46話 世界を救う。そして彼女は勇者を悼む。 3


 魔導指南書は僕にとっての師匠となってくれた。


 が、もちろん、手こずった。母から読み書きを教わっていたおかげで、字を読むことはできたが、専門用語を覚えるのにだいぶ手間取った。


 そこで最初に知ったのは、ゾーニャが絶対魔感者という特別な存在であり、僕はゾーニャより強くなれない、という現実だ。


 だけど絶対魔感者も万能じゃない。彼らが無意識的に行使できる魔術は直感的に効力投射をイメージしやすい系統だけらしい。*諸説あります*だそうだが。


 だから僕は彼らが使えないとされる、精神魔術を極める事を目指した。


 この系統は戦場でも敵を集団ごと眠らせてしまう催眠魔術や、凶暴化させ見境なく周囲を攻撃させる激高魔術が使われる。


 オークに村を襲われた時のように、大勢の敵から身を守るには最適に思えたんだ。


 信じられないことだけど、僕にはこの分野にすこぶる適性があったらしい。


 術式展開、魔導組成、効力投射の練習をたった一週間しただけで、催眠で鶏を眠らせられるようになった。


 指南書によると、独学では五年以上の修行が必要と書かれていたのに。


 僕は試しに村中の鶏を標的に広域の催眠魔術を使ってみた。夜明け前にだ。


 成功すれば朝になっても鶏の鳴き声がどこからも聞こえないはずだ。


 大成功だった。

 その日、鶏たちが昼過ぎまで眠りこけたせいで、いつも鳴き声を目覚ましにしていた村の人たち全員が寝坊したんだ。


 僕は僕にしかない才能をやっと見つけた。


 これで次に何かあった時はみんなを守ることができる!




 そう、思ってた。 




◆◇◆◇◆◇◆




 冬のある日、雪の降った早朝だった。

 村の鐘楼の鐘が激しく打ち鳴らされた。


 僕はベッドで飛び起きた。


 またどこかの軍隊が奇襲してきたのだと理解して、体が震えだした。


 ドワーフの軍隊だった。村は既に包囲されていた。


 魔術を使ってどうにかしようと考えても、故郷の虐殺の光景が蘇ってきて、パニックになってしまった。


 どうした? このために特訓してきたんだろう!


 そう考えても、ドワーフたちの雄叫びが外から聞こえてきただけで、体が震えて動いてくれない。


 それはゾーニャも同じだった。僕以上に怯えていた。


 僕らは結局のところ、魔術が得意なだけの十四歳の少年と少女でしかない。


 戦って殺される覚悟も、誰かを殺す覚悟も持ち合わせているわけがなかった。


 ドワーフたちの怒号と村人の悲鳴が、家のすぐ側まで近づいてきていた。

 もう外へ逃げることも無理だ。


 母は僕らをクローゼットへ隠れさせるため押し込めた。


 その時だ。ドワーフ兵が五人、家に押し入ってきた。


 母は隠れる間もなかった。

 母が抵抗する意思がないと、手をあげたのがクローゼットの隙間から見えた。


 問答無用だった。クロスボウを撃たれたんだ。五人から一斉に。


 そこまで撃つ必要ないだろうに。矢が顔に突き刺さって首が後ろに折れたのを見てしまった。母の体は衝撃で突き飛ばされクローゼットへ激突。


 あふれ出した血が隙間から僕の顔にかかった。


 僕は悲鳴をあげた。ゾーニャがガタガタ震える手で僕の口を塞いだが、もう遅い。

 ドワーフたちに悟られた。


 彼らはクロスボウに再装填し、僕らが怯えているのを笑いながら、クローゼットにそれを向けてきた。


 もう、撃たれるのを待つしかない。死ぬのを待つしか。


 でも、だった。ゾーニャがクローゼットから飛び出したんだ。

 僕より怯えていたのに、脚なんか震えてしまっているのに。


 僕の前に立ちはだかって、あらん限りの声で叫ぶ。


「お願いだからやめ──」


 絶叫している途中で。彼らが引き金を引いた。


 僕は目を瞑った。ゾーニャが死ぬ瞬間、を見たくなかった。

 彼女の血が僕へまた降りかかってくるのだろうと思っていた。


 だけど、その時はこなかった。


 どうしてだ?


 僕は目を開ける。そして見た。

 ゾーニャの顔に命中した矢は全て、空中で止まって、いた。


 だから理解した。また彼女は新しい魔術を使えるようになったのだと。

 あらゆる攻撃から守れる結界術を。


 ゾーニャは次にすべきは一つしかないことを思い知ったんだと思う。


 対話を拒絶し攻撃してくるならば、打ち倒すしかない。


 彼女は自身へ運動エネルギー制御を働かせ、超音速へ加速。

 ドワーフ兵の懐へ飛び込み、彼が腰にさげていた剣を強引に奪ったんだ。


 その移動した衝撃波だけで、ドワーフたちは壁まで飛ばされた。

 剣を奪われた奴は体が振り回されたせいで腰が折れ、首がおかしな角度へ曲がる。


 あとは、ゾーニャは力任せに剣を振るうだけだった。

 剣術も何もあったもんじゃないが、そんなの必要ない。


 剣速は音の速さを超えていたんだ。


 頭を切りつけられたドワーフ兵の最初の一人は、首から上が消えた。


 二人目は胸から真二つにちぎり飛ばされた。


 三人目は切り上げられて、屋根を破って飛んでった。


 四人目は盾で防ごうとしたが、剣が貫通してきて吹き飛ばされ、壁を突き抜け村の広場まで転がっていった。


 積もった白い雪に、鮮血の赤をまき散らしながら。


 その音で、村に散らばっていたドワーフ兵たちは広場に集まってきた。

 百人以上いるよう見えた。


 でもゾーニャは肩で息をして放心してしまっていた。


 彼女の目は、足下に転がる母の死体。それと自分で殺めたドワーフの体の断片が、床から天井まで飾っているのを見て──人を殺したという事実を自覚してしまったのだと思う。吐いてしまった。


