第21話:ゴリゴリと回る『魔道具』
『スパイさんの晩ごはん。』
第二章:味噌ほど美味いものは無い。
第七話:ゴリゴリと回る『魔道具』
あらすじ:門番の男の名前を聞きそびれていた。
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私の目の前でそれはゴリゴリと回っていた。ゴリゴリとゴリゴリと休む事も無くゆっくりと回り、白い粉を吐くだけなのに私はそれから目が離せない。
門番の男の名はすぐに分かった。老将軍の屋敷の門での話をし、シャロットという名の女性によろしく言っていた男だと伝えたら、少女がそのシャロットでこの店の娘なのだそうだ。そこから逆に門番の男の事を教えてもらいラデッキオの名前を知った。
名前を聞かれたからといって深く悩む必要は無かったのだ。
私は一仕事を終えたようなほっとした気分で、パンを注文し店の入り口に近いテーブルに陣取った。この店では買ったパンを焼き直してくれるサービスがあって、それを待ちながら私はゴリゴリと回るそれを見ていた。
ゴリゴリ。ゴリゴリ。
入り口にガラスのケースに入れられた1つの石臼があり、それがゴリゴリと回り白い粉を吐き続けている。だが、人が回しているわけではない。石臼が勝手に回っているのだ。
異世界から来たという勇者アマネによって魔道具が広められてから数年。あちこちで便利な魔道具を見るようになった。魔獣から採れる魔石は高騰し、ある国では戦争の引き金になるくらいに。
「お待たせ~。」
シャロットが注文したパンをふたつ香ばしく焼きあげて紅茶と一緒にトレイに乗せて持ってきてくれた。温められたパンは黄金色に光り、ベーコンの油がちりちりと弾ける。
「ふふ。面白いでしょ?」
「ああ、こんな魔道具は初めて見る。」
「スプラウト様から預かっているのよ。こんなに便利な物を手に入れられるなんて貴族ってすごいわよね。」
「本人から直接?」
思わぬところで老将軍とパン屋が太いつながりがある事を知ったので目を丸くする。ただのパン屋では貴族に会う事もできない。パンを配達していたとしても普通はその家の使用人と商品のやり取りをするだけで、屋敷の住人に目通りできる機会はない。
だが、このパン屋は石臼の魔道具を預かっている。高価な魔道具を渡すとなると一介の使用人の判断では難しいだろう。
「ええ、スプラウト様がうちのパンを気に入ってくれてね。それまでは手で粉を引いていたんだけど、大変だろうって仰って、この魔道具を貸してくれたの。」
普通のパン屋では挽いた小麦粉を仕入れて加工する。家庭で使用する程度の少ない量ならいざ知らず、店を構えて大量のパンを生産するのなら人の手で挽いていては日が暮れてしまう。
なので、水車や風車のような動力を用いて小麦を粉にするわけだが、当然ながら立派な城壁に囲まれた街の中では土地が少なくて建てられない。建てたとしても川は街の中で氾濫しないように制御され、風車を回す風は硬い塀に阻まれて弱い。効率が悪くなるのだ。
だから、水車や風車は畑のそばに建てられる。
見通しの良い畑のそばなら効率が上がるのだが、水を撒き散らす水車の周りは湿度が高くて湿気を帯びやすいし、風車の立つような場所は風が強くて土埃が入り込みやすい。それに、遠くから馬車で運んできた小麦粉は日が経ち陽や風に当たって香りが落ちる。
手作業と水車や風車。両方の欠点を知った上で、この店はパンの味を追求した。自分達で石臼を回して自家製の小麦粉作ったのだが、当然ながら少量のパンしか作れない。
だが、そのパンを気に入った人物の中に老将軍がいた。
もっと多くのパンを焼けるようにと、老将軍はどこからか自動的に回る魔道具の石臼を手に入れてくれたそうだ。
私はシャロットが淹れてくれた紅茶で口を湿らせ、温められたエピの穂先をひとつ千切る。黄金色の表面はしっかりと硬いのに、中は白くふわふわと柔らかい。断面からは白い湯気が立ち、今まで食べたどのパンよりも香ばしい匂いが鼻腔を満たした。
一口大にちぎられたエピは私の口腔にすっぽりと収まり更に小麦の香りが強くなる。歯ごたえのある生地はしっとりと甘く力強いが、ベーコンの脂が染みたところはまた変わった味を楽しめる。
「美味い。」
