誰かが嘘を吐いている百合ラブコメ
4kaえんぴつ
第1話
朝。七時三十分。到着した上り列車から群衆が吐き出された。
人混みに揉まれながらホームに靴底を付けた
そんな駅構内に併設されているコンビニ前で、明音と同じ夏用学生服を着た少女が熱心に新聞を立ち読みしていた。明音は社会人達に合わせていた歩調を緩め、コンビニ前で足を止める。
片耳に付けていたワイヤレスイヤホンを外しながら、彼女の名を呼んだ。
「達子。おはよう」
無造作なセミロングを揺らしながら振り返った彼女は、半開きの眼差しを明音に向ける。
「おはよう」と素っ気なく聞こえるような普段通りの声で応じた達子は、小銭をトレイに置いて新聞を鞄に突っ込み、明音と共に公立東陽高等学校への通学路を進む。
藤友達子――間を取って友達、とは彼女がよく使う便利な自己紹介だ。実態は社交性の『社』の字も無いような気性をしている自己完結の擬人化であり、自分以外の全員を見下している節がある。彼女と親しくしていると奇異の目で見られるほどの奇人だ。
明音は沈黙を退屈に思い、珍しく達子へと他愛のないことを尋ねた。
「新聞、なにか面白い話とかあった?」
「ハリーポッターでも読んでるように見えた? 情報に面白いもクソも無いでしょ」
「でも私、動物系のほっこりするニュースとか好きだから。そういうの」
「――ああ、それならあるわ。ある俳優がゴム無しセックスで不倫したって」
明音の顔が引き攣る。
「話聞いてた? 動物のほっこりしたニュースを聞きたいんだって」
「ちゃんと猿のニュースでしょ」
そういえば彼女はこういう人間だったな。思い出した明音は口を噤んで視線を逸らす。
並んで歩くと、平均的な明音のそれよりも少しだけ達子の方が背が高い。胸の起伏もある。
駅構内の窓ガラスで自分の姿を確かめる。染めるほどの度胸もない毛髪は真っ黒で、前髪は少し長め。生意気にも右サイドを三つ編みに、それらを巻き込むように低い位置で団子を作っている。明音が思う、最もお洒落な知り合いに教えてもらった髪型だ。
明音は外しただけだったワイヤレスイヤホンを、しっかりとケースに戻して充電しようとする。そんな明音の所作を横目に眺めていた達子が、また珍しく雑談を仕掛けてきた。
「そういえばアンタ、最近よく音楽聴いてるけど――何の曲?」
明音は「ん」と語るよりも先にイヤホンのイヤピースを彼女の耳に突っ込む。
スマートフォンを取り出して再生ボタンを押下。流れるのはロックバンドの楽曲だ。
「聴いたことないんだけど。インディーズ?」
「私がお世話になってる先輩が昔作った曲。最近またハマりだしてさ」
「ふーん」と楽曲に聞き入りながら生返事をした達子は、こちらにイヤホンを返す。
「――三年生でバンドやってる人っていうと、辻野紗季とか?」
「おお、やるね。流石新聞部、情報通だ」
「褒めても反吐しか出ないわよ。――しかしあの人、けっこうしっかりした曲を作るのね」
有名週刊誌の記者である父親を持ち、そんな父親のゴシップ記事を是とする姿勢を否定するべく報道関係者を志すのが、目の前の藤友達子だ。新聞部といえば誰が読んでいるかも分からない退屈な校内新聞を資源を無駄にしながら垂れ流す組織だと誤解されがちだが、まったくもってその通りであり、彼女が二年生にして部長に就任すると同時に存在が形骸化した。
以降、新聞部は彼女のプライベートスペースになっている。
「……噂をすれば」
不意な達子の言葉に、明音は彼女の視線の先を見る。
駅から続く通学路、やや後方を歩いていたのは、二人と同じ制服を着た上背の女子高校生だった。アッシュグレーに染めた無造作な髪を背中まで伸ばしている。瞳が鋭いこともあって容姿は険しさを感じさせるが、美貌と形容することには一切の躊躇が要らない。
――彼女が件の辻野紗季だ。東陽高等学校三年生にして、ロックバンドのベーシスト。
「相変わらずいい面してる。そりゃ女子から人気な訳だ」
達子が小さな声で評すると、紗季がこちらに気付いた。
その双眸が明音を捉えると、彼女は鋭い表情に微かな笑みを含ませて小さく手を振ってきた。明音は笑みと共に軽く手を振り返し――それで終わり。紗季は明音の交友関係を尊重し、達子が気まずくならないよう程々に収めてくれたようだ。
「仲いいのね」
「まあね」
