第52話 帰国……したくなかった

「随分と町の様子が変わりましたね」


 窓のカーテンを少し開けて、マリーが不安そうに呟く。

 少ない従者を連れて、アリシアはバイガル国へと戻った。

 バイガル国ではアリシアは勘当され、平民になった事だけが広まっている。

 そして未だに、「婚約破棄をされたアリシアが錯乱し、ダニエラにナイフを突きつけた」という噂も一部で囁かれているらしい。


 そんな自分が戻りたいと言っても、入国許可が降りるか疑問だった。

 ラサの皇女として認められたと伝える案も出たが、魔術を嫌うバイガル国王には逆効果だろうと判断した。

 いざとなれば、友好を深める名目でエリアスがアリシアを侍女として申請し、入国する計画も練ったがそれらの不安は杞憂に終わる。


 帰国したい旨をバイガル国に打診したところ、あっさり許可が降りたのだ。


「……バイガルは大国だと聞いているが、ここは王都なんだよな?」


 同乗しているエリアスも、道ばたに座り込む物乞いの多さに驚いている。

 道を行く人々も活気がなく、異様なものを感じ取ったのだろう。

 万が一の事を考え、バイガルの領内に入った時点で一般市民の使う質素な馬車に乗り換えたのは正解だった。


「貴族用の馬車が一台も見当たらないな。あのままバイガルに入っていたら、確実に悪目立ちしてたな」

「ええ。エリアスが助言してくれて助かりました」


 流石に市民から襲われたりはしないだろう。しかし、アリシア一行には別の懸念事項があった。


 マレク王子の動向である。


 現在バイガル国の王は王妃と共に不在で、マレク王子が政を仕切っている。

 つまりは彼がアリシアの入国を許可したわけだが、何故こうもあっさりと受け入れたのか皆疑問に思っていた。

 程なく馬車は中心地から少し外れた宿屋の前で停まった。

 ここはエリアスの部下が旅人を装い、事前に安全な宿屋かどうか確認を済ませている。

 流石に公爵家へのこのこと戻るほど、アリシアもお人好しではない。それにあの義母がアリシアを屋敷に入れるとは考えにくかったのもある。


 荷物を下ろし事情を伝えてある宿屋の主人に前金を渡すと、アリシア達は二階の部屋に入った。

 ここまでは無事に来られたので一同はほっと息を吐く。


「――アリシア様、私はメイド長達にお嬢様がお戻りになられたことを伝えに行って参ります」

「ええ、お願い。気をつけてね」


 部屋を出るマリーを見送り、アリシアは外套を脱いだ。


「たった数カ月で、こんなに荒れているなんて」

「馬車から見ても商店が機能していないのは明白だ。周辺国に比べて、物価が高すぎる」

「農地が壊滅的な打撃を受けた影響でしょう。上空から見ても分かる程、酷い有様でした」


 アリシアは窓辺に立ち、活気のない町を見おろしながら数日前に見た光景を思い出していた。


***


 皇女となり、エリアスの兄であるラゲル王から戦争を止める使者となるよう告げられたその日。アリシアはもう一つ、ラゲル王から頼み事をされていた。


 それは「バイガル国の新たな統治者となってほしい」というものだった。


 和平協定を破った国の王は統治権を奪われる。そして新たな統治者を迎えなければならないという文言が、協定書に記されているのだ。


 しかしアリシアは、ラゲル王の頼みを断った。


 地方領主ならまだしも、大国を背負う覚悟も能力も自分にはないと判断したからだ。

 説得されるかと思いきや、意外にも王はあっさりと引き下がってくれた。

 ただ一度だけ、バイガル国の様子を視察してくれないかとアリシアに提案したのである。


 怪訝に思いながらもアリシアは承諾し、エリアスと共にそれぞれホワイトとグリフォンに乗りバイガル国の上空を駆け抜けた。

 そこには枯れた草と、荒れた農地が一面に広がっていた。


 バイガルへと戻る馬車の中で、マリーが国内の農地で何が起こっていたかを教えてくれた。

 ここ数年冷害が続き、作物が育たないらしい。なのに殆どの貴族は領地の視察もせず、農家の訴えももみ消し税だけは取り立てている。


 農民は生きていく為に農地を放棄し、隣国に保護を求めて逃げ出しているとのことだ。

 父に代わり領地の運営を任されていたアリシアは、農民を守るために王に働きかけたり公爵家の備蓄倉庫から小麦を分けたりと奮闘した。

 しかしいくら公爵家といえど、焼け石に水。


 最後の手段として、国庫を開けるよう嘆願しようとした矢先に、婚約破棄の事件が起こった。

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