第38話 ショックだったんだわ

「お加減が良くなるまでゆっくり休んでください。エリアス様、私どもは警備に戻ります。何かありましたら、お声がけください」

「ああ、すまない」


 一礼し衛兵が部屋から出ると、アリシアは手にしたマグカップからお茶を一口飲む。王宮の療養所で出される甘い薬湯とは違い、爽やかな苦みを感じた。

 けれど今は多少苦みのある方が、気分がすっきりする。


「俺達騎士や兵士がよく飲む薬茶なんだ。口に合えばいいのだけど」

「美味しいわ。胸のつかえが取れて、気持ちもすっきりする」

「ならよかった」


 半分ほど飲んだところで、アリシアは傍らで見守っているエリアスに声をかけた。


「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」


 レンホルム家の令嬢として気丈に振る舞わねばと思っていたが、狂気じみた言動をする父を前にして本当は怖かったと続ける。


「もう貴族の娘ではないのですから、プライドなど捨てるべきなのに……それと父の言ったとおりレンホルム家から籍を抜かれているのでしたら、もう城に住むことはできません」


 今は爵位を持たない平民でしかない。こうしてエリアスと対等に話ができているのも、彼の厚意があるからだ。


「そこまで極端に考えなくてもいいんじゃないか? それに君が城を出ていくなんて言ったら、兄も義姉も大反対するぞ。勿論、俺だって阻止するけどな」


 エリアスがアリシアの前に膝をつき、視線を合わせる。優しい声と触れてくる手に、アリシアは胸の奥が痛くなった。


(私、ショックだったんだわ。家を出るつもりでいたのは本当だけど……)


 他人も同然の父とはいえ、酷い言いがかりを付けられた上に正式な書類もなくレンホルム家からの追放を告げられれば心は傷つく。

 他人の言葉だと流してしまうには、あまりに酷い仕打ちだ。


「エリアス。私はこのまま城に滞在してもよいのですか?」

「当然だよ――アリシア、君はもっと俺を頼ってくれ」

「どうしてそんなに、私を気にかけてくれるの?」

「今更それを聞く?」


 掌がアリシアの頬を撫でる。温かく大きな掌だ。


「俺は君に惹かれている。君は聡明で美しい。毎日図書館に通って、真剣に魔術を学んでいることも知っている。それだけじゃない」

「え?」

「厩舎に出向いて、グリフォンの世話の手伝いをしてくれてると馬番から聞いてる」

「えっとそれは、毛並みを整えてあげるともふもふした首回りを触らせてくれるので……」

「学院で学ぶマリーの様子を見るついでだと言って城を出て、素性を隠して孤児院の子ども達にパンを配っていることもね」


 誰にも気付かれていないと思っていたことを言われて、アリシアは狼狽える。


「あの、それは誰から聞いたのですか」

「見ている人はみているものさ。――アリシア、俺はそんな優しい君が好きだ」


 指先にエリアスが口づける。

 アリシアは頬を真っ赤にして、黙って彼を見つめていた。

 しばしの沈黙の時間は不思議と心地よく、薪のはぜる音だけが狭い室内に響く。


「エリアス、私」


 けれどアリシアは、彼の想いに応える言葉を口にできない。公爵令嬢という立場を失った以上、王弟である彼に気持ちを伝えることも罪になる。

 いくら彼と彼の家族がアリシアを感情の上で受け入れてくれたとしても、エリアスは自由に振る舞うことの許されない立場なのだ。


「大丈夫。アリシアを困らせるつもりはないよ。全て上手くいくようにするから、安心して」

「ですが」

「まず城に戻ろう。アリシア。君に伝えなければならない事があるんだ」

「……はい」


 おそらく、先程父に告げていたラサ皇国の件だろう。

 表情を曇らせたアリシアを気遣ってか、エリアスが思わぬ提案をする。


「アリシア、空の散歩は好き?」

「飛んだことがないので分かりません」

「なら、グリフォンで戻ろう。今日は良い天気だし、遊覧飛行にはもってこいだ」


(あのもふもふ、ふわふわの背に乗れる!)


 魔獣は基本的に気性が荒く、騎乗できるのは主と認めた相手だけだと幼い頃に読んだ記憶がある。

 エリアスのグリフォンはアリシアの顔を覚えてくれたが、完全に心を許してくれるまでは時間がかかる。しかしエリアスと一緒なら、問題ないはずだ。


「是非乗りたいです!」

「じゃあ行こうか。アリシア」


 差し伸べられた手を取り、アリシアは立ち上がった。

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