第45話 ほころび

 隠し金庫には戴冠式で使う王冠や、様々な宝物も収められているのだとマレクが説明する。


「ではお父上に聞けばいいじゃない」

「早馬を出したのだが、未だに返事がないんだ。父上からの最期の書簡を受け取ったのは先月だ。毎日魔獣狩りで忙しいと書いてあったから、きっと狩りに出ているのだろう」


 魔獣狩りは大物相手になると一月近くかかる場合もある。それはダニエラも知っているが、なんとなくマレクの落ち着きがないのが気になった。

 ちらちらとあちこちを見て、無駄に咳払いばかりしている。


(これって、なにか秘密のお話がしたいのね。マレクったら可愛い)


「ねえマレク、隠し事があるならお話して。私、あなたの力になりたいの」


 水を向けてやると、マレクは芝居がかった仕草で室内を見回す。


「スパイはいないようだな……ダニエラ、ここだけの話だが実は我が国は戦争の準備をしているんだ」


 流石にダニエラも、まさかバイガル王が戦争をするつもりでいるなどとは思ってもいなかった。


「今回の旅行も、同盟国との連帯の確認が目的だ。我が国はここ数年、密かに軍事関連に資金を注いできた。軍備を知れば、どの国も同盟を断れはしない」


 つまりは同盟とは名ばかりで、戦わずして支配下に置く作戦だ。


「同盟国と足並みが揃った時点で、我が国と交流のない国への侵攻を開始する。多くの血が流れるが、バイガル国のため。いや、将来の王である私のためなのだ。分かってくれるね、ダニエラ」

「どんな時も、私はマレクの御側にいますわ。それに私、本物の戦争を観戦してみたかったの」

「ダニエラならそう言ってくれると思ったよ。だから父上がお戻りになる前に、くだらない問題は片付けておきたいんだ」

「そうね」

「君が聡明な女性でよかった。ところで君の父上がアリシアを呼び戻しにいったそうじゃないか。もう戻っているのか?」


(は? なんであの女の名前が出るの?)


 輝かしい将来を想像してうっとりしていたダニエラは、場にそぐわない姉の名を聞いて一気に気分が冷めてしまう。


「確か記憶喪失が嘘だと判明したと、君の母上から聞いたが」

「お母様が?」


(お母様ったら、あの暗示魔術を使ったのね)


 暗示魔術は呪いの書に書かれている呪文の中でも、簡単な一文を唱えるだけで意識操作ができる優れものだ。

 難点は術をかけた相手の魔力が弱い場合、精神の混乱を引き起こす。別に相手がどうなろうと知ったことではないけれど、マレクが精神混乱に陥ったら一大事だ。


「マレク、気分はどう? 最近よく眠れてる?」

「ああ問題無いが。突然どうしたんだダニエラ」

「不調がなければいいの。気にしないで。けれどちょっとでも目眩がしたり、気分が悪くなったら、すぐに教えて」

「君は本当に優しいな。私は健康そのものだよ……それよりダニエラ。すまないが、アリシアを至急城に呼んでほしい」

「そんな、あの女を城に呼ぶなんて……」

「彼女なら鍵の場所を知っているからね」

「そ、そうなの?」


 これもまた、ダニエラにとっては予想外の情報だ。裏帳簿くらいは付けていると考えていたが、まさか王家持つ金庫の鍵まで預けられていたとは……。


(なんでそんな大事なものを他人に預けるの? この国の王も王子も馬鹿なの?)


 思わず叫びたくなったが、口にしたらマズイことくらいダニエラは理解している。

 苛立ちを必死に隠して、ダニエラはフル回転で思考を巡らせた。

 アリシアを呼び戻して仕事をさせようと母が提案したのは憶えてる。

 辛気くさい顔を見るのが嫌なのでダニエラは反対したが、マレクの話が本当ならそうも言っていられない。


(あの男は戻ってきたけど、精神混乱の影響で部屋に閉じこもってしまって話にならないわ。お母様が必死に呼びかけているけど、ろくに返事もしないし)


 公爵が部屋に引きこもったことが決定打となり、会計士だけでなく多くの使用人達が逃げてしまった。

 新しく人を雇い入れることでなんとかしのいでいるものの、このままでは公爵家としての威厳が保てなくなる。


(でもやっぱり嫌よ。辛気くさい女がのほほんと戻ってくるなんて。考えただけでも苛々してくる)


「ですがマレク、アリシアは平民になったのよ。いくらあなたの頼みでも、平民を城に呼ぶなんて非常識だわ」

「ダニエラ、そのことなんだが……公爵家から籍も抜いて、平民になったのだろう? だったら私の愛人にしたいと考えていたんだ。だから問題無い」


 寵姫や愛人は妃より位の低い者が選ばれるのが慣例だ。そしてマレクの愛人であれば、城に呼んでも確かに建前上は問題無いのだ。


(心変わり? まさかね……)


 辛気くさいアリシアをマレクが愛してるとは考えにくい。とすれば答えは一つだ。

 マレクからすれば、一度は婚約した相手をベッドで征服したいのだろう。いかにも権力者らしい思考だ。

 ゆがんだ欲求だがアリシアは嫌いではない。


 すぐにマレクの真意を見抜いたダニエラは、口の端を歪めて怪しく笑う。


「マレクだけ悦しむのは狡いわ。愛人にするなら、正式な地位は私付の侍女にして。あの女が仕事を投げ出したせいで、私も両親も迷惑を被ってるの。だから働くことのなんたるかを教えて、直々に躾けてあげたいのよ」

「なんて素晴らしい考えを持っているんだ。あの怠惰なアリシアを躾けてあげようなんて、私はそこまで優しくなれないよ」


 心から感心した様子でマレクがダニエラを褒め称えた。


(たっぷりいたぶって、虐め殺してやるわ。まずは酒場の踊り子の仕事でもさせようかしら。お母様が男と逢い引きに使っている娼館で、客を取らせるのも面白そうね)


 そして最期は、あの魔術書を差し出し命乞いをした男のように、路地裏で蹴り殺してやろう。

 楽しい妄想に浸っていたダニエラだが、マレクの言葉で我に返った。


「ではすぐに、公爵にアリシアを連れてきてもらおう」


 アリシアの不在を誤魔化したところで、屋敷に来られてしまったら元も子もない。

 ここは適度な嘘で時間稼ぎをするべきと判断した。


「……ごめんなさいマレク、義父は旅の疲れが出て伏せってるの。アリシアも支度があるとかで、まだロワイエにいるのよ。すぐに戻るよう手紙を出すから、数日待って」

「分かった」


 ダニエラの言葉を微塵も疑いもせず、マレクが快く頷く。

 どうにかしてアリシアを呼び戻さないと、このままでは自分の信用も失われてしまう。


(こんなに頑張ってるのに、また貧乏に逆戻りなんて絶対に嫌よ。……アリシアは私から幸せを奪いたいのね。本当に嫌な女!)


 唇を噛みしめ、ダニエラは心に誓う。


(何としてでもあの女を呼び戻して、最高の屈辱を与えてやるわ。でないと気が済まない)

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