第6話:4人と独りの『食卓』

『スパイさんの晩ごはん。』

第一章:敵の国でも腹は減る。

第六話:4人と独りの『食卓』


あらすじ:ピザは危険物。

※国の名前が多く出たので文末にまとめました。

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『ピザ』のソースで汚れたズボンに浄化の魔法、熱く焼けた膝に治癒の魔法を施して、クスクスと未だに笑っているターニップを何食わぬ顔で待つことにした。こういう時は焦らずに、時間が過ぎるのを待つのが得策だと私は学んでいる。人間は慌てるとロクな結果を招かない。


「ごめんなさい。父さんが、同じように失敗したのを思い出して。」


人差し指で涙をぬぐう彼女の父、ラディッシュも同じ失敗を犯したそうだ。ふくよかで人当たりの良さそうな彼が慌てふためく姿を想像して目尻が下がる。なるほど、彼の惨状を思い出して笑っていたのなら納得できる話である。私でも半年は思い出し笑いをしそうだ。


「お詫びに夕食に招待するわ。だって、こんなに笑ってしまったのは父さんのせいだもの。」


「いや、それは…。」


引っ越しを許されて、王宮まで案内してもらい、これから買い物まで付き合ってもらおうというのに、食事までご馳走になるとは申し訳ない。


「遠慮しないで。引っ越しにはお金がかったでしょ?」


確かに引っ越しには金がかかる。家具や家財があれば荷車も必要だし人足を雇わねばならない。私のようにトランクひとつしか荷物が無かったとしても、旅費も馬鹿にできない。特に長旅をして来た者には。


財布を掏られてなかったとしても私の所持金は底をついていた。旅費とこちらでの活動費として十分な額を持っていたつもりだったが、海が荒れたり川が濁ったりするたびに足止めを余儀なくされ、嵩む宿代は私の財布を大いに蝕んでいたのだ。


「実はダークウィット川が荒れて2度も手痛い出費をこうむった所だった。」


私はフォージ王国から山を越えて海に出て、船を使って南のキャストネット王国からこのバスケット王国に入ったのだが、国の中央を大きく蛇行するダークウィット川には橋が無かった。橋があればそこから敵が進軍してくる。5年前に戦火を経験しているバスケット王国では仕方のないことだ。


船だけが渡河の手段。


なのだが、荒れた川には船は出せず大きな出費に繋がった。それも2度もだ。


「ああ、最近は天気が悪かったわね。でも、あの雨のおかげで私達はこうして食べる物に困らないのよ。感謝しなくちゃ。」


ダークウィット川が荒れるのは迷惑であるが、その代わり野菜が育つための十分な水と、上流にある大きな森の豊かな養分をもたらしてくれる。バスケット王国の農民はぐねぐねと蛇行する川を最大限に活用するために、何本もの水路を引き広い平野を潤した。


そして川は物の流れにも影響している。遠くで生産されたトマトも生地から滑り落ちるくらい瑞々しいまま王都へ届くし、海を擁するキャストネット王国への輸出も容易にしている。


結果、穀倉王国と呼ばれるほどの国に成長した。


対して私の国フォージ王国は、バスケット王国の隣に有るはずなのに、山からにじみ出る小さな川は恵みをもたらすどころか枯れることもあり、土地は痩せていて作物が育ちにくい。


せめて豊かな恵みをもたらすダークウィット川の水を引き込めたら状況は変わっただろうが、山間部にあるフォージ王国はバスケット王国よりも標高が高い。いくら望んだとしても川の水は山を登らない。


その代わり、鉱山から採れる資源は豊かだった。


鉱山に関連した職人が多く住む国は賑わっていて、近年になってダンジョンが見つかると一山当てようとする冒険者が流入しさらに人口が増えた。


痩せた土地では増えすぎた人口を賄えるほどに食料の生産が間に合わなかったが、隣には穀倉王国が有る。荷車で山登りをしなければならないフォージ王国は、船で容易に運べるキャストネット王国よりも高い金で食料を買うことになったが、それでも潤っていた。


しかし、5年前にその状況が変わった。


ピートスワンプ王国が、バスケット王国に戦争を仕掛けたのだ。


ピートスワンプ王国はフォージ王国から見るとバスケット王国の向こうにあり、関係の薄い国なのだが、バスケット王国が破れれば、次は我が国が隣接する。フォージ王国はバスケット王国を支援するために豊富に採れる鉱物資源を武器に変え提供した。


その結果、私の標的となる老将軍が英雄となり、戦争には勝利した。


だが、戦争の爪後は残った。バスケット王国は畑が荒れて回復してないとして、フォージ王国に輸出する食料を減らし、値段も上げたのだ。


戦争に勝つ手伝いをしたのに、食えなくなった。


多くの者はそう感じた。食べ物の値が上がれば全ての物価が上がる。いくら仕事をしても食っていけない。餓死者が出ると、また不満が高まった。豊富な資源があるので武器には困らない。バスケット王国は戦争に勝ったとはいえ疲弊している。