ベーコンの塩味は少し物足りないが、それを補ってなお美味いと感じる。
いや、これはパンなのだから、塩気の強いスープと合わせたりジャムやパテを塗ったりと味を足して食べれば良いのだ。これだけ味がはっきりしているのなら、きっと味噌を塗っても美味いだろう。
魔道具の石臼に使う魔石代がかかるからか少々値段は張るが、それに見合うだけの価値がある。勇者アマネが魔道具を広める前だったら、魔石が安かったのでもっと安い値段で食べられたのではないかと考えると悔やまれる。もっとも、その場合は魔道具の石臼が無いわけだが。
私は力強い小麦の味の余韻に浸りながら、ゴリゴリと回る石臼をぼんやりと眺める。白い粉を吐き出してゆっくりと回るそれを見ながら飲む紅茶はすぐ空になる。私は手を挙げてシャロットに新しい紅茶を願った。
「ずいぶんと気に入ったみたいね。」
「ああ、美味かった。」
花をあしらった白いカップにポットから紅い雫が流れ込む。もうすこしで昼食の時間なので忙しくなるだろうが、カップ一杯を楽しむくらいの猶予は残されていると思う。
「違うわよ。石臼よ。パンを食べている時もずっと目を離さなかったでしょ?」
「ああ、見ていて飽きないな。」
「ぼーっとずっと見ている人がたまにいるのよね。私は小麦粉の出来だけ良ければいいから、すぐに目を離してしまうんだけど、マートンさんは何か考えていたりするの?」
石臼が止まりそうになるたびにハラハラするし、その後に大きな塊が吐き出されてくるところなんて面白い。だが、パン屋の娘からすれば止まりそうな石臼は胃が痛いだけで楽しくないだろう。それに石臼を眺めるためにお茶の1杯で粘る客は店にとっては邪魔なのかもしれない。
「強いて言えば、これで黄な粉を挽いたらどうなるか考えていたか。」
「黄な粉?」
「ああ、さっきまでラデッキオと黄な粉豆を摘まんでいたのだが、挽き立てはもっと美味いんじゃないかと思っていたのだ。」
ゴリゴリと回る石臼を見ながら浮かんできたよしなしごとの一つに、さっきまで摘まんでいた黄な粉豆にも石臼が使われていると考えただけなのだが、シャロットに話をしているうちに挽き立ての黄な粉豆も味わってみたいという欲が生まれていた。
「黄な粉は大袋で流通しているのを知らないから、豆を買ってそれぞれの店で挽いているんじゃないかしら?」
「それもそうか。」
「でも、おもしろそうね。大豆を挽いたらどうなるか今度試して見たいわ。」
「ああ、黄な粉ならパンにまぶしても練り込んでも美味そうだ。」
シャロットが固まって、目を見開いて真っ直ぐに私を見る。私がなにか変なことを言ったのだろうかと不安になっていると、彼女は黄な粉豆を作る事しか考えておらず、パンに応用することを考えていなかったそうだ。
通りで黄な粉豆を売っている少女たちに悪いから、魔道具の石臼で黄な粉豆を作るなら少し高く売ってくれと注文を付けると、シャロットはケラケラと笑って頷いてくれた。黄な粉が市場に流通していないのなら、大豆を挽く労働も彼女たちの儲けなのだ。
「でも、パンに黄な粉を合わせるなんて考えもしなかったわ。」
黄な粉豆に入っている大豆は穀物で、パンに使われている小麦も穀物だ。まったく同じとは言えないが、まるっきり違うとも言い切れないだろう。
「そうか?『勇者の雲』にかけても香ばしいと思うのだが。」
いやいやいや、私が何か言うたびに固まるのは止めて欲しい。私は考えただけで、自分でやろうとはこれっぽっちも思っていない。魔道具ではない普通の石臼を回すのは面倒だし、何より私は石臼を持ってすらいない。
「こんど試してみても良い?」
自分ではパン作りの道具を持っていないし、買いそろえて作っても成功する気もしない。本職の人が作ってくれた方が美味しくなるのは間違いないだろう。私は快く頷くと、バケットと呼ばれる細長いパンを3本買って店を出た。
1本をターニップに土産として渡すと、雑貨屋に置いてあったパン切り包丁を代わりに貰ってしまった。
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次回:増える『憂悶』
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