第20話 さて始めますか

(やっとこの日が来ましたわ!)


 アリシアはマリーに髪を結って貰いながら、無意識にガッツポーズを取る。


「……お嬢様、そんなに魔術の勉強が楽しみなのですか?」

「もちろんよ」


 予定ではもっと早く講義を受けるつもりでいたのだが、思わぬ事態が起こったのだ。


 宿屋から荷物を受け取った日、部屋に戻る途中でローゼ王妃と鉢合わせをしたのだが……。

 たった二つのトランクを目の当たりにした王妃は、その場でアリシアのドレスの追加発注と、式典用の礼服、更には宝飾品まで作らせると宣言したのである。

 流石にそこまで甘えるわけにはいかないと止めたのだけれど、エリアスも王妃の側仕えも首を横に振るばかりで、結局押し切られてしまった。


 それだけではなく「療養のために来たのだから」と、数日間は城内の温泉施設と心身の気力を回復する魔術医療を集中的に受けることを約束させられた。


 とても有り難い申し出ではあったけれど、医療に関しては少しばかり不安があったのは否めない。

 もし魔術が効いて記憶が戻ってしまったら、自分は帰国しなくてはならないのだ。

 けれどその不安は杞憂に終わる。


 王室付の医療魔術師達から「記憶を戻す魔術はありません」と、彼らはアリシアにきっぱり告げたのだ。

 戦時中、敵兵から機密を聞き出すために記憶を探る魔術は使用されたが、それは本人が知っている事が前提となる。

 なので「記憶を喪失した」状態から回復させるというのは、現在の魔術では無理なのだという。

 アリシアからすれば朗報だ。

 お陰ですっかりリラックスした状態で魔術医療を受けられたアリシアは、頭の中もすっきりとして体も軽くなった。


「準備万端! 立派な魔術師になって、自立するわよ!」

「ご無理はなさらないでくださいね」


 不安げなマリーを伴い、アリシアは部屋を出てエリアスとの待ち合わせ場所である中庭へと向かった。


******


「やあ、おはようアリシア」

「おはようございます……あの、これは一体?」


 城内にはいくつもの庭がある。その中でも少し変わった造りのこの小さな庭は、以前からアリシアも気になっていた場所だ。

 小さな噴水と、それを取り囲むように三つの石柱が建てられている。周囲は頭より少し高い常緑樹で囲われており、ちょっとした隠れ家のような雰囲気だ。

 ただいつもと違い、噴水の前に魔法陣の織り込まれた絨毯が敷かれている。


「アリシア・レンホルム様でございますね。私はヨゼフ・ローダンと申します。ヨゼフとお呼びください」


 石柱の影から灰色のローブを纏った老人が進み出て、アリシアに挨拶をする。胸まで届く真っ白い顎髭を蓄えた小柄なヨゼフは、まさしく「魔術師」を体現しているような人物だ。


「この爺さんは、俺の師匠で王家付の魔術師。あと魔術学校の理事長とか色々やってる……痛っ!」

「エリアス様、私を師匠と呼ぶのなら相応の言葉遣いをするよう何度も注意したはずですが?」


 手にした杖でヨゼフがエリアスの頭を叩く。


(なんとなく、二人の力関係は理解したわ)


 頭を抑えて蹲るエリアスを無視して、ヨゼフがこほんと咳払いをする。そしてアリシアに向き合うと、優しく微笑んだ。


「レンホルム様は、ラサ皇国の血縁の方と伺っております。かの国の皇族の方々は、我が国と勝るとも劣らぬ魔術の使い手ばかり。そのような血筋の方に魔術をお教えする機会を与えてくださり感謝しております」

「えっと、私の母がラサの出身だとこちらに来て知ったばかりで。皇族と関係があるかどうかも、分からないんです。それと私の事は、アリシアとお呼びください」


 やっと立ち上がったエリアスに、アリシアは「どういうことなのか?」と視線で問いかける。アリシアとしてはエリアスに魔術を教えて貰うつもりでいたのに、王家付の魔術師から教えを受けるなんて聞いてない。


「……ああ悪い。魔術を教えたいのはやまやまなんだが、最初の適性確認と座学はヨゼフ師匠に任せた方が安心だからさ」

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