結末の日まで

篠岡遼佳

結末の日まで




 それが、「いつから」だったかは、よく覚えていない。





「――――ガハッ!」


 上掛けを跳ね飛ばし、彼は呼吸する。しようとする。

 薄い暗闇に満ちた彼の部屋。そのベッドの上。


 彼は呼吸を繰り返し、繰り返そうとし、何度も咳き込み、嘔吐えずいた。


 いつも手近に用意してあるペットボトルの水を飲み下す。

 荒い息がしんとした部屋に満ちる。


 手足が冷たい。立て膝をしたまま上掛けを引っ張り、両手を合わせて息を吹きかける。

 今は6月。除湿するエアコンが動いている。嫌な汗が肌にシャツを張り付かせていた。



 何度も見る夢たち。

 多分、他人から見ればそれは悪夢というものだろう。

 そのいくつかの夢のうち一番苦しい状況が、今日見たものだった。




 ――そこは海だ。

 足も付かない程深く、暗い色をした海。

 真冬ではない、だが水はどこまでも冷たく、潮辛く、目と口の水分を奪っていく。


 彼は藻掻いて、足掻いて、何度も波にさらわれ、そうしていつの間にかやってきた木切れに必死にしがみつく。

 そうでないと溺れてしまうから。


 ――溺れてしまえば楽になる。夢を見せている自分がそう言っている。

 けれど、真っ暗な海に身を投じることができない。


 それが夢。絶望の淵で見ている、自分自身の夢。




 悲嘆にくれるなんてことはもうやめた。

 夢は夢で変わらない。

 現実が現実で変わらないように。




 ――彼は、とある力を持っていた。

 それは、この世界の人間なら誰でも持つ、魂に刻まれた力だ。

 その力は魔力と呼ばれ、行使することで魔法と呼ばれた。

 人々は魔法を使い闇と共に生き、人としての力で闇を光で切り開いた。


 しかし、彼の力は異質とみなされる程の強さを持っていた。

 それだけに、彼の身は危険にさらされることが多かった。

 力を得ようと誘拐されかけたこともある。もちろん異質であるから爪弾きにもされた。近所からの目。困り果てる教師。それから両親。


『どうして普通にできないの』

『あとは自分で何とかしなさい』


 そういうようなことが繰り返されて、やがて彼は頼るものもなく、ひとり家に居ることとなった。

 困窮することはないだけの金銭はいつも口座で受け渡される。

 彼はそんなふうに日々を過ごす少年であった。


 少年は思う。

 いつか、もしかしたら何年後かに、この状況は変わるのだろうか? それがどんな結末であっても。

 いいや、もし選べるなら、結末などとうに選んでいるはずだ。

 少年は、自らを恥じ、自らを追い詰め、それに気付いているからこそ、さらに羞恥を重ねていた。





 彼は、今日もひとり、保健室のベッドの上で昼食をとっていた。


 睡眠不足と、そこから来る疲労で、彼は良く体調を崩した。

 力の制御がうまくいっていないこともその理由の一つだろう、といつか言われたことがある。

 体の成長と、力の制御には大きく相関性があるそうだ。



「――つまりな。

 体が大きくなれば――お前は成長期なわけだけれども――それにつれて魔法も上手に使えるようになるってことだ」


 もぐもぐとサンドイッチを頬張りながら(言われているとおり成長期だ、腹は減る)、彼は頷いた。


「俺、そんなに大きくないですよ」細い自分の腕を眺めながら、彼は答える。

「お前十五歳だろ? 高校一年生で将来を悲観することはないぞ」


 そうさっきから馴れ馴れしく語っているのは、ここのあるじ、養護教諭である。

 目の覚めるような長い金髪に、深紅の瞳、雪のように白い肌、少しとがった耳の先。

 なぜかビジネスカジュアルの上に白衣を着て、くるくると万年筆を回してはそのポケットにしまい込む。

 魂に力のあるものは、こうして大多数の人間と異なる姿を取ることも多かった。

 「白衣の吸血鬼」と呼ばれているが、果たして本物かは不明である。



 サンドイッチを食べる手が止まる。


「俺は……でも……先生……」


 ただ軽い息が、彼の口から落ちた。


「――疲れました」


「――君はね」


 彼女は、椅子を彼に寄せ、彼の目をのぞき込みながら続けた。優しい声で。


「もう少しいろんなものに頼りなさい。

 それがなんなのかわからないなら、とりあえず手をのばしなさい。

 ぶつかったものが、きっと君を助けてくれる。約束する。

 ほら、手をのばしたまえよ」


 彼は、何度か瞬きしてから、言われるままに正面の誰も居ない宙空に手をのばした。


「ほら」


 そしてその手が、教諭の両手につかまった。


「大人はね、こうして君たちみたいなこの手を離さない。絶対にだ。

 いつも、何度も、ここに来てくれてありがとうな。

 だからいつでもいい、わたしの手を、取ってくれ」


 深い赤の瞳が、こちらを見つめている。




 ――教諭の出すサンドイッチは、今日もおいしい。

 保健室の居心地は、悪くない。


 そう、いつか、何年後かに、結末がやってくるのなら。



 彼は、内心で、微笑んでみた。

 教諭は少しきょとんとした顔で、こちらを見ている。





 ――それは、どんな結末になるか、きっと誰も、だれも、まだしらないはずだから。





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結末の日まで 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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