第52話:最後の『晩餐(前菜)』
『スパイさんの晩ごはん。』
第四章:戦争と晩餐。
第十話:最後の『晩餐(前菜)』
あらすじ:老将軍の手紙が隠しポケットに入っていた。
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三度訪れた老将軍の屋敷の中庭で、私は彼と向かい合って座っていた。彼の噂を街で聞かない日はない。再び戦争を終わらせた英雄の名を。
「待たせて悪かったな。」
老将軍が王都に戻ってきたのは、あの手紙を貰ってからニか月後だった。日付の指定が無かったので、私は二月の間、いつ老将軍が戻ってくるか判らない状態で待たなければならなかった。
仕事があれば気も紛れただろうが、疑われているので王宮に近寄れないし、裏路地の裏の裏の裏にある『千鳥足の雄牛亭』はなおさらだ。かといって新しい仕事に就いてもいつ辞めるかもしれない私では迷惑がかかるだけ。
私はラディッシュやチキン先輩の手伝いをしながら、まんじりとした日々を過ごした。待たせた詫びと言って晩餐の招待状を若いメイドに持たせてきたのは更に数日経ってからだ。
私は秘密の抜け穴を通らず正面から門を通った。今日ここで何が起こるか判らないが、招待状をもらったからには何かあっても老将軍が責任を持ってくれる。戦争を終わらせた彼を敵に回し、また私を軟禁する馬鹿はいないだろう。
今の老将軍の屋敷には晩餐のための多様な香辛料の食欲をそそる香りが立ち込めているが、豪胆に笑う老将軍の前で緊張を強いられるのだ。
「どこにいってた?」
若いメイドが注いだ食前酒でカラカラの口を潤し私は尋ねた。さっぱりとした果実酒は柘榴の香りがした。
「戦争を終わらせてきた。」
老将軍は簡単に言うが、国家間の戦争を止めるのは容易い事では無い。両軍合わせて万を超える人間が前線に居る。自軍に言うことを聞かせるだけでも大変なのに、さらに相手に負けを認めさせなければならない。
「本当に?」
ゲームに勝った老将軍に、私の妄言を実現する必要はない。
「なに、前々から仕込みを済ませていただけだ。」
私との約束以前に、もともと計画があったのだそうだ。なのであの日、私がゲームに勝ったとしても老将軍の予定に変更は無かった。だから、対価となる私へのペナルティは他愛もないものだったのだ。
事前に根回しを済ませていたから、戦っている時間は少なくて済んだ。むしろ時間よりも戦後の調整の方が時間がかかったと老将軍は笑った。化物じみたことを平然と言うのがこの老将軍の怖い所ではなかろうか。
「まあ、まだ方向性だけ認めさせただけで、もうしばらく時間はかかるんだがな。」
戦争に勝ったからと言ってそれで終わるものでもない。軍を鎮圧しても反感を持った人間は残っている。戦争で荒れた土地を復興し、反乱が起こらないようにしなければならない。
飢餓から端を発したとはいえ両国にはそれぞれの思惑もある。負けたからと言って素直に従えず、隙を見て利益を確保しようとする者がいてもおかしくないし、勝ち馬に乗ってしゃしゃり出てくる者もいるだろう。
なので、戦後は責任者が残って調整を行うのが慣例だが、老将軍は大まかな方針だけ決めて王宮に報告するために戻ってきたのだそうだ。
「おいおい、これでも遅くなった方だぜ。どこかの誰かに邪魔されて計画を変更せざるをえなかったんだ。どこかの誰かさんのな。」
老将軍は私を見てニヤニヤと笑うが、私に心当たりは無い。王宮での日々では色々な情報をフォージ王国へと流したが、戦況に大きな影響が与えら工作はできていない。
「前菜のサラダにございます。」
私は若いメイドが運んできたサラダに視線を落とした。松の実で飾られたサラダは青々しく、苦い記憶を呼び覚ました。
「もしかすると、あの山奥の別動隊か?」
