第3話 忘れてたこと、忘れたいこと

 どうすればいいんだろう、と考えて、ひとまず身体に戻れないか確かめることにした。


 けど。


 透き通っている腕を見て、怖くなる。身体をすり抜けたら、それこそ本当に自分が幽霊のような、在って無いような存在だと証明してしまう気がして。


 自分の身体を眺めながら手を触れようとして、引っ込めてと繰り返す。

「…………どうしよ」

 きっとだれにも聞こえてない声なんだろう。けれど私には、自分の耳には音が届いた。それだけでこんなにも嬉しくなる。


 よし、もう一度やってみよう。と手を伸ばそうとした瞬間、ドアが勢いよく開いた。


 あまりに唐突だったから、思わず「ひぇっ」と間抜けな声とともに跳ね上がる。

「………………え、どういう……」

 聞き覚えがない、けれど「知っている声」だった。

 おそるおそる顔を上げる。

 黒い髪に茶色い縁のメガネをかけ、中学生のブレザーに身を包んだ少年が、衝撃を受けた顔で固まっていた。

「え、ひつぎ先輩………………死んじゃったの?」

「勝手に人を殺さないでくれるかな?アケボシ君」

 そうだ、と口をついて出た名前にハッとなる。彼はもう一人の隣人、佐藤 明星あけぼし。ひとつ下の、可愛くない後輩だ。ちなみに眼鏡はダテ眼鏡だ。


 小学校の学童保育のときから一緒で、なにかと面倒を見ていた子なのだが、なぜそんな身近にいた子を今の今まで忘れていたんだろう。


「でも、透けてるし、二人いるし……ってよく見たら先輩ちっちゃくね?」

 明星の指摘に「やっぱりか」となる。記憶がその辺で止まっていたし、なんとなく「私」は幼い姿な気がしていた。

「私にもわけがわからないの。気づいたら自分が目の前で寝てて……ここまで育った記憶がないのよ」

 手を振りながらため息をついてみせると、明星は眼鏡を押し上げながら「つまり」と言う。探偵ものアニメの主人公の真似をしていたら癖になったらしい。

「先輩が7歳くらいの見た目してるのは、記憶が7歳で止まっているから……?」

「たぶんね。でもあんたのこと忘れてたのに、今パッと思い出したのよ」

「てことは、ひつぎ先輩に関係あった人に会っていけば記憶が戻るってことですかね」

 かもね、と返してみたものの、なぜだか乗り気になれなかった。


 この胸のもやもやというかグズグズした感情というか、足枷のような想いがやけに引っかかった。えてして、こういう予感は後に後悔へと繋がるものだ。


「じゃ、ひとまず……小学校行ってみます?」


 明星の提案に眉が寄る。

「なんで小学校?どう見たって高校生くらいじゃないの」

 自分を指しながら言うと、明星は「やれやれ」と言いたげに大袈裟に肩をすくめてみせた。むかつく。

「いきなり高校行ったって記憶が結びつかないかもしれないじゃないですか。こういうのは今ある記憶から徐々に人生史を辿ってったほうがいいんですよ」

 そんなドラマにありそうなセリフを言われても、と呆れる。けれど言いたいことはわかる気もするし、


──私いま、「高校」に行かなくなったことに安堵した?


 無意識にため息が出た。呆れたほうのではなく、ほっとした方のため息が。なぜ、と記憶を掘ろうとしたが、なぜだか胸の底が寒くなって、指先が小さく震えた。

「てか気になったんすけど、先輩って、病院の外出れるんですか?」

「……どうだろう」

 なにせ今さっき意識が覚醒したばかりなのだ。部屋の外へ出ようなんて試み自体浮かばなかった。

「じゃ、とりあえず今日は病院ぐるっとします?問題なかったら明日学校行きましょう」

「そうだね。けど……」

 一緒にくるの?

 と、聞こうとした口を閉ざす。来て欲しくない、と言ってるようにも聞こえるし、なによりこの子は天邪鬼なところがあるから、そんなこと言えば「は?行かねーし!」みたいな反応になるだろう。


 それはちょっと、寂しい。


 もしかしたら、彼しか私のことを見える人がいないかもしれないから。そんな自己中心的な考えを内に秘め、アケボシに悪いと思いつつも、幽体離脱してしまっている間すこし付き合ってもらうことにした。

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