scene 2. Everybody's Talkin'

 本館のラウンジには大人数がゆったりと寛げるよう、大きなソファとテーブルが四セットも設えられている。いちばんリラックスできそうな青い布張りのソファやロッキングチェアはクッションがいくつも積まれて暖炉の前に、あとの革張りのソファセットはパーテーションを挟んで背中合わせに、窓際に置かれていた。

 そのいちばん奥、ダイニング側の席には既にドリューがいた。普段はユーリの付き人として働くドミニクはその斜め向かいに、揃ってソファに腰掛けて寛いでいる。

 本館の一階は二つに分かれていて、入口も二ヶ所ある。一方は宿泊客以外も利用できるレストラン&バー、もう一方はロビーとラウンジ、ダイニングと、宿泊客が使用できるキッチンになっている。

 まるで誰かの祖父母の家のようなカントリースタイルのキッチンでは、ジェシが焜炉ホブの前に立って小鍋を覗いていた。その横でテディの付き人のブルーノがマグを並べているところを見ると、どうやらミルクティーを淹れているようだ。

 ルカはキッチンに顔をだし、「俺らのもある?」と声をかけた。

「ありますよ! 掛けて待っててください」

 大抵、コーヒーなどは付き人に頼むのだが、ジェシはミルクティーにだけは拘りがあり、いつも自分で淹れる。もちろん美味しいので、スタッフに任せればいいのになんて、誰も云わない。

 ラウンジのソファに腰掛けて待っていると、程無くジェシとブルーノのふたりがトレーに乗せたマグを運んできた。ジェシの淹れ方――家に代々伝わる淹れ方だそうだ――では小鍋を使って茶葉を煮出すため、テーブルでポットからというわけにはいかないのである。

 ちょうどそこへロニーもやってきた。皆、口々に「おつかれ」「うぃーっす」「よぉ」などと雑な挨拶をする。

「おはよう。あらっ、お茶を淹れておいてくれたの? ありがとう、あなたたちもおつかれさま。どう? 曲作りのほうは。デモは増えた?」

 にこやかにそう云ってバッグを置き、暖炉側のソファに腰掛けるロニーに、ルカは訝しげに片眉を上げた。

「曲のほうはまあぼちぼち。……なんだ、やけに機嫌が良さそうだな」

「ステフに求婚でもされたか?」

 ユーリもからかうようにそんなことを云った。ステフというのはロニーと住まいを同じくしている恋人である。しかし特殊な仕事に就いているため忙しく、一年の半分も一緒に過ごせてはいないらしい。

 さっさと結婚してくれるとこっちの風向きも変わるかもしれないのにな、などと思いながら、ルカはミルクティーを啜った。


 ルカとテディは単にバンドメイトというだけでなく、一緒に暮らしているパートナーでもある。

 学生の頃から恋人関係にあり、これまでにルカは何度か結婚を見据えた将来の話をテディにしている。が、いろいろあってテディには、自分にはまだ早い、その時がくるまで待っていてというような返事をもらったきりなのだ。

 きっかけがないと、あらためてその話をすることも難しい。ロニーがステフと結婚してくれれば、次は自分たちかな、などと反応を窺いやすいし、そこでいい返事がかえってくればふたりには立会人になってもらうのに――と、ルカはそんなことを考えていたが、彼女はあっさりと否定した。

 

「だったらいいんだけどね。そんなことより、今日は凄いニュースがあるのよ! ……みんな、ゾルト・ギャスパーって知ってる?」

「ゾルト・ギャスパー?」

 聞いたことないなあと思いながらルカはテディを見た。テディも同じらしく、ルカと目を合わせたまま小首を傾げた。が、ユーリとドリュー、ジェシはその名前を知っていたようで――

「ゾルト・ギャスパー……、名前はなにかで見た憶えがあるな」

「ギャスパーか。確か写真家だったな。雑誌で作品を見たことがある。ちょっとアニー・リーボヴィッツみたいな、印象的な写真だった」

「僕ももちろん知ってますよ! で、そのゾルト・ギャスパーがどうかしたんですか?」

 両手でマグを抱え、ミルクティーを啜りながらロニーは一同の顔を見まわした。

「ルカとテディは知らなかった? ゾルト・ギャスパーは今、世界中で話題になってるフォトアーティストよ。ドリューの云ったように、アニー・リーボヴィッツみたいに有名な俳優やミュージシャンの写真をいっぱい撮ってるの。そのすべてが芸術的な素晴らしい作品で、セレブな著名人たちがこぞって彼に写真を撮ってもらおうって仕事を依頼してる。来年までスケジュールが詰まってるって聞いたわ」