駅から二十分も歩けば東陽高校に到着する。二人は校門を抜けた。
ホームルームまでの時間にも行き交う生徒たちの足取りにも随分と余裕がある。
二人が校門から昇降口まで真っ直ぐ伸びた道を並んで歩いていると、不意に明音のスマートフォンが震動する。明音は「む」と声を上げて、スカートのポケットからそれを取り出した。
連絡先を交換するほど親しい友人は数える程度、メールマガジンの類は徹底的に停止している。朝の八時前に連絡が来るような心当たりはそう多くない。メッセージを検める。
着信はメッセージアプリによるもの。送信者は『佐倉燈子』と登録されている。
メッセージを開くと、そこには簡素な文字と肌色面積の多い写真が掲載されていた。
「ぶっ――!」
明音ははしたなくも吹き出し、目を剥きながら慌ててスマートフォンを周囲から隠す。
『寝坊しました』
そんな文字に続いて送られていた一枚の写真には、うら若き乙女が目元でピースサインをしながら映っていた。純白のベッドの上で真っ黒なベビードールを着て、白と黒と肌のコントラストが眩しい。剥き出しの鎖骨に赤みを帯びたロングボブが重なって、なんとも艶やかだ。
明音は自分の顔が盛夏のそれとは別の要因で熱くなるのを知覚した。
佐倉燈子――東陽高等学校一年生。普段は俗に裏垢女子と呼ばれる、SNSに自撮り画像を投稿する趣味をしている彼女は、時折、こうして明音に写真を送り付けてくるのだ。基本的には全年齢対象の範疇に収まっているのが、稀に今日のような際どいモノも届く。
寝坊した朝に悠長なことをしているものだと思いながら『遅刻しちゃだめだよ』と素早く打ち込んで送信。スマートフォンをポケットに戻そうとして――思い留まり、『寝間着可愛いね』と付け加えて今度こそスマートフォンをポケットに戻した。
「お母さんにエロ本でも見つかった?」
明音の動揺と火照った顔をどう解釈したか、達子がにやりと嫌な笑みを見せた。半眼を返す。
「最近のエロ本はだいたいみんな電子でしょ。……いや、そうじゃなくて。なんか、後輩から際どい画像が届いたの。まったく、ただでさえ暑いのに」
明音はぶつぶつと言いながら夏服の第二ボタンに指を掛け、熱気を内側に通す。
熱気に紛れて少しだけ涼しい朝の風が吹き込んで、一息。サッカー部が朝練に勤しむ校庭を眺めながら明音は小さく欠伸をした。
「眠そう」
「昨日は委員会の作業で最終下校時刻まで居たから。寝るのが遅れたんだ」
開放された扉を抜けて昇降口に辿り着くと、途端にひんやりとした風が肌を撫でる。心が安らぐような靴の香りと朝陽が遮られたことによる赤外線的な涼感に、明音はその場で立ち尽くして目を瞑る。
「あー、涼しい。このまま寝そべってしまいたい」
「高校生が夏場の登校で靴下に蓄えた汗がたっぷり付着してるけど、そんなに好きなら止めないわ。雑巾を洗うのが掃除当番かアンタの家の洗濯機かの違いしかないもの」
「ありがとう達子、思い留まることができたよ」
「僥倖。私も友達を減らさなくて済んだ」
明音は校則通りに一切丈を折っていないスカートのプリーツを直しながら靴を脱ぐ。
すると、隣の靴箱から出てきた女子生徒の集団が談笑しつつ階段を登っていく様子が見えた。
「えー、霜鳥ちゃんまた大会で優勝したの⁉」
「チームメンバーがやたらと上手くてさ。賞金でプロジェクター買っちゃった」
不快にならない程度に元気な集団を、明音と達子は思わず目で追う。
その時、集団の中の一人がこちらに気付いて一瞬だけ足を止めた。焦げ茶の毛髪をボブカットにした女子生徒だ。背丈は明音とそう変わらない。夏服の上に薄地のパーカーを一枚着ており、右耳には無数のピアス穴が空いていることから少し不真面目な印象を与える。
彼女は明音を見ると、友人との談笑で浮かべていた笑顔を少し変質させる。瞳を細め、抑えきれない笑みをこぼれさせるように笑った後、「おはよ」と聞こえない声で手を振ってきた。明音も微かに笑って「おはよう」と聞こえないだろう声で挨拶を返す。
それからそのまま、彼女は友人達と階段を登って去って行った。
「三組の霜鳥だっけ。知り合いだったの?」
「さっき言った後輩とか紗季さんと同じで、中学時代からの友達だよ」
「大会とか言ってたけど、なんか部活入ってたかしら?」
