第6話 スプレンディドマンの窮状

 そこからの経緯いきさつは、既に語った通りである。


 そして今、スプレンディドマンは無様にも命乞いをしている。


「マジで頼む、今夜はもともと働く予定じゃなかったんだ。早く帰らせてくれ。面倒を避けたいのはお互い様だろ? お前のことはそのうち俺以外のヒーローが捕まえてくれるだろうからさ、今夜だけは本当に、明日朝一で研究発表だし、そのレジュメにまだ一ミリも手付けてないし、先々週から溜まってるアニメもあるし家事もしなきゃならんし、こっちにもいろんな事情ってものがあるんだよ。な? わかるだろ?」


 思いつく限りの御託をごたごた並べるスプレンディドマン。ヒーローとは到底思えないほど情けないその姿に、スプレンディドマンを見下ろす――もとい、見下みくだすレイヴン・ヤングは、呆気あっけに取られて分身を解いて一体に戻ったのだが、ひれ伏すスプレンディドマンはそれに気がつかない。ただでさえマスクに隠されているうえ闇の支配者にふさわしく真っ黒なレイヴン・ヤングの顔は、まったく視認できないが、どんな表情を浮かべているかは想像に難くない。


「……そうだなあ、まあ見逃してやってもいいんだが」レイヴン・ヤングは腕を組んだ。


「その弱気な態度が実はペテンで、俺様が油断した隙をついて、手のひらを返してふんじばってやろうとでもはかっている、その可能性は十分に考えられるよなあ」


 そんなような台詞は普通、ヒーローが悪党の側に向けて発するべきものである。


「いやいやまさか、はなはだ被害妄想が過ぎるでごじゃりますよお客さん」


「盗みを生業としてるもんで、俺様は心配性でね。悪いが、生かしておくわけにゃいかんな」


 スプレンディドマンは顔を上げた。


 彼はそこで初めて、レイヴン・ヤングの背中から生える巨大な翼を目にした。絵の具を全色めちゃくちゃに混ぜ合わせたように黒い翼は、それ自体が壁に投げかける影との境目を曖昧にして、左右へとどこまでも伸びている。そこには鋭利な羽根がびっしりと生え揃っている。スプレンディドマンを喰らおうと大口を開ける怪物の、剥き出しになった牙のように見えた。


「よく言うだろう? 立つ鳥跡を濁さず、と」


 レイヴン・ヤングは巨大な両翼をこちらに向けて丸め、スプレンディドマンの身体をすっかり包み込んでしまった。皮肉にも、慈悲深く抱擁されている気分がした。視界は一面の黒光りする羽根。その一枚一枚に、既に死相を張りつけた自分の顔が反射しているのを、スプレンディドマンは見た。


「――シリウス・フラッシュ」


 その瞬間。


 明るい女の声とともに、目のくらむほどの閃光があたりに満ちた。


    ※  ※  ※


 初めは、極限状態に陥ったことによる幻視や幻聴の類かと思った。


 それが確かな現実であると知ったのは、「なんだ……?」レイヴン・ヤングの狼狽える声が耳に入ったからだ。


 直後、爆音とともにレイヴン・ヤングの身体が吹っ飛んだ――かに見えた。閃光によって、視界があやふやになっていた。


「貴様……やはり仲間を呼んでいやがったか」レイヴン・ヤングが恨めしげに言うのが、遠くに聞こえる。


「仲間? 待ってくれよ、俺は誰にも連絡なんてしちゃいない」


「ええ。私だって、呼べば来るような軽い女じゃない」


 女が言った。ようやく視界が安定してくるとともに、スプレンディドマンは目を見張った。


 そこには彼に背を向けて、一人の女戦士が仁王立ちしていた。レイヴン・ヤングとは正反対、白いスーツに身を包んでいる。単なる白ではない。星の光の、最も明るい瞬間を捉えたような、真の白である。


 女の姿には見覚えがある。というより、その外見的特徴と合わせて信じがたい噂の数々が取り沙汰されるのを、スプレンディドマンは嫌というほど耳にしてきた。


「き……貴様は、まさか、」尻餅をついた姿勢で後退あとずさりながら、レイヴン・ヤングが泣き出しそうな声を発した。


「一度しか言わないからよく覚えておいて。エンシェントロブスター・シティ、市民生活部ヒーロー課所属、」


 まだ若く、ヒーロー歴も浅いという。しかし戦闘に関して天賦の才を持ち、そのあまりの強さゆえに「正義の一等星」「狂った天使」「純白の裁定者」など、複数の異名で呼ばれる、恐るべきスーパーヒーローが隣町には存在する。その名は――


「シリウス・ガールよ」

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