映画『世界を救う。そして彼女は勇者を悼む』
44話 世界を救う。そして彼女は勇者を悼む。 1
これは、僕ら二人が生まれた時代の日常だった。
毎月のようにどこかで異種族同士の戦争が始まった。
毎日のように血の雨が降り、毎秒何リットルもの涙が世界中でこぼれ落ちた。
それぞれの種族で肌の色こそ違ったが、同じ赤い血が流された。
瞳の色も違ったが、同じ量の涙が流された。
こんな時代に人々ができるのは二つだけだ。
一つは、戦乱の時代と割り切って時流に身を委ねる。
もう一つは、目の前の光景を否定し、心を痛めること。
僕たちの父は後者だった。
そしてこの時、戦場になったこのオークの村にいた。
人間の帝国の志願兵ではなく徴集兵としてだ。
父はまだ二十歳を過ぎたばかりだった。
オークの家々に火を付ける命令を実行しながら、上官に訊いたそうだ。
「な、なんで……家まで燃やさないといけないんです? それに──」
と、父が目をやったのは足下で死んでいる年寄りや女性や子どものオークたち。
兵士のオークは一人もいない。
それで上官は父が言わんとするのを察したそうで、こう答えた。
「俺たち兵隊が使う武器や、食べてる食料はどこで誰が作ってる?」
「そりゃ、帝国の村や町、そこに住む人たち、ですよね?」
「ならもうお前にも分かるだろ? 敵兵をいくら殺しても、村や町が残っていれば奴らはいくらでも新しい兵士を送り込む。で、お前は誰から生まれて、ここに居る?」
「もちろん、母親から、ですが」
「オークの女が五人の子どもを産むとするなら、そいつは兵士五人分の価値がある。そこに転がってるブタ野郎のガキを見てみろ、あと四、五年もすればお前をひねり殺せる一人前のオーク戦士だ」
「……」
「お前の生まれた村で、お前が今日やったことを、こいつはお前の母親へやれるようになる。あと年寄りはまあ、物のついでってやつさ。要するに村を一つ潰すことは、百万の敵兵を殲滅するより価値がある」
そこで何かの合図の角笛が鳴らされた。
すると仲間の兵士たちが歓声を上げて、村の広場へ駈けだした。
そこには家々から集められた略奪品が山積みになっている。
上官もウキウキしていたそうだ。
「おい、俺たちも行くぞ。戦利品の分配だよ。お前、この前、息子が生まれたばっかって言ってたろ。家族にたんまり持って帰ってやんねえとな」
上官も走って行ってしまった。
子どものオークの死体をいくつも飛び越えてだ。
父はそんな死者たちから剥ぎ取るような真似をしたいと思えなかったそうで、ただ燃え落ちる家々を呆然と眺めていた。
すると、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。父は故郷に残してきた生まれたばかりの息子、つまり僕を思い出してしまったという。
泣き声の元へ父が行ってみると、死んだオークの母親に、赤ん坊が抱かれていた。
生後半年くらいの女の子のオークだ。
この子はどうなるのだろう。
決まっている。寒さで凍えるまで、死んだ母親を呼んで泣き続けるだけだ。
「…………」
父は気づいたらオークの赤ん坊を抱き上げていたそうだ。
そこへ上官が心配して戻ってきた。なんだかんだ面倒見の良い男だ。
「お前な……勘弁してくれよ。オークの赤ん坊なんざ情をかけてどうする」
「う……うちの息子に姉がいたらって、今、思ってたんです」
「ああ⁉ 何言い出すんだ。お前が育てるってのか? オークだぞ?」
「育てます。次に娘ができたときの名前も、前から決めてあるんです」
「おいおい……で、そのブタ──いや、お前の娘か……なんて名前をつけるんだ?」
父は悲しげな笑顔で答えた。
「ゾーフィア」
これが、後に救世主と呼ばれる事になる彼女へ、名が与えられた瞬間だった。
◆◇◆◇◆◇◆
僕がゾーフィアと初めて顔を合わせた時のことは、覚えていない。
なにせ僕はまだ、生まれて三ヶ月の赤ん坊だった。
その日、父が皇帝から贈られた勲章を首にぶら下げて家に帰ってきただけではなく、戦利品の代わりにオークの赤ん坊を拾ってきたのを見た母は、戸惑ったそうだ。
隣人の村人からどう言われるか、分かったものじゃない。
「ねえ、あなた……」
母は諦めるように言おうとしたのだが。
僕が寝ているゆりかごへ、父はゾーフィアも寝かせた。
すると僕らは互いを興味津々で見つめ合うと、嬉しそうに手を繋いだそうだ。
そんな僕らを見て父は微笑んだ。
「ほら見ろよ。子どもにとっちゃ、人間もオークも関係ないのにな……。
