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  • まぼろしへの応援コメント

    読む側としては、男女二人のそれぞれの事情を含めたやり取りを、第三者として眺めるように読んでいるわけですが、それでもやはり、小説世界に引き込まれずにはいられませんでした。これほどの遠距離恋愛は、現実的にどうなの? と思う私の気持ちを、「ひっつき虫」のひと言で小説世界に引き戻されるような感覚でした。とても穏やかで、でもそれだけではない小説世界を堪能しました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    @sakamonoさん

    「小説世界に引き込まれずにはいられ」ない。
     そのようなものが書けたと言って頂き、めっちゃ嬉しいです。そしてそれを堪能して頂いた。私が至福です。

     読んで頂きありがとうございます。

    真花

  • まぼろしへの応援コメント

    すごく好きです。
    夢に出てくる視覚と聴覚以外の情報って、現実世界にまで侵食してくる爪痕みたい。
    それは幸せな感触であり、だけど取り戻してもいないものを何度も喪失する経験であり。
    だからこのラストシーンって、夢の続きみたいにふわっとしてるけど、やっぱり感情がすごく強い。それは主人公の諦めだったり、相手が居ないことへの抗いだったり。

    三年以上だから、相手のいない弛緩した日曜日を156回は繰り返すわけで。
    14時間の時差、左腕の何もない空間。
    愛ってそれを埋められるのかな、とは考えてしまいます。愛、言葉だけだとすごく強そうに聞こえるのですけれど。

    作者からの返信

    うみべひろたさん

    「すごく好き」と言って頂いて、飛びそうに嬉しいです。
     ラストシーンに感情を感じて頂いて、これも嬉しいです。このシーンのために他の全てがあるような作品ですので。

     156回の弛緩した日曜日って、数字にするとえげつないですね。
     愛で埋められるか。それこそ、読み手に考えて感じて貰いたい、そう思っています。

     読んで頂きありがとうございます。

    真花

  • まぼろしへの応援コメント

     こんばんは。

     おそらく読む人によってはとても心温まる話にもなるのでしょうが、少なくとも僕は、「大衆消費社会の恋愛がリアルに描かれている」と思いました。固定観念や古い家族観にとらわれない辺りは自由な一方で、乗り換えようと簡単に思ってしまえるような、軽い関係という気がします。
     特に、本作のキーとなる「愛を試そう」というフレーズには、とても違和感がありました。少し考えて、これを言っている主人公の「僕」には、「愛を育む」とか「苦しいときにこそ支え合う」といった発想が欠けているのだろう、と思い当たりました。彼にとって愛は「そこにあるもの」、「変わらずにあるべきもの」、「芽生えた(売られていて買った)瞬間からすでに最高潮(最高品質)でなければならないもの」なのかもしれません。そして、ここから先は僕の偏見かもしれませんが、彼にとって愛は、快楽と自己肯定感を享受(消費)するためのチャネルでしかないような印象を受けます。由佳さんが年齢のことを気にしたときも、彼が最初に言うのは「具体的に、何歳なの?」。まるで、「ひと回り年上の女性でも恋人として受け入れられる寛容な僕」に酔いしれているかのようです。女性が実年齢という“弱み”を見せたことで、自分の方が優位に立てたと思っているのではないかと勘繰りたくなります。
     愛する人がニューヨークに転勤すると聞かされたら、栄転を祝福するとか、慣れない外国生活のことを心配するとか、プロポーズが遅れてさらに高まる妊娠・出産のリスクを憂慮するとかあるでしょうに、彼が言うのは、
    「別れるってこと?」
    「無理があるんじゃない?」
    「由佳はキャリアのために仕事のためにニューヨークに行きたい。同時に僕をキープもしたい(ってことだよね?)」
     ……大好きなママが新しい赤ちゃんのお世話ばかりでヘソを曲げる子供じゃあるまいし、本音はどうあれ「君がそのつもりなら応援するよ」くらい言ったらどうなんだ、とカビの生えた感性の僕としては思ってしまいます。「愛を試そう」という言葉の後の話も、「時差は残酷に、二人が連絡を取り合う頻度を奪っていった」と記すのみ。「ニューヨークには持っていけないが捨てるのは惜しい物を実家に送ることになったとき、ご両親に挨拶させてもらった」とか、「彼女から聞かされるニューヨークの話が刺激的で、僕も英会話の勉強を始めた」とか、「彼女が恋しいと言うから某ラーメンチェーンのインスタント麺を送り、そのついでに近況をつづった手紙を添えたら、とても喜ばれた」とか、彼女を“本気で愛している”なら色々出来ることがあるでしょうに。ですが、先述の通り、大衆消費社会と化した今の日本には、恋愛の真っ只中であってもこういう態度の人は多そうですね。
     ラストシーンに関しても、読む人によって感想は変わると思いますが、少なくとも僕は、「最終的に彼が懐かしく思い出すのは、由佳さんの人間性ではなく、自分の身体への感触(あるいは由佳さんの甘えっぷり)なんだな」とやるせなくなりました。彼はどこまでも受動的で、責任回避的で、親鳥を待つヒナのように口を開けるばかり。自分から愛する人に思いを伝えるとか、愛する人がつらい時期を支えるとか、頑張る恋人に見合うだけの男になろうとか、そんな努力をする気配は一切ありません。交際相手より若いというアドバンテージを失ったとき、彼はどんなモンスターおやじと化すのか、心配になるほどの義理はありませんが、彼が今の日本人にありがちな人物像だと思い出すとき、現代社会の今後が心配にはなってしまいます。

     長文失礼しました。
     このコメントはただ僕の感想を書いただけですが、長すぎて邪魔になるようでしたら遠慮なく削除してください。

    作者からの返信

    あじさいさん

     コメント、感想ありがとうございます。

     彼のことは、未熟な、愛することを分かっていない、そして自分勝手な人物として書きました。おっしゃる通りの「ヒナのように口を開けるばかり」です。
     ただ、一般的な人物像とは思っていなかったので、「今の日本人にありがちな人物像」だとの指摘に、ゾッとしました。こんな彼みたいなのがたくさんいるんですね。
     私としては彼が成長して、愛することを出来るようになることを望んでいますが、どうでしょう、こう言う人はずっと変わらないものなのでしょうか。まぼろしがそのきっかけになったらなと、思ったのでした。

     コメント、消しません。
     熱量のある感想を頂いたことは、衝撃と共に嬉しさがあります。

     読んで頂きありがとうございます。

    真花