「ゲームだね、プロゲーマー。スポンサーは居ないけど」
霜鳥千晴。二年三組の女子生徒であり、明音の中学時代からの友人でもある。
ありとあらゆるジャンルのゲームをこよなく愛し、シューティング、バトルアリーナは好きなだけではなく『得意』。ネットで集まった気心の知れたメンバーでチームを結成し、新作ゲームの小規模な大会に出場しては小銭とばかりに大会賞金を稼いでいる。
人気ベーシストの辻野紗季、裏垢女子の佐倉燈子、そしてプロゲーマー霜鳥千晴。
言葉に起こすと随分と物々しい面々が、自らを平凡と認識する夜久明音の友人達だ。
明音は脱ぎかけだったもう片方の革靴を脱ぐと、それらを持って靴箱へと向かう。
「アンタって結構変な連中と付き合いがあるわよね」
「変な奴筆頭がそれを言う? ……おい君のことだよ目を背けるな」
達子からまるで他人事のように言われた言葉に事実を突き返し、明音はそのまま室内履きを取り出そうと靴箱を開けた、その時だった。明音は動きを止め、目を丸くする。
室内履きの上に、何やら見慣れない薄桃色の封筒が置かれていた。そっと、それを取り出す。
不審な明音の動きを見た達子は、何かを察したようにこちらを覗き込んできた。
二人でジッとそれを見詰めた後、紡がれた言葉は異口同音だった。
「ラブレター?」
今どき、なんと古風だろうか。驚き硬直する明音と、顔に愉悦を滲ませる達子。
「読め、今ここで」と好奇に突き動かされるように達子が封筒に手を伸ばすから、明音は「待て待て」と彼女の顔面を手で押し返す。そして、彼女に見えない角度で封筒を開けた。
封筒の中身は一枚の手紙であり、手紙には至って普通の恋愛感情が書き記されていた。
『あなたのことが好きです。この気持ちに応えてくれるなら、私に会いに来てください』
それから手紙の下部に記載された差出人を見た明音は――思わず眉を顰める。
手紙を読んだまま難しい表情で固まった明音に、達子は興味の尽きない顔で尋ねてくる。
「誰だった。何の用件だった?」
「ラブレター。差出人は――イニシャルS.T」
まさか差出人を答えるとは思わなかったのか、一瞬、達子は面食らったように口を噤む。それからその表情に意地の悪そうな笑みを浮かべて顎に手を添えた。
「アンタね、私にイニシャルを教えたら名前をそのまま読み上げるのと同義――」
「――いや、そうじゃなくて」
思わず話を途中で遮った明音は、困惑を隠さない表情で手紙の差出人部分を彼女に見せる。
「実際に、手紙にそう書かれてるの」
手紙の最下部、差出人の名前を書く部分には『S.Tより』とだけ記述されていた。
それを肉眼で確かめた達子は半開きの瞳を驚きに見開いた後、にやりと笑った。そんな彼女の笑みを対面に置いた明音の脳裏には、三人の友人の顔が過っていた。
終業を告げるチャイムが鳴り、帰宅部の生徒達が疎らに帰っていく。
そんな中、同じ二年一組に所属する明音と達子は顔を見合わせた後、すぐ教室を出る。
向かう先は、新聞部が記事作成時に利用することが許可されているコンピュータ室だ。
あのラブレターの差出人がイニシャルS.Tであることは分かったが、その情報は個人を特定するには至らない。断るも受け入れるも、まずは差出人を探し当てることから始めるべきだ。
達子は誰も居ないコンピュータ室の鍵を素早く開け、大量のパソコンが置かれたその部屋にズカズカと踏み入る。明音もそれに続いた。
「さて――まずは該当者を絞り込むわよ」
「どうやって?」
どうやら人の色恋沙汰ほど面白いものも無いようで、達子は差出人の特定に随分と乗り気だ。そんな彼女を頼りに思いつつ、具体的な手法を明音は尋ねる。
達子は返事よりも先にパソコンを一台起動すると、そのまま鞄から書類を数枚取り出してスキャナへ向かった。
「どうやっても何も、全校生徒の名簿データから該当者を絞り込めばいい」
「そういうのってアクセスできないようになってるんじゃないの?」
「普通はね。でも、生徒の名前が印刷されている資料をシュレッダーにかけなかった新任教師が居た。それをそのままスキャナにぶち込めば簡易データベースができる。あとは漢字名の隣で括弧に囲まれているひらがな部分をプログラムに参照させればいい。括弧の開きと半角スペースの右隣を抽出して、それぞれがサ行及びタ行になっている生徒を条件指定で検索する。スキャナの性能による読み込みの揺らぎはテキストが同一規則で並んでいるかを洗って抑える」
