24話 勇者、抱き枕と戦う。そして僕は大渓谷。




 その日の深夜。

 自室のベッドで寝ていたロジオンは足音で目が覚めた。

 

 廊下をトテトテ歩いてくるハレヤのだ。


 部屋の前で止まった。何か用があるのだろうが、起こすのを遠慮してるのか、  ノックしてこない。だから声をかけた。


「ハレヤさん。開けていいですよ?」

 

 ドアが開かれ、暗がりの中でハレヤが顔を覗かせる。

 怯えた子どものような顔を。


「怖い夢でもみたんですか?」


 茶化すつもりで言ったのだが、すぐにロジオンは気づいた。


 ハレヤの見る悪夢、それは冗談にならないものだ。茶化していいものでもない。


「そう……です」

 か細い声で彼女は答えた。

「今日は……痛みが強くて」


「戦場の夢、ですか?」


「それもある。けど私は、痛みが強い日はもっと怖い夢を見る」


「千年前の戦場より、怖いもの、なんてあるんですか?」


「自分が、誰からも知られず、必要とされず、世界の片隅で朽ち果てる夢です。

 その夢の中で私が居る場所は、漠然とした場所だ。

 そこは世界から切り離された所で、私は一人で居る。

 そこにいることを誰も知らなくて、痛みにもだえながら何百年も暮らし続ける。

 何千回も朝を迎え、何千回も夜を越える。その夢の中で眠りにつこうとした夜に、ふと考えてしまう」

 

 ハレヤは目を瞑ってみせ。


「こうして目をつぶったまま、次に目が覚めず死んだりしたら、誰からも知られず、この世から消え去るのだと──そう考える瞬間、いつも目が覚め、涙が流れてる。

 そしていつも、私の側には誰もいない。夢の続きの中で目が覚めてしまったようで、もう一度目をつむるのが、怖くなる」


「……」

 ロジオンは理解した。これまでハレヤが生きてきた世界とは、そういうものだった。語った夢は、彼女が置かれた状況のそのものだ。


 苦痛に支配された、孤独の牢獄。


「ハレヤさん。また一晩中、僕が手を握っていましょうか。こっち来てください」


 何気なくそう言われたのだが──。


「えっ⁉」

 ハレヤはドキッとしてしまった。


 恥じらう乙女がごとくモジモジしだし、ロジオンに聞こえないほどの小声で呟く。


「そ、それはあなたと、同衾しろということでしょう……」


 でも、初めて出会った夜もそうしてくれたわけで、今さら変に意識することでもない気がするのに。そうじゃない。


 あの夜と今では、関係性が何もかも違う。

 

 あの夜までは、『ただの行き倒れ』と『それを助けた者』という関係でしかなかった。


 今は、互いに、女として、男として、好意を確認した仲だ。


「その……先ほど私たちは、キッチンで抱きしめ合って好意を確認しあった直後であるわけで。そういう事の後にこう言い出すということは、そういう意味で言っているのでしょうが……。いえ、若い男なのだから、それが自然だ」


 ハレヤはモジモジしつつ、呟き続ける。


「だがその、私も心の準備というか、恋人も夫もいたことがないと話したでしょう。

慣れていない……というか経験がない。い、嫌と言っているわけではなく、あ、あなたが私を望んでくれるのなら、むしろ嬉しく。

 それでも私のような大罪人がそのような幸福を手に入れていいわけがないとも思うが。死ぬ前に一度くらいは、愛する相手から、思いの限り、愛されてもみたく──」


「はい? 良く聞こえませんよ。とりあえず遠慮せず隣にどうぞ」


 ハレヤは意を決し、唾を飲み込んで、真っ暗な部屋の中へ踏み出した。


「で、では遠慮なく」


 手探りでロジオンの声がした方へ進み、ベッドの端へ到達。心臓がありえないほど早く鼓動していて、彼に聞こえてしまうのではと、心配になるほど。


 真っ暗で何も見えない中、ベッドの端っこへ寝転んだ。


 するとすぐに彼の手が伸びてきて、ハレヤの手を握る。


 そこで気づいた。自分の手汗がびっしょりだったことに。


 それがあまりに恥ずかしくて、目を閉じて心の中でもだえていたのだが──。


「……?」

 おかしい気がする。手を握ってくる他に、彼は何もしてくる様子がない。


 もしかしたら彼も緊張してるのかも。


 そう思って、ハレヤは自分から身を寄せようと──したのだが。


「?」

 なんか、ハレヤと彼の間に、何かある。

 ハレヤの背丈より大きく、柔らかいものだ。


 それにブロックされている。ブロックされている? いったい何に?