村の人たちの事なら大丈夫だ。さっき村長に顔を見せに行ったんだ。そしたらこの勲章を見て目玉を飛び出させてな。村の英雄扱いだ」
「ほんとになの?」
「ゾーフィアのことで文句は言ってこなかった。人殺しでもらった勲章でも、赤ん坊を助けることにも役に立つってことさ。それにラスコーリンも姉弟が出来てこんな喜んでる。今から、この子の姉を捨ててくるっていうのか?」
母は面食らいながらも、笑ってしまった。
結局のところ、こういう父が好きで結婚したのが母という女性だったからだ。
こうして僕とゾーフィアは家族になった。
◆◇◆◇◆◇◆
子ども時代で良く覚えているのは、何かある度にゾーフィアに助けられたことだ。
僕が六歳のころ、村のガキ大将のいじめられていた時には、ゾーフィアが物凄い勢いで走ってきた思えば、問答無用で跳び蹴りをお見舞いして泣かせてしまった。
八歳の時には、村はずれの橋で、一緒に釣りをしていて、僕が川に落ちてしまい溺れかけたことがあった。
彼女は何の躊躇もなく飛び込んできて、岸まで僕を引きあげてくれた。
そんな風に助けられる度に、僕はゾーフィアに言ったんだ。
「ありがとう。僕もゾーニャが困ったときには、助けてあげる! いつかまとめて」
「まとめて?」
「うん。ゾーニャがピンチになったら、僕はなんでもして、恩返ししてあげるから」
そしたらゾーニャは笑った。
「返さなくて良い。ラスが元気で居てくれたら、私はそれが一番嬉しいから」
その笑顔を見て、僕は強く誓った。
絶対に、ゾーニャが助けを必要になった時には、そうするのだ、と。
でもそんな日が訪れる前に、再び、僕はゾーニャに助けられることになる。
◆◇◆◇◆◇◆
十歳になった誕生日の早朝だった。
村の鐘楼からけたたましい鐘の音が届いてきた。
敵襲だ──オークの軍隊の奇襲だった。
既に村から外に出る道は封鎖されていた。
十年前に父が他の村でやったことと同じ事が、僕らの村で始まった。
見慣れた風景が、炎の海へ沈もうとしていた。
父は僕ら家族を村はずれの茂みまで連れていき、隠れているように言いつけた。
「ここで待っていろ。俺は逃げられそうな道を探してくる」
父は剣を片手に茂みを出て、隠れながら村の外へ進んでいた──だが運悪くオーク兵に見つかってしまう。多勢に無勢だった。瞬く間に矢を射かけられ、倒れた。
僕らは泣き出しそうになったが、母が必死に口を塞いだ。その腕には信じられないくらい力が込められていた。身動きできないまま、涙をボロボロ流した。
夜になるまで僕らは茂みに隠れ続けた。その間、村の中で行われる全てを見た。
人が人に与えられる、あらゆる暴力がそこにあった。あらゆる死を見届けた。
夜更けになり、ようやく逃げるチャンスがきた。
僕らは茂みから這い出た。
でも途中で奴らに見つかってしまったんだ。
走って逃げる僕らを狙って矢が飛んできた。
僕をかすめた矢じりが、脇の下の動脈を切り裂いてしまった。
もうオークたちが追いかけてこないと気づいたのは、出血のせいで目の前が暗くなり、脚が止まった時だ。僕は倒れた。
母は必死に出血を止めようとしたが、ダメだった。
ゾーニャも傷口を押さえた。彼女の涙が僕の顔に落ちてきたのを良く覚えている。
その時だ。ゾーニャの両手が発光したように見えたんだ。治癒魔術だった。
誰に習ったわけでもなく、詠唱すらなく、それをやってしまった。
出血が止まるどころか、傷跡すらわからないくらい完全に治癒した。一瞬で。
これが、ゾーニャの絶対的な才能が目覚めた瞬間だった。
* * *
スクリーンを見ていたハレヤは気づいた。
当時の状況があまりに正確に描かれすぎている。
幼少期のことをロジオンに話していないはずなのに。
だとしたら、きっとそうだ。
彼は記憶を取り戻したのだろう。ならば──。
この映画は、かつて魔王となった男の視点から語られる勇者物語だ。
隠れていた茂みから見えた虐殺や、初めて使った魔術が治癒であること。
全てありのままだった。そのせいかもしれない。
オークとしてスクリーンに映しだされているゾーフィアだが、ハレヤの目にはもう、当時の自分の姿が重なって見えていた。
だから、思わず呟く。
「───あれは、私だ。あれは私自身、私の過去そのものだ」
ハレヤの視界の中で、スクリーンに映し出されたゾーフィアは、十歳で成長が止まった自分の姿に、置き換わっていた。
* * *
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