三、その少女には色がない
三人組と話していると、蛍の常識と一般女子高生のそれの違いがよくわかる。なんなら
ギャル子ちゃんは物寂しい通りを見回して、ヤな世の中だよねぇ、と呟く。
「ここ十年くらいなんでしょ、音念が騒がれるようになったのって。なんか親が言ってたけど、私らが生まれたくらいの頃はさ、街ってもっと賑やかだったらしいし」
「確かにちっちゃい時は今ほど音念事件なんて聞かなかった気がする……なんで増えたのかしら?」
その疑問には蛍も首を傾げるばかりだ。
音念は生まれてすぐは小さくて、放っておいてもそのまま消えることさえある。周りの音を喰らって少しずつ育ち、ある程度の大きさになって初めて人や物に被害が及ぶので、通報がなされるのはその段階だ。
それに
なのに日々どこかしらで通報が起き、葬憶隊が駆り出される。公的な音念駆除機関として初めて設置された三十年前は全国にほんの十数人の規模だったというが、今は各地方に支部を置き、総勢一千名強の正規隊員を抱えてなお人手不足という状況だ。
音念そのものの出現率が増えたというより、育つのが早くなったのか。あるいは、初めから大きなものが産み落とされるのか。
それだけ人の心が疲弊しているのかもしれないと考えると、やりきれない。
「清川さん、……音念と戦うのは、怖くないんですか?」
ふと敬語ちゃんにそう尋ねられ、蛍は迷いなく頷いた。
『平気。戦い方はわかってるから。本当に怖いのは、どうすればいいかわからないとき』
手順どおりに対処すれば音念は消せる。
見習いが初めはひたすら見学させられるのは、それを学ぶためだ。どんな姿の音念にも焦らず冷静を保ち、特別なことはせず、いつも同じ『作業』を確実に遂行すればいい、と。
蛍の堂々とした態度に三人が「おお……」と感心していたところで、ふと妙な“音”を感じた。
訝しげに辺りを見回した蛍に対し、三人は不思議そうな顔で、手許はいつもどおりに端末を弄っている。誰も何も感じ取らなかったのだろうか。
思わず自分の端末を見たけれど通報はない。いや、あれば大音量のアラームが鳴るので気づかないはずはないが。
けれど、なんだろう。背中を這いあがるようなこの違和感は。
なんとなく焦りでクレープを食む口が早くなる。もっと味わいたかったなと思いながらも、最後のかけらをお冷で流し込んで、ふうと息を吐いた――そのとき。
「!」
蛍がはっと振り向いたのと同時に、向かいの建物の窓ガラスが吹き飛んだ。
「え、何なに、どうしたん!?」
「今の音……!」
立ち上がりかけた三人を手で制する。筆談の暇はない、一応口を『ここからうごかないで』と動かしながら、蛍は祓念刀を掴んで表に飛び出した。
道路にガラス片が散らばっている。人気が少なかったのが幸いしてか、巻き込まれた人はいなかったようだが、逆に音に気を取られて少しずつ周囲から集まってき始めていた。
そこへ飛び出してきた黒装束の少女を見て、人びとはさまざまな表情を浮かべる。
恐怖。安堵。混乱。
蛍は近くにいた人の、端末を握っている手許を指差した。つうほうしてください、と言っても聞こえないのが悔しいが、なんとか手振りで彼らをガラスの海から遠ざける。
バタバタしている間にも“音”が大きくなっている。もう耳ではっきり捉えられるくらいで、それが建物内から表に出てきたら、制服を着ている蛍以外の全員が気絶することもありうるだろう。
それに室内にも人がいるかもしれない。早く救助しなければ、命に関わる。
(応援を待ってる暇なんてない)
蛍は意を決し、音念が潜んでいると思しき建物へ突入した。
中は薄暗い。節電のためか、テナントの入っているところだけしか明かりが点いていないうえに、一部はさっきガラスを砕いた衝撃波で一緒に割れたらしい。
床にもときどき電球の破片らしきものが落ちていた。倒れている人を見つけるたび、それらを避けながら入り口まで引きずるようにして運ばなければならない。
建物の外に出すのが精一杯だ。人命救助と音念駆除、一人でやるのはちょっとしんどい。
なんとか目についた要救助者を入り口まで退避させ終えて、改めて音念の元へと向かう。そろそろ通報を受けた葬憶隊が到着するかもしれない。
しかし時間が経っているわりには被害は落ち着いている。あの最初のガラス破壊だけが妙に派手で、中で倒れていた人たちはみんな見たところ軽傷だったし、中には途中で気が付いて自分で歩ける人もいたくらいだった。
なんだか変だ。
……別に状況が似ているわけでもないのに、先日の任務を思い出した。
通報の対象となった音念とは別に、妙に複雑で強い個体がいた――蛍はそれを上位種の〈
被害が小さいのは良いことだが、あまり状況にそぐわないと少し気味が悪い。
違和感を噛み殺しながら発生源に近づくと、何か、“音”とは違うものが蛍の鼓膜を揺らした。
「もう、ちょっとした騒ぎになっちゃったじゃない。バカね。あなたみたいな子、どのみち長生きできないわよ」
それは――子どもの声、だった。
ぎょっとして思わず駆け寄った蛍の眼に奇妙なものが映る。
煙のようにゆらりと床から立ち上る、黒い靄状の怪物。
その前に女の子が立っている。片手で数えられるくらいの歳に見えるのに、髪は老婆のように真っ白で、着ているのも白一色で飾りもないつるりとしたワンピース。
小さな手は音念の身体を掬うようにして
「――!?」
叫びたくても声は出ない。けれど、まるで蛍の悲鳴を聞き取ったかのように、少女はぱっとこちらを振り向いた。
黄金色の双眸が蛍を見るなり、あっと驚いた表情を形作る。まるで人間のように――こんなところにいる時点で、そんな色の眼をしているものが、人であるはずはないのだけれど。
「……“つぐみ”?」
彼女は、蛍を見て、確かにそう言った。
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