 名前は知らなかったが、そういえばなんかどこかでそんな写真家がいると耳にしたことはあったかな、とルカはロニーの話に頷いた。

「で? そのギャスパーさんがいったいなんなんだ」

「プラハで偶然会ってお茶したとか云うんじゃねえだろうな」

「上機嫌の理由ですか? ミーハーですねえ」

「違うわよ! 聞いて驚きなさいよ、そのセレブに引っ張りだこでスケジュールがいっぱいな時の人、ゾルト・ギャスパーが! ジー・デヴィールなら撮りたいって仕事を受けてくれたのよ!」

 私もまさか引き受けてもらえるとは思ってなかった、しかもミラノにいたそうなのに、スケジュールを調整してすぐチェコに来てくれるなんて……! と、ロニーは感激した様子で喋り続けている。ルカは「すぐって?」とロニーの言葉を拾い、尋ねた。

「すぐよ! 今日! もう今、こっちに向かってくれてるの!」

「そりゃあ、えらく急な話だな」

「こっちにってことは、ここで撮るのか?」

 ユーリの質問に、ロニーは落ち着きを取り戻そうとするようにこほんと咳払いをした。

「そう。ギャスパーは被写体の自然な姿と、その人の持つ本質を演出するような芸術的な写真のどっちも得意としてるんだけど、その自然体のほうをここで撮ってもらうわ。背景も申し分ないし、貴重なオフショットでファンも喜ぶしね」

「なるほどね。……ロックフィールドなら尚更よかったのにな」

 ルカがついそう云うと、ドリューも「まったくだ」と同意した。

「まだそんなこと云ってるの? でも、ここは快適でしょ? テディ、あなたもなんだかいつもより顔色がいいじゃない」

 いきなり話を振られ、テディは俯いていた顔をあげた。濃い灰褐色ダークアッシュブラウンに染めた髪の陰から顕になったのは、長い睫毛に縁取られた大きな灰色の瞳と、血の色を透かしているぷっくりしたと形の良い唇――その整った美しい顔に憂いを纏わせ、テディは溜息をつくと、ゆるゆると首を振った。

「健康的な食生活送ってるからね」

「ここにいると、なんか大麻ウィードって気分にもならねえしな。ボングも持ってきてねえし」

「いいことだわ」

「ウィードもだけど、俺はトゥルデルニークTrdelníkが恋しい。クリームたっぷりの」

「ブルノまで出ないとそれはないかもね。甘いものないの?」

メドヴニークMedovníkとかバーボフカBábovkaみたいなのはでてくるけど」

 テディは甘いものが大好物なのだ。チェコ伝統の素朴なスウィーツでは不満そうなテディを見て、ルカはブルーヘイゼルの眼を細め、くすっと笑った。

「ロニー。今度来るとき、オヴォツニー・スヴィエトゾル Ovocný Světozor でケーキを買ってきてやってくれ」

 ルカの言葉に、嬉しそうにテディが頷く。

「いいね。みんなも食べるだろうから、十二個くらいおねがいしようかな」

「計算がおかしいわよ、テディ。買ってくるのはいいけど、二時間以上かかるのに大丈夫かしら。潰れちゃったらごめんね」

 そして、件のフォトアーティストがやってくるのを待つあいだ、一同は曲作りの進捗について話を始めた。

「――で、曲自体はなかなかいい出来だと思ってるんだけど、いまいち決め手にかけるというか……」

「ルカらしい、メロディラインの美しいバラッドなんだが、らしいぶん、またこのパターンかって感じちまうんだな」

「かといって棄てるには惜しいんだよね。いい曲なのは間違いないんだ」



 いまバンドが取り組んでいるのは、六枚めとなるオリジナルアルバムのための楽曲制作である。

 ジー・デヴィールは、SNSで話題になってブレイクした当初はジャジーなソフトロックを演っていた。それがルーツ回帰的にブルースロック寄りになって音に重みを増していき、さらにUKロックの系譜を継ぐようなメロディアスで正統派なロックへと変化してきた。

 数多あるバンドのなか、他と一線を画しているのはルカのややハスキーで伸びやかな声とジェシの乗せるノスタルジックな音、自由気儘に跳ねて暴れまくるテディのベースだ。もちろん、確かなスキルで支えるドリューのギターとユーリのドラムも不可欠だ。

 しかし、音楽誌などでの評価が高くなる一方、スキャンダルの影響もあってルックスから入った女性ファンは離れ始め、その所為かCDの売上も減少気味であった。

 もっとも、これはどんなアーティストにも起こり得ることである。二匹めのドジョウを狙おうTry to catch lightning in a bottle twiceと、ヒットした曲と似たような曲調ばかり演っていてはすぐに飽きられてしまうし、かといってがらりと方向性が違う曲だと期待しているものじゃないと酷評されたり、ファンが離れるきっかけともなり得る。

