第28話:閑話後編:ターニップの『嫉妬』
『スパイさんの晩ごはん。』
第二章:味噌ほど美味いものは無い。
閑話後編:ターニップの『嫉妬』
あらすじ:小さな友人とティータイム。
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レンティルちゃんに貰ったキャラメルカリントウを味わい、爽やかな紅茶を一口。スッキリとした唇から漏れた吐息に、私のささやかな夢がひとつ、ポロリとこぼれた。
「ああ、私もレンティルちゃんの住む地区まで行ってみたいな。」
戦争が始まってから、私は王都の中心を通る大通りまでしか行ったことが無い。それも必ず父さんか近所の人と連れ立って。
今まではそれで十分だった。
ほとんどの物は近所で買い揃えられるし、賑やかな大通りまで行けば私の好奇心は満たされていた。
だけど、レンティルちゃん達が通うようになってから少しだけ、他の地区にも行ってみたいと思うようになっていたの。
マートンさんが買ってきた美味しいパンやレンティルちゃんが持ってきたキャラメルカリントウとか、少し遠くに行っただけで、新しい発見や美味しい物があることを知ってしまったのよ。
私の近所でも色々と新しい料理が作られてはいる。
王都は壁に囲まれていて新しい家を作れる土地もないし、服にお金をかける余裕もない。だからなのか手間をかければ変わる料理に夢中になる人が増えたのよ。
勇者アマネが伝えた料理が今までの料理のアレンジが多かったのも理由のひとつね。自分も手を加えれば新しい料理が作り出せる。このキャラメルカリントウのように。それに、美味しい料理が作れれば、ひと山当てるのも夢じゃない。
でも、お店を構えられるほどの腕前で作られた料理は、その場まで行かないと食べられない。
カリントウなら冷めても美味しいけど、パンは焼き立てを食べたいし、料理も温かいうちに食べたいじゃない。
だけど、治安が許さない。
噂になっているだけで、スリに強盗恐喝、痴漢に強姦誘拐と、色々な犯罪を耳にしている。それも口伝てに聞くだけだから、知らない地区の噂も聞こえない事件の方が多いはず。
危険な道を避けるために乗り合い馬車に乗るのもひとつの手だったけど、今は不用意には乗れない。
馬も馬車を扱える人も、兵隊さんや武器や糧食を運ぶために早々に戦争に取られて行った。もちろん、広い王都から全員が居なくなったらどこにも行けないので、最低限の人は残っていて運行されてはいるけれど、数の減った馬車は混んでいて私の乗れる場所はないの。
人手不足を補うために女性で御者になった人がいたけれど、混雑する馬車に出る酔っぱらいや痴漢、暴れる人にはあまりにも無力だった。馬が暴れても簡単に抑え込める人だったのに。
喧嘩に強い人を同乗させると高くなるし、そもそも正義感の強い人は先に戦争に行っている。騒ぎのたびに遅れるようになって彼女は引退を余儀なくされた。悪いのは騒ぎを起こす人なのに。
それ以来、女性が安心して馬車を利用できなくなったの。
「もう少ししたら、自由に行き来できるようになるよ!」
「え?!」
信じられない発言をしたレンティルは腰に結んだ鈴を取り出して、私に見せた。
何の変哲もないように見えたその鈴は、音が鳴らないように舌を固定されていて、そこからだらりと紐が伸びている。
「この紐を引っ張ると金具が外れて音が鳴るの。」
悪い人に睨まれて恐怖に落ちた人は声を出すこともできない。だけど、ただ紐を引っ張るだけなら。
レンティルちゃんがパンを運ぶようになって、私みたいに他の地域へ興味を持つ人が増えたそうだ。それらの人が安全に他の地域に行けるように考え始めているらしい。
今までも防犯意識が無かったわけでは無いわよ。でも、地域の寄り合いや、婦人会とかバラバラで、助けの声を上げても届かない場所もあったの。
今まではバラバラだった地域を繋げて比較的安全に歩ける道の地図を作る。どうしてもできてしまう隙間のために逃げ込める場所と遠くまで聞こえる鈴を作ったそうだ。
荒ぶって鳴る鈴の音を聞いたら、お互いに助け合う約束をして。
鈴は自分で振って鳴らすことができるし、走って逃げている時ても、乱暴をされてる時でも勝手に鳴る。犯罪者から隠れるには邪魔だけど、助けが来るとわかっていれば、自分が意識を失っても鳴り続ける鈴は強力な助けになる。
犯罪者を徴発することにもなりかねないし、詐欺には無力。けど、暴漢や誘拐には効果がありそうだし、知らない道でも少し安心できる。
「って、おじちゃんが言っていたんだけど、ターニップは知らないの?」
マートンさんが発案して、色々な組合と連携を初めて、今はレンティルちゃん達が実験として鈴を持ち歩いているのだそうだ。だから、彼女は独りでもこの先のパン屋に来ることができた。
「聞いてないんだけど!」
朝の挨拶と夜の挨拶。毎日のように顔を会わせるマートンさんなのに、私はその話を知らなかった。私は頭に血を登らせかけたけど、隣で静かに詰将棋をしていたルバーブさんが、話に割って入ってきた。
「話が本決まりになるまでは、ターニップちゃんには伝えるななと、ラディッシュが口止めしてたぜ。」
確かに、私が鈴の音を聞いたらフライパンを持って駆けだす自信があるわ。でも、心配するのは解るけど、ぎっくり腰持ちの父さんでは役に立たないじゃない!
