第19話 みなさん、困ってますね
エリアスに促され宿屋に入ると、扉の近くに置かれたテーブルで書き物をしていた中年の女性が声をかけてくる。
「あらエリアス様、いらっしゃい。そちらのお嬢さん方はどなた?」
「バイガル国から療養に来ている、レンホルム公爵令嬢とそのお付きだよ」
「初めまして。アリシアと申します。こちらで荷物を預かっていただいてると聞き、受け取りに来ました」
会釈をすると女性は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「まあ、レンホルム様でございましたか。座ってお出迎えなんて失礼をして、申し訳ございません。私、この宿の女将をしております。サラと申します。――エリアス様、ご令嬢がいらっしゃるなら先に教えてくださいな」
「わるいわるい、うっかりしてたんだ」
気さくに笑い合う様子からして、エリアスと宿の女将は随分と仲がよいと分かる。
「それにしてもお嬢様みずから、荷を取りに来られるなんて」
「いえ、長期の滞在を急にキャンセルしてしまったのでお詫びもかねて伺ったんです。宿代はお支払いしますので、ご安心ください」
するとサラは首を横に振る。
「とんでもございません。これからの季節は旅行客も増えるんで、代金はいりませんよ」
「ですが……」
「実はレンホルム家の代理人から長期滞在の宿として一部屋用意してほしいと連絡を受けた際に、一度お断りしたんですよ。見ての通り、うちは平民向けの宿ですからね」
しかし代理人は「宿泊費は倍請求していい」などとしつこく宿泊を迫り、仕方なく了承したのだとサラがため息をつく。
確かにこの宿は、「公爵家の令嬢」が滞在する格はない。宿の側からしても、あまりに立場の違う相手が滞在するとなれば気を遣わなくてはならないから、代金云々で済む問題では無いのだ。
「ですからレンホルム様がお城に滞在するとエリアス様から聞いて、ほっとしたんです」
「そうだったんですね」
他国の民にまで迷惑をかけていたと知り、アリシアは頭が痛くなる。
(お義母様は何を考えていらっしゃるのかしら?)
彼女に関しての記憶は、父親と同じく全く無い。
療養が決まりロワイエに旅立つまでの数日間、数回顔を合わせたけれど会話は彼女がアリシアの見舞いに来たときに交わした物だけだ。
(継母の嫌がらせ……なんて物語の中の出来事と思ってたけど。そうではないのかしら?
けどこれじゃあ、レンホルム家が恥をかいただけで、嫌がらせにはならないわよねえ)
考えを巡らせていると、サラが「そうだ!」と呟き、机の引き出しから一枚の紙を出した。
「レンホルム様。大変失礼とは思いますが、これを読んでくださいな」
「何だい?」
横からひょいと手が伸びて、エリアスがその紙を取り上げる。
「……乱心のアリシア嬢。捕らえれば賞金、生死は問わない……ってなんだこれは!」
呆れと怒りの混ざった声を上げるエリアスに、アリシアとマリーは困惑して顔を見合わせた。
乱心したという謎の手紙が送りつけられていた件は城で聞いたが、こんな物騒な内容の物まで広まっているのはエリアスも初めて知ったようだ。
「怒らないでくださいよ。こっちも困ってるんです。……昨日、冒険者だって言う男がふらっとやってきて、これと同じ内容の依頼書をギルドと宿に貼れって言われたんですよ。ほら、うちは「旅人ギルド」の世話役もしてるでしょう? それをどこからか聞いて来たらしいのよ」
肩をすくめたサラが、アリシアに視線を向けると安心させるように微笑む。
「もちろん張り出したりなんかしませんよ。バイガル国の王子が起こした不祥事は、とっくに周辺国に知れ渡ってますからね。こんなゴシップ真に受ける馬鹿はいませんから安心してください」
ただ、とサラが声を潜める。
「こんな物を各国に配り歩いてる得体の知れない連中がいるのは、冒険者ギルドでも確認してます。どうか気をつけてくださいな」
「ええ、分かりました」
これはつまり、誰かが虚偽の罪をでっち上げてアリシアを殺害しようとしている証拠だ。一体誰が何の目的でこんな馬鹿な真似をしているのか、アリシアにはさっぱり分からない。
「冒険者ギルドにも持ち込まれたらしいけど、あっちは受付人も荒っぽいからね。馬鹿げた殺害依頼なんて受けられないって、一喝して追い払ったらしいよ」
「あっちは犯罪者に関する依頼も受けるが、正式に罪人登録がされているか確認するからな。私情や、ましてえん罪での殺害依頼なんて持ち込んだら、怒り狂うだろ。女将、これは俺が預かる」
エリアスが紙をたたんで、ポケットにしまう。
「ところで皆さんどうして「旅人ギルド」って名付けたんでしょうか? 総合案内所、とかでもよいのでは?」
ずっと気になってた事がつい口から零れる。
「元々は冒険者ギルドが発祥。でも平和になった今は、由緒正しい冒険者ギルドを抱える街は数少ない。アリシア、これは知ってる?」
「はい」
旅の間に、市井の事はマリーに少しばかり教えて貰った。大陸は探索し尽くされ、「冒険者ギルド」が賑わっている町は辺境ばかりだ。
「ロワイエにも冒険者ギルドはあるけれど、拠点にしている者は数人だ」
「なにせ依頼が殆どありませんからねえ」
サラが相づちを打つ。
「そんな訳で冒険者だけを相手にしていたギルドは立ち行かなくなって、殆どはもっと気軽に情報を交わせる場として生まれ変わったんだ。旅行を楽しむ民が増えるにつれて自然と「旅人ギルド」って名前に変わった訳さ」
「ギルドって言い方は正しくないんでしょうけど、名残というか……まあ、なんとなく? ほら「ギルド」って付いてりゃ、格好が付くし。お遊びの観光客もそれっぽい雰囲気が楽しめますからね」
嫌味ではない笑顔で話すサラに、アリシアも納得する。
「さてと、新しい情報も手に入ったし。荷物を受け取ったら、城に戻ろう」
「ええ、暫くはお城で過ごされた方が良いですよ。私らはアリシア様にこの素敵なロワイエの町を散策してもらいたいですけど。妙な連中がいなくなるまでは安心できませんからね」
「そうですね。では暫くは大人しくしています。――落ち着いたら、また来てもいいですか?」
「勿論ですよ! その時は名物の、魚介パエリアを作りますから是非食べてってください」
気遣ってくれるサラに、アリシアは改めて礼を言う。
そして預けていた荷物を受け取ると、宿を後にした。
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