第15話 西野涼太郎と吉岡光梨の友情①
「美学です」
特に打ち合わせたわけでもないのにたまたま二人とも一皿目に選択した甘エビの握りを、涼太郎が口に運んだ時、向かいの
「美学?」
「よく言うじゃないですか。そのやり方は私の美学に反する、とか、彼には彼の美学がある、とか。そういう流儀とかスタイルみたいな文脈で使われる美学じゃなくて、本来の意味での、美学。哲学のひとつのサブカテゴリとして、美や芸術や感性について探求する学問です。それが私の専攻」
その補足説明が添えられなければ、今の光梨の言葉が、席につくなりタブレット端末で適当な握りや軍艦を片っ端から注文リストに入れながら、ほとんど間投詞のように放った「そういえば
「……興味なさそうやなあ」
「え? いやいや、興味は大いにあるさ。美学というもののイメージがパッと浮かんでこなかったんだよ。いかんせん僕は生粋の理系なものでね」
甘エビを二貫いっぺんに頬張って物理的に頬を膨らませながら睨んでくる光梨を前に、涼太郎は首を横に振る。
吉岡光梨は涼太郎の中高の後輩だ。
といっても頻繁に顔を合わせるほどの仲ではなく、昔から変わり者で思弁的な問答をしょっちゅう吹っかけてきたことと、同じ軽音楽部の部員の中でなぜか涼太郎ただ一人だけがそのターゲットとなり心底厄介だったこと、そして大学では文学部に入ったということまでは辛うじて把握していたものの、今や思弁癖が高じて哲学を学んでいるとは、知る由もなかった。
まあ教えてもらったところで、もともと哲学や芸術に関する知識など皆無に等しいから、「一般には、今の美学はドイツの哲学者バウムガルテンが創始したとされています。ライプニッツ=ヴォルフ学派の人ですけどね。ゆーてもバウムガルテンが提唱したのは感性的認識論としての美学であって、私がやりたいのはデュフレンヌあたりの現象学としての美学なんで、バウムガルテンみたいに美を認識するプロセスがどうのこうのとかってよりは、もっとこう、美的体験が個々人の意識の中でどう経験されるかとか……」などと寿司のレーンよりも速く回り続ける光梨の口を前にしても「バウムクーヘン? そういや最近食ってないなあ」としか思わない涼太郎である。
「で、要件はなんです?」
先ほどタブレットで注文したばかりの炙りサーモンがちょうど目の前を流れていき、取るか否か逡巡しているところに、光梨が声をかけた。
「まさか私の研究テーマを聞くためだけに、およそ一年ぶりの再会の場を設けたわけじゃないでしょう。もしかして告白ですか? それなら
「ストップ」
涼太郎はまさしく一時停止ボタンを押すかのように、人差し指を光梨の眼前に突きつけた。光梨の大きな目が一層見開かれる。と同時に、滔々と溢れ出ていた言葉が打ち切られたように止まった。
「そのくらいにしておけ」
言いながら、立てた人差し指をゆっくりと左右に振った。その動作に合わせて、光梨の瞳もきょろきょろと動く。
これが、高校時代うんざりするほど彼女の演説やら詭弁やらの相手をさせられてきた涼太郎が身につけた、光梨の制御術である。
「ちょっとした相談があってだね。なにしろ、吉岡さんにしか話せないことなのだよ。といっても人生における深刻な悩みとかではない。残念ながら、愛の告白でもない」
「簡潔にお願いしますよ。西野さんと違って暇じゃないんで」
うにいくら軍艦を口に運ぶ光梨に向かって、涼太郎は身を乗り出し、組んだ腕をテーブルに乗せた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか咀嚼の速度を遅めた光梨に、涼太郎はほとんど耳打ちするように、声を押し殺して言った。
「教えてくれ。シリウス・ガールについて」
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