老将軍が戦争を終わらせるためには手勢を使わなければならない。そういった集団にひとつだけ心当たりがある。と言うかそれ以外に思いつかない。
バスケット王国に潜入するためにフォージ王国を出た私が辿った経路。山を越えて海に出た。猟師くらいしか知らないような山道を息を切らしながら登っている時に、ひとつの怪しい集団を見かけたことがあったのだ。
誰も居ない山の奥に揃いの武装した三十人ほどの大所帯。あまりにも不審だった。狭い山道は一本しか無く、鉢合わせにならないわけが無い。彼らを遠目に見つけた私は近くの木に登り、じっと息を殺して彼らが行き過ぎるのを待った。
最初は冒険者崩れの山賊か、逃げ出した鉱山の労働者かとも考えたが、木の下を通り過ぎる集団の装備は質が良く丁寧に手入れされていた。山中に人間がいるとは思っていないのか、動物や魔獣には警戒しているものの軽口を叩き合っていた。
バスケット王国の訛りで。
彼らはフォージ王国に裏から忍び込もうとしていたのだ。
彼らが通り過ぎた後、私は山道を外れ道無き道を転がり降りた。死ぬかと思った。初めての道だったが登ったばかりだと言うのも幸いして、大所帯の彼らが休めそうな場所には見当がついていた。ある程度の広さがあり、馬に水をやれそうな場所はあそこしかない。
先回りに成功した私は動物が荒らしたように見せかけて枯草をばらまくと、今度は茂みの中に身を隠した。しばらくして彼らはやってきて馬の荷を下ろして休ませ始めた。
馬車が通れるか怪しい道なので、馬は彼らの生命線となる食料や水を背負っていた。馬を失ってはそれらの多くを捨てるしかないので、広い場所があれば荷を下ろし十分な休息を取らせるだろうと予測していた。
魔法は便利だ。
視線が通って入れば魔法陣を浮かべて小さな火を点けられる。それは相手も承知しているはずなので、普段なら厳重な警戒をするのだが、人気のない山奥で彼らの警戒は緩んでいた。
私はこっそりと彼らの荷物に火を点けて回った。
そのために彼らが荷物を置きそうな場所に燃えやすい枯草をばらまいたのだ。開けているので火の手は大きくならないだろうが、煙が上がればフォージ王国の方からも見える。運が良ければ軍も出るかもしれないが、少なくとも食料を失なった彼らは行動できなくなる。
私はついでにと、馬たちの尻を土の魔法の礫で叩いた。
火を消し馬をなだめることでさえ手いっぱいの彼らは、大切な馬が逃げれば更に混乱すると思ったのだ。だが、それがいけなかった。私は彼らに見つかり山道を外れ山の中を彷徨うことになったのだ。
それから何日も道の無い山道を彷徨い、食料が無くなった頃にようやく獣道を見つける。這う這うの体で山を越えて村を見つけた頃には、私は死にかけていたのだった。
彼らが老将軍の手先だったのだろう。
文官のひ弱な人間である私が直接手を下したのはそれしかない。
私は松の実のサラダをフォークで刺し口に入れた。たっぷりの玉ねぎを茶色くなるまで炒めた酸味の利いたドレッシング。瑞々しい野菜を爽やかに引き立てるのだが、鼻の奥につんと来るのはその酸味のせいではない。サラダの中に芥子菜が入っていたのか、あるいは。
「彼らが予定通り使えていれば、おまえがこっちに来る前に終わる予定だったんだ。」
「私が来る前に?」
老将軍の含みのある言い様だと、私がバスケット王国に来ることを知っていたようだ。いや、もしかすると彼は以前から私のことを知っていたのだろうか。
「ああ、そうだ。マートン。いや、オウルと呼んだ方が良いか?」
それは私の本当の名前だった。
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次回:最後の晩餐(主菜)
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