第7話 三人の訪問者

 一人目は、義妹のダニエラ。


 ノックも無しに入って来ると、寝ていたアリシアを揺さぶって無理矢理起こした。


「ん……誰?」

「お姉ちゃん! 私よ!」

「私さん?」

「ダニエラよ! 本当に、記憶喪失なの?」


 時計を見れば、短針は四時を指している。どおりで室内が薄暗いはずだ。

 のろのろと身を起こしたアリシアは、ベッドの側に立つ「ダニエラ」と名乗った少女を見つめた。


「あなたがダニエラね。初めまして……じゃなかったわね。ごめんなさい、本当に憶えていないのよ」

「じゃあ惨めに婚約破棄されたことも、無様に転んだことも忘れちゃったの?」

「そうよ。折角のおめでたい場を台無しにして、ごめんなさい」

「……?」

「だって、あなたの婚約発表の場だったのでしょう?」


 にやにやと妙な笑みを浮かべていたダニエラが、急に狼狽え出す。


「あ、うん。そうなんだけど……悔しくないの?」


「どうして? 私、王太子の顔も名前も忘れてしまったし、婚約していた記憶自体がないのよ。王太子はきっと聡明な方なのでしょうね、あなたみたいに素敵な令嬢を選ぶのは当然だわ」


 ちなみに、ダニエラは夜会帰りなのか頭のてっぺんから足の先まで完璧な装いだ。

 寝ぼけた頭をフル回転させれば、自ずと答えは見えてくる。


(一晩中踊っても大声を出せる体力。王太子を魅了する話術があるということは、人脈も広い……私には絶対に無理だわ)


 基本的に、王妃に求められる資質は「世継ぎを産む体力」に他ならない。子を一人産めば終わりという訳ではなく、外交のために他国へ嫁がせたり不慮の事故や病で跡取りが亡くなった場合に備え、数は多ければ多いほどよいのだ。


 つまりダニエラは、その体力と外交の能力があるとアリシアは見抜いたのだ。


「素敵な令嬢……そうね。辛気くさいお姉様より、ずっと私の方が妃に相応しいわ」

「ええ、あなたならきっと立派に勤めを果たせるわ」


 その手を取り、アリシアはダニエラに微笑みかける。


「……ありがとう、お姉様……」


 それきり黙ってしまったダニエラは、居心地悪そうに暫く突っ立っていたがアリシアが小首を傾げると、手を振りほどいて部屋から走り去ってしまった。


*****


 二人目は、義母。


「――本当に忘れてしまったの?」

「はい」

「でもね、その……あなたがいないと、色々困るのよ」

「色々、とは?」


 何故か義母、言葉に詰まってアリシアを睨んでいる。これはもしやと思い、アリシアは真摯に告げる。


「ご安心ください、お母様。私は王太子に未練など全くございません。むしろ妹が王太子とご結婚なさった方が、この家のためだとも思っております」

「そ、そうなの?」

「ええ、お母様は私が婚約破棄のことで怒っていると考えて、不安になっていらっしゃるのでしょう? それは全くございません、神に誓います。考えてもみてください、お母様に似た愛らしいダニエラの方が王太子の妻として相応しい女性です」


 すると義母は、うふふと妙な笑い声を上げて頬を染める。年齢に比べて義母は若く見えるが、ちょっとその仕草は気持ち悪かったけどアリシアはあえて気にしない。


「わたし、可愛いかしら?」

「はい。お母様とダニエラはそっくりですよ。だからダニエラは、王太子にとても愛されるでしょう」


 そう、そしてきっとダニエラは、多くの子を産むだろう。


「でも、公爵家の跡取りはあなたが適任だと思うのだけど。その、領地の管理とか」

「もしも記憶が戻ったとしても、私は公爵家を継ぐつもりはございません。ダニエラの子を公爵家の養子として迎えた方が、よいと思いますよ?」


 しばしの沈黙の後、義母はアリシアの提案が素晴らしいものだと理解したらしく、先程とはまた違った気持ちの悪い笑みを浮かべた。


「あなたの言うとおりだわ、アリシア。ゆっくりと療養してらっしゃい。記憶が戻っても、帰ってこなくていいからね」

「ですが、父が怒りませんか?」

「公爵のことは、私に任せて。ああ、なんてよい娘を持ったのでしょう。神に感謝だわ」


 踊るように飛び跳ねながら寝室を出て行く義母を見送り、アリシアはベッドに潜り込んだ。


*****


 そして三人目は、王太子のマレク。


 ベッドに座り髪を梳かしていると、ノックと同時にマリーが来訪者の名を告げる。

 まだ身支度を調えられる体調ではないと扉越しに伝えて貰ったが、マレクが構わないというので部屋に入ってもらう。


「このような格好でご挨拶申し上げるご無礼をお許しください」

「気にするな。君が記憶喪失になり、三日間も昏睡状態だったと昨夜知ったのだ。見舞いが遅くなってすまない」


 アリシアの元に駆け寄ってきたマレクに、アリシアは笑みを向ける。

 それをどう取ったのか、マレクが気まずそうに視線を逸らす。


「君には辛い思いをさせてしまった。まず謝罪させてほしい」

「いいえ、結構です」

「え?」


 全くの予想外だったらしく、間の抜けた声を上げて固まるマレクをアリシアはまじまじと見つめる。


(王太子……うわあ、これが国を背負う人かぁ……ダニエラ苦労しそう)


 顔はいい、と思う。ただ何というか、全く苦労も挫折もしてこなかった人特有の、傲慢と幼稚が顔に出ている。

 帝王学は学んでいる筈だが、きちんと理解しているとは思えない。


「あなたが私との婚約を破棄して、ダニエラを新たな婚約者に選んだことは聞いております。ですがいまに至るまで、私は貴方の顔すら思い出せなかったのです。ですから、気にしないでください」


「……アリシア? その、私と君は愛し合っていた。だからその、せめてもの罪滅ぼしに、君を寵妃として迎えようと……」

「何を馬鹿な事を仰るのですか!」


 強い口調でマレクの言葉を遮り、彼を睨み付けた。


「寵妃を迎えることに関しては、問題はないと存じております。ですが王が寵妃を迎えるに当たり、妃の元の身分より低いものを迎えるのが決まりでございます」

「あ、はい」


 それまでどこか酔ったような話し方をしていたマレクが、気の抜けた返事をする。


「私は公爵家の長女、ダニエラは妹。つまり私はダニエラより身分は上でございます」

「でもそんなことは別に……」

「王家の決まりを貴方が破ってどうするのですか! しっかりなさい!」


 怒鳴りつけると、マレクは子どものように項垂れるが容赦はしない。これから彼には、国王となって国を支える大切な責務が待っているのだ。


「私は王太子とダニエラの婚約を、心から祝福しております。どうか私の事は忘れて、ダニエラを愛してください」


 強がりでもなんでもなく、これはアリシアの本心だ。

 王太子は、もごもごと「でも」とか「だって」など、よく分からないことを呟きながら部屋を出て行く。


 幸いなことに、彼らがアリシアの見舞いに訪れることは二度となかった。


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