そこへ難関と思われていた老将軍の引退の報が届いた。


フォージ王国はバスケット王国に戦争を仕掛ける決断をした。


それが、一昨年の秋。


だが、圧勝できると見積もられた戦争は長引いた。今ではフォージ王国の男手も減り頼りにしていた冒険者も出ていき、ますます国庫は苦しくなっている。静かな文官生活を望んでいた私も借りだされて、敵国に潜入し人を探るという面倒な仕事をする羽目になるほどに。


目の前の、まるい『ピザ』が憎たらしく見えてきた。


ここにはたくさんの食べ物があるのに、どうして戦争は起こったのか。続いているのか。


「ねえ、怖い顔をしてないで。雨のせいでの出費なら誰のせいでも無いわ。おかげでこんなに可愛い女の子と知り合いになれたでしょ?」


ターニップがわざとらしい顔を作って私の笑を誘った。いつの間にかシワが寄った眉間を揉んで私は愛想を浮かべた。


ラディッシュから借りたあの部屋はほんの数日前まで前の住人が暮らしていて、昨日やっと壁紙を張り替えたばかりだそうだ。1日早くこの街に到着していたら空いてなかったし、1日遅れれば他の者が入っていたかもしれない。


「ああでも、あと1日早く可愛らしい女神様に出会えていたら、財布を掏られる事もなかったと思うと辛くてね。」


「まあ、だから怖い顔をしていたのね!」


私は地面に落ちたチーズを拾い、砂を払うと浄化の魔法をかけて口に入れた。


店を出た頃には雰囲気も少し砕け、そのまま商店街を案内してもらう。自分で料理を作る予定は無かったが、食料品店を案内してもらうと、フォージ国よりもだいぶ安くて新鮮なことが判る。それに、見た事も無い食材も多かった。


寝具も値引きしてもらえたが、シンプルな青色の掛布に不満顔のターニップを納得させるのに何故か苦労することになった。


アパートへ戻るとターニップはすぐにラディッシュに私を夕食に招く許可を取り、白いエプロンを身に付ける。ターニップが料理をしている間にラディッシュの奥方と息子とも和やかに挨拶を交わし、手土産に買った果物を渡した。


すぐに出来上がるから寛いでいてくれと言われても、初めて訪れた他人の家では手持無沙汰で休めない。暇を持て余して雑貨屋の店仕舞いをするラディッシュの手伝いをして夕食が出来上がるのを待った。


呼ばれた食卓には湯気の上がるホウレン草とベーコンのキッシュ、干しブドウを入れたニンジンのマリネ、脂ののった鳥肉の入った具沢山のオニオンスープ。それにクルミの入ったパンが添えられて、この辺りでは一般的よりは少し豪華な、いわゆる家庭の味だそうだ。


期待に溢れた4対の瞳が私を待つ。


私は肩を竦めてオニオンスープをひと匙掬うと、口に含んで間髪入れずに告げた。


「美味い。」


「良かった。さあ、どんどん食べて!」


味わう暇もなく発した言葉。だが、ただその一言で食卓の緊張は消え穏やかになり、口数が増えた。私は彼らの質問に嘘を交えて答え、彼らにアパートでの近所付き合いの心得を聞く。


歓談の合間に口に運ぶ料理は素朴ながらも素材の味が存分に発揮されている。穀倉王国の名に恥じない、豊富な牧草を食べてぷっくりと丸い肉や新鮮で瑞々しい野菜をたっぷりと使った滋味あふれる食卓だと思う。


だが、フォージ王国で育った私には少しばかり薄すぎて味が足りない。


あちらで手に入れられる肉は筋肉質で固く、野菜は荷車で運ばれるうちに萎びた野菜だ。できる限り長持ちさせるために干したり塩漬けしたり酢漬けにしたりと加工して、調理する時にも味を足す。


そして食べる者も、風の無い狭い洞窟で岩を穿つ鉱山労働者や、白くなるまで高温にした熱い炎で鉄を溶かす製鉄職人、真っ赤な鉄を打つ鍛冶職人など、農業よりも汗をかきやすい仕事が多い。彼らは汗で流れた大量の塩を補うために濃い味付けを好む。


フォージ王国でも農業をやっている者もいるし、新鮮な野菜が無いわけではない。だが、中心となる人々が好む味付けは、古くからの国の味覚になっていた。我が国の家庭の味だ。


もちろん、私の育った家でも。


口は災いの元。


私が彼らに隠れて土の魔法で塩味を足していたのは内緒である。



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次回:『逃げ道』を探しに


■王国の名前のまとめ。

フォージ王国:マートンの故郷、鉱山とダンジョンの国。(溶鉱炉)

バスケット王国:潜入先の国、穀倉王国。(野菜カゴ)

キャストネット王国:海のある南の国。(投網)

ピートスワンプ王国:5年前に戦争を仕掛けた西の国。(泥炭沼)


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