元気不在

 日暮れとともに本日の、そしてこの合宿のメインイベントであるバーベキュー大会がキャンプ場の外れにある河原で行なわれる。

 会場には五十人からの男女テニス部員が一堂に会していた。

 だが、そこに舞の姿はない。


 食べ盛りの運動部がこれだけの人数集まると、そこで消費する食材の量も半端ではない。

 ちらっと覗いたクーラーボックスの中には、そのキャパシティー目一杯にまで大量の肉が詰め込まれていた。

 そして目の前のテーブルの上には、やはり大量の野菜が道の駅の売店よろしく山積みになっている。

 聞いたところによると、それらは地元で精肉店や農家をを営んでいるOBやOGからの差し入れというのだから、その太っ腹加減に恐れ入った。


 河原の中心では小規模ながらキャンプファイヤーも行われており、水面に映る炎のオレンジ色が川の流れに反射し、幻想的ともいえる雰囲気を醸し出している。

 昼間聖に追い掛けられていた不運な魚たちは、もうねぐらに帰って幸せな夢でも見ているのだろうか。

 舞はどうしているだろう。

 ちゃんと寝ているだろうか。

 それとも、誰もいない暗いロッジのベッドの上で、ひとり熱に浮かされているのだろうか。

 腹を空かせてはいないだろうか。

 寂しい思いはしていないだろうか。


 そんなことばかりを考えながら空を赤く焦がす炎を眺めていると、昼間練習の手伝いをした時に仲良くなった女子テニス部の後輩の一人が、気を使って肉と飲み物を持ってきてくれた。

「あ。ありがとう」

「先輩、お疲れみたいですね」

「普段あんまり部活に出てなかったから、流石に今日はちょっと疲れたよ」

「じゃあ、いっぱい食べて元気つけてください!」

 よく出来た後輩はそう言うと、軽く会釈をしてコンロの方に戻っていった。

 去年は自分がそうだったから知っているのだが、調理は基本的には一年の仕事だった。

 彼ら彼女らの労を労ってやりたかったのだが、残念ながら今の俺にはそれだけの精神的な余裕がなかった。


 宴はいよいよ盛り上がりを見せていた。

 少し向こうでは懲りずに川に入ろうとした聖が、割と真剣に先生に怒られていた。

 その手前では、かねてから付き合っているのではとの噂のあった、男女テニス部の部長同士が向かい合って楽しそうに喋っている。

(……舞のところに行ってみようかな)

 そっと立ち上がり、こっそりとキャンプ場の方に戻ろうとした、その時だった。

「お、都筑ここにいたか。探してたんだよ」

 声の主はのしのしとその巨体を揺らしながら近づいてくると、手にしていたビニール袋を俺の目の前に突き出す。

「これ、岩水寺さんに持って行ってあげてくれないか? ゼリー飲料とスポーツドリンクなんだけど」

 先ほどから姿が見えないと思っていたら、どうやら麓にあるコンビニまで買い出しに行ってくれていたらしい。

「……すいません。ありがとうございます」

「いいから。それより早く行ってやってよ。きっと心細い思いをしてると思うよ」

 俺は先生に深々と頭を下げると、すぐさま闇に向かって駆け出した。

「岩水寺さんの部屋は四号室だから! あとくれぐれも変なことはしないように!」

 しねーし。


 今日だけでいったいどのくらいの距離を全力で走っただろうか。

 スマホを持っていればログが取れていただろうが、恐らくは一キロ以上にはなるだろう。

 ただそれも、舞のもとに駆けつけているこれで終わりなのだ。

 最後の体力を振り絞って一秒でも早く彼女の顔を見るべく、夜の闇を切り裂き駆ける。


 暗闇の中に浮かび上がる人気ひとけのないロッジは、まるで廃墟のようにうらびれて見えた。

 念のため足音を殺して中に入ると、四号室と書かれたドアを静かに開ける。

 部屋は暗かったが入口の足元にある非常灯の仄かな明かりに照らされ、一番奥のベッドに人が横たわっているのが微かに見えた。

「……誰?」

「……俺」

 極めて短い誰何すいかの直後、布団の主が起き上がろうとする気配がした。

「起きなくていいよ。小池先生からの差し入れを持ってきただけだから」

 俺の言葉に素直に従った舞は再び枕に頭を沈めると、布団の中から白く細い腕を出してこちらに掲げる。

 俺はそれを優しく握りベッドの縁に腰を下ろした。

「心配掛けてごめんね」

「全然。熱はどう?」

「ん。まだちょっとあるみたい」

 確かに彼女の手は風呂上がりのように熱く火照っていた。

「冷却シート、おでこだけじゃなくて太い血管の上に貼るといいみたいだよ。腕と足の付け根の部分とか」

「イツキ物知りだね」

「テレビで聞いただけだよ」


 彼女とこんなに穏やかに会話をしたことは、今まで一度もなかったかもしれない。

 当然といえば当然だが、体調の悪い時にこんな山奥のロッジで一人きりでいるのは、さぞ心細かったことだろう。

「みんなが戻ってくるまでここにいるから、寝れるようなら寝たほうがいいよ」

「……もう少しだけお話し、しててもいい?」

「うん。でも、熱が上がるといけないから少しだけだよ」

 暗闇の中で彼女の細い首がコクンと動くのがわかった。

「夕方まではお部屋のみんなが居たから、熱はあったけど全然平気だったの。でも、キャンプファイヤーが始まって、一人になったら急に寂しくなっちゃって……」

「もっと早く来ればよかった。寝てるかと思ったから、ごめん」

「ううん。でも、もしこのまま死んじゃったらイツキともう会えなくなるんだって思ったら、本当に悲しくて……馬鹿みたいだよね、私」

「全然そんなことないよ。それに」

「なに?」

「それに、もし俺か舞かどちらかが先に死んだとしても、それでも俺たちはきっとずっと一緒だよ」

「……うん。じゃあ、そうしよっか。お化けでもゾンビでもいいから、ずっと一緒にいようね」

 それは本当に、子どものごっご遊びのような約束だった。

 ただ、彼女が本気でそう願ってくれるのであれば、たとえ俺が先に死んだとしても、絶対に彼女のそばに居続けようと、このときは本気でそう思った。

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