「ゾーニャ!」


 僕はクローゼットから出て駆け寄った。


 家の外から近づいてくるドワーフ兵がさらに増えている。二百人はいた。

 だから僕は詠唱した。最大強度で、激高魔術を。


 瞬間的に効果が発動した。

 ドワーフたちは隣にいる仲間へ、クロスボウを放ちだし、槍を振るいだした。


 奴らの認知機能を狂わせ、敵味方に関係なく襲いかからせたんだ。


 村は奴ら同士による大乱戦の場と化した。


 でも我を忘れたドワーフたちは戦っていた相手を倒すと、僕たちへ向かってきた。


 まずい。こういう時は催眠のほうが良かったのか? 


 僕は次の呪文を詠唱しようとしたが、強い目眩を感じた。


 魔導指南書に書いてあった症状だ。マナ欠乏症。

 これ以上は魔術を使えない!


 ドワーフ兵が僕を殺すために壁の穴から入ってきた。走ってくる。

 槍で突き刺そうとしてくるのが、やけにゆっくり見える。


 死ぬ時はこんな風になると聞いたことがある。


 が、そのドワーフ兵が真横からの衝撃で、粉みじんに吹き飛んだ。


 ゾーニャだ。


 彼女は、返り血で寝間着が染まっていて。

 僕に振り向けてきた横顔は、今にも泣き出しそうに瞳を震わせていた。


 それでも折れた剣を握りなおしたんだ。


 そのあとに起こったことは一方的な殺戮だ。


 村の中を目で追えない速度で走り回るゾーニャが、ドワーフ兵に斬りかかるたびに、血しぶきがあがる。


 それらヒトの断片が混じった赤い飛沫は、一秒間に五つも六つも咲き乱れ、粉雪と共に降り注いだ。


 ゾーニャの超音速の斬撃で武器は何度も壊れ、そのたびに足下から拾い、またそれを壊れるまで振り回す。


 そうしてほんの一分もしない内に、村の中で動く者は僕ら以外に居なくなった。


 村の広場で立ち尽くすゾーニャの背中へ、僕は近づいた。


 その足下では降雪がドワーフ二百人の死体を白く覆い始めている。


 半分は僕が死なせた。もう半分はゾーニャが。


 どうしてだろう。

 今、ゾーニャがどんな顔をしているのか、見るのが怖かったんだ。


 ゾーニャも僕に対してそう感じたのかも知れない。振り向こうとしなかった。 

 だから僕は背中ごしに声をかけた。


「母さんの墓を掘ろう。土が凍ってしまう前に」


 僕らは家の庭に墓を作った。木の杭の墓碑にはその名を刻んで。


『ハレヤ・ハーレリ』と。


 他の村人の墓までは作れそうにない。数が多すぎる。


 僕らは疲れ切り、気づけば背中合わせになって、墓の前へ座り込んでいた。


「ねえ、ラス」


 憔悴しきったゾーニャが言った。


「なに、ゾーニャ」


 僕の声も生気が抜けていた。


「私わからない……。なんで、みんな戦争ばかりするんだろう。悲しいことしか起こらないのに。父さんも母さんも、死んじゃった……。何でこんな事、するの?」


「父さんが前に言ってたよ。偉くて悪い人に戦争に行かされて、部隊が村を襲ったことがあるって。今日みたいなことがあったんだろうね」


「私、戦争、嫌い」


「僕も、嫌いだ」


「ねえラス、どうにか出来ないかな。誰も戦争をしなくていいよう。できないかな」


 とても答えは簡単に思えた。

 戦争をさせようとする者がいなければいい。


「僕は単純だと思う。偉くて悪い人がいなければいい。そういう人こそ死ねばいい」


「そうすれば、誰も戦争しなくてよくなる?」


「たぶん、きっと。だって父さんは、そうさせられたんだから」


「じゃあ、私たちなら、やれないかな?」


「僕たちがやれるって、なにを?」


「私たちが悪い人をやっつける。みんなを死なせる前に……死なせちゃう」


 僕は村を見渡した。ドワーフ兵は自分たちにあっけなく倒されてしまった。


 できるかも知れない。そう思ってしまったんだ。


 もし、もう少しだけでも人の世を知っている大人だったら、こんなことは思いとどまったかも知れない。


 結局のところ、僕たちは、ただの十四歳の子ども、でしかなかった。


「できるよ、僕たちならできる」


「なら、私たちがやろう。悪い人を全部やっつけて、戦争がない世界にするの。そうしたら、また二人でこの村みたいなところに住もう。そこでずっと一緒に暮らすの」


「うん。そうしよう」


 世界の片隅にたった二人残された僕らは、背中合わせのまま、手を握り合った。

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