半分ほど何を言っているかは分からなかったが、とにかく何とかなるのだろうと解釈する。
言っている間にスキャンを終えた達子は起動しておいたパソコンに戻り、明音もその隣の椅子を引いて座る。明音が見つめる中、達子は「リスクヘッジ」と呟いてパソコンのネット接続を切断した後、全校生徒の名前を表計算ソフトに突っ込んで統一処理を施す。
それからしばらく、達子はスクリプトを書き始める。傍ら、明音に尋ねてきた。
「それで、差出人に心当たりは?」
脳裏を過るのは、明音の中学時代からの三人。
「……三人。中学時代からの友達が」
「
「うん、
「面白いくらいに全員がS.Tね」
姓名などその気になってもそう易々と変えられるものではない以上、これは偶然と考えるべきだろう。だが、問題はこの偶然がどのようにこのラブレターに関わってくるのかという話。
正確に言えば、明音の心当たりであるこの三人が本当に容疑者なのかという話だ。
「一人はレーベルから声を掛けられたことがあるベーシスト、一人は色んな大会で荒稼ぎをしている半プロゲーマー、一人はネット世界の人気裏垢女子。なるほど?」
含むような達子の言い回しに、明音は嘆息しつつ同意を示した。
「言いたいことは分かるよ。私と違って皆、魅力的だから。釣り合ってるとは思わない」
「釣り合いの有無はアンタの狭い見識で決めることじゃないし、それは交際の是非も決めない。鬱陶しいから卑屈になるな、犯人特定のために建設的な意見を出しなさい」
「犯人」
「そう、犯人。そもそもアンタは生物学的にも性自認においても女性に分類される。どっかの国の世論調査で女性同性愛者の割合が十パーセント前後であったことを考えると、確率的にこのラブレターは異性愛者の男子生徒から出されている可能性が高い。だから他の可能性を模索するほうが建設的でしょ、心当たりは?」
明音は難しい顔で腕を組んで唸り、やがて、ぼそっと呟いた。
「居ない。私、友達少ないし」
「あっそ」
達子は退屈そうに素っ気なく呟いたかと思うと、そのまま残り数行のスクリプトを書き終える。簡単なデバッグをして問題を確かめた後、マウスに手を伸ばした。
「よし、できた」
「どう?」
「待ってなさい、今リストでコードを実行する」
達子は表計算ソフトにずらりと並んだ千人弱の名前の隣に関数を作成し、スクリプトで指定した条件に合致する生徒の名前を抽出する。傍らで眺める明音には何をしているのかまったく理解できなかったが、達子は説明しないし、明音も知ろうとするつもりはなかった。
関数を書き終えた達子がエンターを押下した数秒後、該当者の名前が表示される。
液晶を揃って睨んでいた達子と明音は、その結果に、一斉に押し黙った。
達子は出てきた名前を眺めて「ふむ」と興味深そうに唸り、明音は驚きに目を見開いて硬直している。――やがて、達子は明音を放置したままマウスとキーボードを動かし、己の記述したスクリプトや関数に不備が無いかを何度か確かめた後、ミスは殆ど無いだろうと確信する。
そして、我に返った明音は、押し黙ったまま口を押さえて画面を見詰め続ける。
その表情には強い戸惑いがはっきりと浮かび上がっている。
「結果はこれで確定。この学校でイニシャルS.Tの生徒は三人だけ――読み上げる」
マウスカーソルが一人目を示す。
「辻野紗季。三年生。元々メジャーレーベルから声も掛かっていたベーシスト」
マウスカーソルがそのまま下に動き、二人目を示す。
「霜鳥千晴。二年生。大会賞金を荒稼ぎする半プロゲーマー」
それから、最後の一人をカーソルが示す。明音の顔に強い戸惑いの色が乗った。
「佐倉燈子。一年生。美容業界のプロモーションを請け負う人気裏垢女子」
――以上。夜久明音の中学時代からの友人三人が、三人だけがイニシャルS.T。この事実をどう受け止めていいのか分からない明音は、揺れる瞳で三行の名前を見詰め続ける。
「明音」と名前を呼んだ達子は、椅子の背もたれに肘を置きながらこちらを見詰めた。
「手紙の差出人は、アンタのお友達の中に居る」
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