 しかも、ロジオンの寝息が聞こえる。なんか……普通に寝てる!

 しかも、寝言を言ってる。


「ゾーフィア~」とだ。

 

 ハレヤは一瞬、彼が自分の夢を見ているのかと思ったが。


「ふぉお~。Gカップ最高~。ふかふかだぁ」などと宣っている。


 どうやら、ロジオンとハレヤをブロックしている『柔らかな何か』に彼は頬ずりしているらしいが。いったい、何がどうなっている?


 ハレヤは、部屋の明かりを付けた。


 するとだ。最初に見えたものは、天井に張ってあるゾーフィアのポスター。

 これでもかとGカップの胸を誇らしげに張る構図。


 そして壁際には、棚に並べられたゾーフィアのフィギュアたち。


 どれもビキニアーマーのブラからこぼれ落ちそうな、はち切れんばかりのそれを誇示するポーズなのはお約束。


 最後に、ベッドへ目を落として見てみると、だった。


 彼はソレに激しく抱きついていた。


【ゾーフィアの抱き枕】


 あられもない姿で横たわっているアニメ絵がプリントされたソレ、に。


 しかも胸の部分がGカップ状に盛り上がったデザインであり、彼はその二つの最高峰の狭間たる大峡谷に顔を挟みこんで、幸せそうな笑みを浮かべていた。


 ハレヤは悟った。

 自分自身の寝間着を着たぺったんボディと見比べ。悟る。


「……………………………………………………………」


 悟ってしまったのだ。


『女として見られていないっ。偽物ゾーフィアに敗北してる。しかも抱き枕にっ!』


 確かにロジオンは大好きだと言ってはくれた。


 それは英雄として憧れるというだけではなく、一人の女性としても愛していると言ってくれたのだろうけど……。


 矛盾している気はするが、女、としては求められてないのでは?


 男って生き物がわからない。男って生き物が理解できない……!


「……」

 ハレヤはすんごい不満そうな目をロジオンに向けだした。


 で、彼女は揺すって起こすのだった。


「あれ……? ハレヤさん、どうしました?」


 ハレヤは俯いていた。何かをブツブツ言っている。


「ほ、本物がここにいるのだから……本物を抱きしめて眠ればよいでしょうに」


 だがそれはやはり消え入りそうな声で。ロジオンは聞き取れなかったらしく。


「え? なんて言ったんです?」


 勇気を振り絞ってハレヤは顔を上げ。


「きょ、今日は痛みが強い気がする。手を握ってくれるだけでは収まりそうにない。だ、誰かが抱きしめてくれるでもしないと、寝られそうに……ない」


 嘘を吐いた。


「なら、僕が朝まで抱きしめます」


 すんごくあっさり言われた瞬間、ハレヤは笑顔になり、ゾーフィア抱き枕を憎々しげにむんずと掴み。


「おんどりゃああぁあ、そこどけ、くそがあぁああああ!」


 床にぶん投げた。


「な、なにすんです⁉ 僕のゾーフィアが!」


 だがハレヤは勝ち誇ったようにガッツポーズしており。

 自身を指さし、恥ずかしそうに。


「あなたのゾーフィアなら──ここにいる」


 そう言って、横になったままのロジオンの腕の中へ潜り込んだ。


「ほら、ちゃんと抱きしめなさい。あなたのゾーフィアだっ」


 するときつく抱き寄せられて、頭が撫でられた。


「こうですか?」


「頭を撫でろとまでは言っていない……」


「じゃあ、止めます」


「や、やめなくていい。すごく、安心する」


「なら毎日、こうして眠りましょうか。そうすればいつ痛みがきても平気だ」


「あ、あなたがそうしたいなら」


「そうしたいです。ハレヤさんには安心して眠ってもらいたい」


「……」

 どうしてか、ハレヤは瞼に涙が貯まってくるのを感じた。


「そうだ僕、明日から一週間、有給とらされたんです。遊び行きたい所あります?」


「一週間も?」


「企画がリスタートなので、スポンサー陣に了承とるためのプロデューサーの挨拶まわり、終わるまで製作できなくて。コンプラ的に仁義を通す慣例でね。取材や資料集めも禁止です。ハレヤさんから当時の話しを聞くこともできない。原則的には」


「偽の脚本家をでっちあげておいて、コンプライアンスとは笑わせる。でも、遊びに行く、という行為を私は久しくしていない。思いつかない。お湯の出る風呂に入れるなら十分だ。それよりロジオン、手が止まっている」


 ロジオンはハレヤの頭を、再び撫でだした。


「私が眠るまで、そうしてほしい」


「がんばります」

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