ヒロイズム

加賀 魅月

本編

 俺の仕事はスーツアクター。言わば、夢を見せること。子供騙しの、小さくて、大きな夢を。

 炎天下、俺はちょっとした遊園地の一角で暑苦しいスーツを着ていた。

 全身派手な青色で、金のラインが入っている。べたべたと身体に張り付く通気性皆無の衣装は、俺の身長にぴったりのサイズでそれがまた嫌に暑い。

 逃げ場のない汗がとめどなく全身を伝う。正直すごく辛い。今まで何度も熱中症になりかけた。


 もうやだ、と無意識に零していた。


 そんないくらかが積み重なった、些細な飽きや嫌気かもしれないけれど。または、どんな仕事でもあるような「慣れ」のような倦怠感かもしれない。


 それでも、やめたい、と思うことが多くなった。いつからか、やりたかったはずのことや好きなことが楽しいと思えなくなった。

 俺は昔、本当は何がしたくて、何が好きで……何に、なりたかったんだろう。空っぽだな、と思って自嘲の笑みがこぼれた。


 何もねぇんだよ、俺。


 昔好きだったことに縋って、今でも好きなのだから、好きなはずなのだからと言い聞かせている。

 この仕事が嫌いって訳でもないけど、好きとははっきり言えなくなった。それがなんだか虚しくて。

 何でもないことでいっぱいいっぱいになって、辛くないことが辛くて、苦しいんだ。悲しくて、胸が痛くて、

「やるせねぇ……」

 そう、やるせないんだ。どこにも行けないから。

 行きたい先も望むものも、何も、ないから。受け入れてくれる人も、手ェ伸ばせば届くような光も、無くなったから。

 ――いいじゃん、ヒーロー。かっこいい。

 あの頃のあいつの声は、今でも耳にこびりついている。

 吹っ切れたはずだった。やっぱりそいつも過去にいて、思い出だ。


 停滞、という表現が現状にはまりすぎて、前を向けなくなった。ほんと、そのまんま時間だけが経って、勝手に腐って、少しずつ色を変えて、形を、見た目を変えて……

「もうすぐ次、始まるよー!」

 遠くから聞こえた声に思考を遮られる。顔を上げると、プロデューサーさんがゆっくりと歩み寄って来ていた。

 はい、と返事をしながら時計を見る。今日はそれがラスト。ふぅ、と一息吐いて仮面を被る。

 あとはもう、流れに任せるだけだ。



 ショーが終わった頃、もう夕陽が赤く差していた。見ている人はまばらで、まあ一日に何回も公演してりゃこうなるよなって感じだった。

 終わったーと楽屋に戻ろうとする俺の方に一人の男の子が走ってきた。なんか見たことあるなってすぐに思い当たった。朝一から最後までずっと目ぇキラキラさせて見ててくれてた子だ。

 そりゃなんとなく憶えちゃうだろ、少年。

「お兄ちゃん、ありがとう! かっこよかった!」

 何を、と思った。ずっと楽しんでてくれたのは君で、感謝するのは俺の方だよ。

「ぜぇったい、わすれないよっ!」

 唐突な言葉にハッとした。

 そうか……思い出したよ、俺。これ、そういう仕事なんだよな。

 きっとあの子は忘れちゃうだろう。だけど、いいんだよな、それで。記憶は消えるんじゃなくて、積重の土台になって、成長する糧になる。

 それに。それに、俺は忘れないからさ。そういう一つ一つがまた、きちんと俺の糧になる。

 はぁーっ、て長く伸びをして、今度こそ楽屋に戻る。着替えて、事務的な話とかして、それから帰る支度をする。


 外に出ると空が暗く、まだまだ熱の籠った風が吹いていた。生暖かくぬるっとした気温に足を早めると、遊園地の入退場ゲートのところに、ぽつんと立ってる背中が見えた。

 すぐに心当たりがあって、あんまり会いたくねぇなあとか思うけど。ま、あそこ通んなきゃ帰れねぇし、通るしか無い。

 近づいていくと、足音に気づいてか、そいつは体ごとこちらに向けてきた。

「よっ」

 思いの外楽しそうに笑っていた。

「ん、おう」

 気圧されたように、少し掠れた声が出た。

「安心した。なんだかんだで、ちゃんと続けてるじゃん」

「まあな。働かないと死ぬし」

「でも、まあまあ死なないじゃん」

 ……そんなことはねえけどな。

「なんでそんな変な言い方すんの?」

「どんなにいやだーって思っても、どうせ続けるでしょ。バイトして生活費補ったりしながらさ、それでも君は続けるのを、私は知ってる」

「……そうかよ」

「うん。だってさ、やっぱり君はヒーローだもん」

 声が出なかった。多分、今一番欲しい言葉だった。すとんと、胸の奥まで染み渡っていくのを感じる。

「ちゃっかり人を笑顔にさせてて。言ったでしょ? かっこいいんだよ、それ」

 何も言えないまま、俺が聞いていることだけを確認して彼女は続ける。

「……だからさ、キミが卑下するほど惨めなものじゃないんだよ」

 過去、一番そばにいて欲しい人だった彼女の声の、優しさに包まれる。


 ――やっぱさ、安定した給料入んねぇし、お前も辛いだけだよ。こんなギリギリで食いつないでる男じゃ。

「ほら、別れた理由がなくなっちゃった」

 肩がピクってした。そんなはっきり覚えてたのか。

 ちょっとニヤけるのをため息でごまかす。

「はぁ……そっかよ」

 彼女はしたり顔で近寄ってくる。

「じゃあほら、どうする?」

「……なるようになるんじゃねぇの」

「えぇー、それはつまり?」

 にやにやされてる。照れてんのわかってんだろ……

 ったく、性格悪いな、こいつ。

「……そういうとこだけは嫌い」

「ええっ! 台無し!」

 俺もまた、ひとつ夢を見る。小さいのかな、大きいのかな。

 わからないけれど。彼女の見せる夢は、なんだかとても心地よかった。

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ヒロイズム 加賀 魅月 @making_your_night

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