それにマートンさんも、マートンさんよ。父さんなんかの口車に乗って私を除け者にするなんて。と憤慨していると、レンティルちゃんが申し訳無さそうに私をなだめてくれた。こんな小さな子に気を使わせちゃだめよね。
それからしばらくは和やかに他愛のない話を続け、いつの間にかカリントウは無くなっていた。そろそろレンティルちゃんを帰さないと心配されると考えていると、彼女はもじもじと指を動かし始めた。
「あのね、本当はターニップにお願いがあって来たの。」
「何かしら?」
「これを店に置いて欲しいの。」
レンティルちゃんがおずおずポシェットから取り出したのは数組の靴下。足の甲の涼しげな透かし編みに花のポイントが入っていて可愛い。
「これをレンティルちゃんが編んだの?」
これでも近所の奥さんや女の子達が小遣い稼ぎに靴下を売りに来るので見る目はある。その中でも上等の部類だ。
特に目を見張るのは綺麗に揃った網目。簡単なことのように思えるけれど、装飾を施すと網目を揃えるのが難しくなる。特にじっとしていることが難しい歳頃は雑になりやすいのに。
「えへへ。小さい頃から暇つぶしに編んでいたから得意なの!」
レンティルちゃんの家はアパートの五階の小さな部屋らしい。幼い頃は働きに出る母親が居なくなると、部屋から出ることは許されなかった。その代わり、母親は編み針と糸を置いていってくれたそうだ。
レンティルちゃんは母親に教えられた通り糸を編んだ。最初は下手だったけど、他にすることもない。自分や母親の服を手本に解いては編み直してを繰り返しているうちに色々な編み方を覚えたみたい。
「これなら服屋さんでも絶対に買って貰えるわよ!」
これだけ上手に編めるなら、ちょっと良い服屋でも十分に売り物になる。それも高値で。私のように片手間にやるならともかく、雑貨屋に埋もれるさせるには惜しい才能だ。
「だって、あっちはノルマがあるでしょ。」
黄な粉売りの仕事もパンを運ぶ仕事も、通りを歩いて色々な人と会話ができる。だけど、編み物は5階の部屋に閉じこもってしなければならない。レンティルちゃんにはそれが苦痛なのだそうだ。
「ありがとうって言われるのが好きなの!」
でも、雨の日には売上が極端に落ちる。だから、雨宿りを兼ねて色々な物を編み、生活の足しにと売りに行ったそうだ。
けど、服屋さんでは買ってくれなかった。服屋さんとしては気まぐれに売りに来る人よりも、注文通りの品を期限通りに作ってくれる人を優先したいみたい。
その点、うちの雑貨屋なら靴下が売り切れていても文句をいう人は少ない。そりゃ、あった方が喜ばれるけど。
私はレンティルちゃんと打ち合わせをして、店に置くことに決めた。父さんに文句は言わせない。娘バカのぎっくり腰持ちには!
「これはターニップが履いてみて。いつもお世話になっているお礼。」
レンティルちゃんは商品とは別に一足の靴下を私にくれた。最初から私に贈るつもりだったく、サイズも好みもぴったりと合う。
レンティルちゃんの靴下をお小遣いで一足買うつもりだった私には嬉しい誤算だ。だって、見た目は網目が揃っていても結び目の強さにムラがあって履き心地が変わることもあるからね。お客さんに胸を張って紹介するなら、商品を試しておかないわけにいかないじゃない。
「あら、ありがとう。」
たぶん、この子はすべて計算している。私が独断で買い取れそうな数、払えそうな額。もかしたら試しに彼女の靴下を買って履くことも。いや、自分の編む技術に自身を持っているからこそ、私に試供品を渡したのかもしれない。自分を売り込むために。
「それでね、こっちはおじちゃんに渡して欲しいの!」
レンティルちゃんの末恐ろしさに驚愕していると、彼女は黒地の落ち着いた靴下を取り出した。傍目には無地だけど、光に当たると小さな花が姿を表す立体編み。
この花は…。
「よろしくね!」
靴下の花に気を取られているうちに、レンティルちゃんは私に黒い靴下を押し付けて、元気良く駆け出した。
私も負けていられない。編み手としても商人としても、女としても。
絶対に負けないわよ!
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次回:第三章『ツーク・ツワンクの老人たち』/優秀な『新人』
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