五、野良猫パラダイス

 冷静に考えたら、喋ると傷が痛む人を、話せない蛍が一人でお見舞いにいくのはよくない。

 というわけでエッサイくんとの交流は次の機会に見送って、散歩でもすることにした。支部内待機の身分だけれど敷地内から出なければ問題ないだろう。

 運動にもなるし。


 それで建物の裏やら駐車場をぶらぶらしていたら、目が合った。白黒茶のまだら模様の典型的な三毛猫と。

 首輪はしていないし、毛並みも荒れているから野良だろう。


『どこから入ってきたの?』


 しゃがんで視線を近づけてみる。野良猫はしばらく近くをうろうろしていたが、そのうちするりと擦り寄ってきた。

 どうやら撫でさせてくれるらしい。被毛は砂混じりで心地よいとは言えない感触だが、当の猫は満足げにゴロゴロと喉を鳴らしてくれるので、蛍としても悪い気はしなかった。

 なんだか癒やされる、とっても幸せな音。


 いつの間にか周囲には他にも野良猫が集まってきていた。とくに三毛猫は仲間を呼んだりしていなかったと思うが、テレパシーでも使えるんだろうか?

 白黒ぶち、赤っぽい茶トラ、黒茶のサビ。兄弟なのかよく似た顔立ちで、模様の配分はそれぞれ異なるキジ白たち。真っ黒、真っ白、シャム猫風。

 果ては気品ただようグレーと黒のマーブル模様まで、色とりどりの猫が集会のごとくやってくる。


『よしよし。……ふふ、かわいい』


 みんなこぞって撫でて撫でてとおねだりしてくるので、蛍はマッサージ師にでもなった気分だった。毛の中にノミがいて痒いのかもしれない。……それはこちらに移らないように気をつけないと。


 ――にゃおう、みゃう、みゃあ。ひゃーん。


 猫たちは意外とお喋りだ。人間の赤ちゃんが笑っているみたいな、囁くような鳴き声が耳に優しい。


 と、まあそんな感じで野良猫たちと戯れていたところ。



「――おまえホンット猫に愛されてんなぁ~」


 はっと顔を上げると、時雨がこちらを見下ろしていた。その後ろでは鳴虎が車のドアを閉めている。

 野良猫たちはリラックスしていた身体をぎゅっと強張らせて各々立ち上がり、いそいそ離れていってしまった。


「……」

「そして相変わらずオレは嫌われてんだなぁ……なんでだろーな? なんか猫的には怖そうに見えるのオレ? いいけどさぁ別に。ていうか駐車場で何してたん? ……あーね、いいじゃん健康的で」


 ほい、とごく自然に差し出された手を取る。猫の毛だらけなんだけどいいのかな、と一瞬悩んで、けれど結局すぐそれにしがみついた。

 たったこれだけのことが今は嬉しい。鳴虎が来たのがわかっても、離すのが惜しくなってしまう。


「あら、猫祭りは終わり?」

「だってあいつらオレが近づくとすぐ逃げんだもん」

「猫って耳がいいらしいから、騒がしいヤツは嫌なんでしょ。だから蛍は好かれるのよねー。

 で、朝っぱらから外をうろうろできるくらい元気になったわけね?」

「……」

「顔色もよし。それじゃ中に戻りましょ。あ、ちゃんと手洗いなさいね」


 母親みたいな言動に、鳴虎のうしろで時雨が大仰に肩をすくめてみせた。噴き出しそうになるのをぐっとこらえる。


 同時にむくむくと安堵が膨れ上がって、溜息が出そうだった。こういうくだらない『いつものやりとり』が、今はなんとも沁みるのだ。

 これからもずっとこうしていたい。騒念クラマーなんかにこの愛しい平穏を奪われたくない。

 時雨だけじゃなく、鳴虎にもつらい思いをさせたくない。


 ――何かあればいいのにな。私にできること。


 もがく気持ちとは裏腹に、あちこちが痛む。

 打撲の鈍痛と、ガラス片で傷ついた皮膚の鋭痛とが交互に苛む身体では、まだ満足には戦えない。ましてや騒念なんて、今の蛍では歯が立たない。

 一方的に嬲り殺しだろう。


 早く復帰したい。そして強くなりたい。

 ……ならなくちゃいけない。


「おーい蛍、行こうぜ」

『うん……』


 静かに考え込んでいる蛍を、少し離れたところから、まだ逃げずにいた一匹の野良猫が見つめていた。




 *♪*




「――スズメ?」

「違う」

「ん~、じゃあツバメ? ハト? ウズラ?」

「全部違う。……先に言っておくとフラミンゴとダチョウも違うぞ」

「ははあ。そしたらぁ……っヒバリ!」

「それも違うな」

「じゃあカッコウ、モズ、アヒル、クジャク、オウム、インコ……えーっと?」

「どんどん適当になっていってるじゃないか」


 なぜか支部のエントランスホールで大喜利をしていたのは、椿吹つばき班長こと匡辰まさとき照廈てるいえ班長こと雀嗣ワカシだった。

 鳴虎はつかつか歩み寄って「何やってんの」と呆れ声をかける。こんなところで、実働部隊のただでさえ高くない評価をより下げそうな振る舞いは、正直控えてもらいたい。

 二人は萩森班に気づいて、めいめい普段と変わらぬ態度で挨拶を返した。つまりワカシはふざけていた。


「あ、蛍は手洗ってくるのが先よ」

「……」

「給湯室だろ? オレも行く~。喉渇いちった」


 ここは玄関。つまり来客用レストルームを兼ねたトイレのほうが、給湯室より近いのだが。

 ……鳴虎はツッコミたいのを堪えて子どもたちを見送った。たぶん時雨なりに昨日の己の態度を省みて、今日はなるべく蛍の傍にいてやろうという、ある種の気遣いのつもりなのだろうから。


 とはいえ「相変わらずラブラブ仲良ぴっぴですねー」というワカシの言葉には苦笑が浮かぶ。


「で、さっきのやりとりは何? 他班あんたらがアホやってると自班うちまで脳筋バカだと思われるでしょ」

「ボクチャンを責めちゃイヤン。元はと言えば、まーくんパイセンがど忘れしちゃったのがいけないんですからねッ」

「……わかった。さては蛍が騒念になんて呼ばれたかって話ね?」

「そうだ。三文字程度の鳥の名前だったことは覚えてるんだが……ええと、アトリ……クイナ……ヒヨコ?」

「全部違うわよ。正解は……」


 ……なんだったっけ?

 班長が揃ってこうでは脳筋扱いもあながち間違いではないな、とちょっと情けなくなってきた鳴虎だった。ちなみに内勤組からの視線の話である。

 医療チームとか事務方から、影で「実働部隊の連中は荒っぽくて困る」と言われているとかいないとか。



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