動物もいるし、此処はダノン国とイングリルド国の国境の山だから魔獣もいるはず。そう本に書いてあったもの。山には危険がいっぱいだとも。あ、ピクニックなんて出来るわけがないわね?!


自分の浅慮さに呆れて、眉間に皺が寄ってしまう。そんな私の顔色をシリウス様は心配そうに窺っていた。


「ごめん、怖がらせてしまったかな?」

「いえ、そんなことは」

「大丈夫。アリシアは僕が守るから、安心して」

「それは頼もしいですね」


別に怖がってはいないのだけど、真剣なシリウス様に私は嬉しくなって自然と笑みが浮かんだ。


「それに騎士達も全員同行するから心配ないよ」


ん? ここまでも騎士全員が一緒だったのだから、当然のことなのでは?


シリウス様の言葉の意味を測りかねつつ、お義父様達の馬車へと向かう。


そういえば、私達が乗って来た馬車はどうなるのかしら?


そう思いながら先程まで乗っていた馬車を横目に見ていると、またもシリウス様は察したらしい。本当に察しが良いわ。


「この馬車は後発隊が運ぶよ」

「後発隊?」

「うん。ぞろぞろと全員で山越えするのはリスクが高いからね。僕達と使用人の半分、それに一部の荷物が先発隊で、残りの使用人達と荷物が後発隊になるんだ」


あ、人手が2つに分かれて、使用人は半分に。それで、さっきシリウス様は『騎士全員』という言い方をしたのね。


「ちなみに、ジュリアンやフェリシアとマリー達は先発隊だよ」

「そうなのですね」


マリー達が一緒だと思うと、とても安心出来た。

ん、待って? 騎士達全員が同行するって、シリウス様は言っていたわね? 騎士達が私達と一緒に行ってしまったら、後発隊はどうなるのかしら?


「あの、シリウス様。後発隊の護衛は?」

「ん? それも騎士がするよ」

「???」


え、どういうこと? 騎士達は私達と同行するのよね?


「あぁ、僕達と一緒に騎士達も一旦山を越えて、宿に着いたら一部の騎士以外は此処に戻って来て、後発隊の護衛をするんだよ」

「えっ!」


それは、つまり……行って、戻って、また行くのだから、一日に三度も山越えをするということ?! かなり過酷なのでは??


「それは騎士の皆さん大変ですね」

「そうだね。だからこそ日々鍛えているんだよ」


騎士達のおかげで私達の安全は守られている。感謝してもしきれないわね。いつか騎士の皆に、ちゃんとお礼をしたいわ!


そんなことを考えつつ、私はシリウス様と共にお義父様達のいる馬車へと乗り込んだ。そして、お義父様達とは反対側の座席にシリウス様と私は並んで座る。


騎士達へのお礼は後で考えるとして……さぁ、今度こそ! 山へ!


山中では高速走行が出来ないとのことなので、外の景色を存分に堪能出来るはず!

私の視線は川の時と同様、窓に釘付けになるのだった。

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