 バンドの根幹となる部分を大切に保ちつつ、新たにいろいろな要素を少しずつ取り入れて変化していくのが理想だが――それについてくるファン、新たに支持してくれるファン、そして音楽誌のライターによる評価や各国の音楽チャート、アルバムの売れ行きなどは、どれほど苦慮し、戦略を巡らせたとしても完全にコントロールすることなどできない。スキャンダルでさえ必ずしもマイナスに働くわけではなく、まったく話題がないよりはいいということもあるのだ。

 イギリスでは三枚めのジンクスなんてものもあるし、四枚め、五枚めのアルバムで悩み始めたジー・デヴィールは、まだ幸運なのかもしれなかった。



「ルカの歌うバラッドはどれも最高だけど、確かにちょっとワンパターンになってるかもしれないわね」

「王道と云ってほしいね」

「よくあるパターンだとしても、ここ! っていうなにかが欲しいよな」

 件のラヴソングについてはとりあえず保留とし、今はとにかく曲のストックやデモトラックを増やすようにと云い、ロニーは話を締めくくった。

「なにかの拍子にふっとアイデアが浮かぶってこともあるだろうしね。一曲に拘って時間を無駄にしないように。集中してさくさく進めてね!」

「でも、集中してって云うけど、そこにカメラ向けられるんだろ?」


 以前、バンドがブレイクするのに一役買った人物が、ドキュメンタリー映画制作のためツアーに同行したことがあった。その映画のため撮影された映像には、とんでもないものが含まれていた――学生時代から恋人関係にあるルカとテディのラヴシーン、ふたりとオープンリレーションシップな関係を結んでいるユーリとテディがじゃれあうシーン、ドラッグを使用しているシーンなどである。

 ロニーは映画の企画を持ちこみ、撮影をしたニール・ジョーンズに再編集を要求した。しかし頽廃的で過激なシーンがカットされていない映像がまるごと流出、動画サイトにアップされてしまうという事件が起こった。

 スターダムへと駆けあがっていたジー・デヴィールのスキャンダラスな映像はSNSで拡散、視聴回数はあっという間に百万を超える事態となった。TVのニュースやゴシップ誌、SNSなどはイメージダウンしたバンドを叩き、ジー・デヴィールの人気はこの騒動で一時的に失墜した。


 動画流出事件がようやく落ち着いたかと思った頃には、テディのヘロインへの依存が深刻になった。だがそれも克服し、今はテディもユーリもチェコでは条件付きで合法である大麻を愉しむ程度で、ハードなドラッグは使用していない。

 その大麻も此処には持ちこんでいないし、以前起こったような問題を危惧する必要はないだろうが――ルカは、部外者がカメラを構えて常に傍にいるというのはあまり歓迎できるものではないな、と眉根を寄せた。まあ写真集などの撮影も仕事のうちなので、しょうがないのだが。

「演奏中とか、特に集中してるときには遠慮するように、ちゃんと云っといてくれよ」

「ええ、しっかり話はするし、彼もその点は承知してるはずよ。ミュージシャンの撮影は初めてじゃないんだし」

「――ご心配なく。作業の邪魔はしませんよ」

 不意に背後から聞こえた声に、一同は一斉に振り返った。

 どさりと大荷物をロビーの床に置き、カメラバッグを肩から掛けたまま笑顔でこっちを見ている、中肉中背の男がそこにいた。

「予定よりも早く着いたかな。どうもはじめまして、ゾルト・ギャスパーです」

「お待ちしてました。このたびは本当にありがとうございます」

 すぐに立ち、ロニーがきりりと仕事の貌で挨拶をする。

 噂のフォトアーティストは、セレブたちが挙って仕事を依頼すると聞いて想像していたのとはかなり違う、どこにでもいるような朴訥とした風貌だった。着ているコーデュロイのジャケットもチェックのネルシャツも草臥れ気味だし、ジーンズも裾を引き摺って擦り切れている。カウボーイか山男のような印象だ。

 ロニーと握手を交わしているギャスパーを見ながら、悪い人ではなさそうだなとルカは思った。服装に頓着しないのは、自分を良く見せよう、偉ぶろうという気がないということだ。つまりロニーから聞いた評判も、これまでに撮ってきたセレブたちの損得が絡んだ後押しなどでなく、純粋に仕事の結果で得たものなのだろう。深い目尻の皺も人の良さを感じさせ、偏屈そうに見えなくもない人相を和らげている。

「なんとなくだけど感じのいい人だな」

 ルカは隣に腰掛けていたテディに小声で云った。が、テディから返事はなく、ルカはもう一度声をかけようとして――その横顔を見て眉をひそめた。

「……テディ? どうかしたのか」

 テディは目を見開き、凍りついたようにロニーの背中を――否。ゾルト・ギャスパーの顔を見ていた。なにかに驚いたような、信じられないといった表情で。


 ゾルト・ギャスパー。その名前が、ガースパール・ジョルト Gáspár Zsolt *という、ハンガリーではありふれた名前の英語読みであることにルカが気づいたのは夜、部屋に戻ってひとりになってからのことだった。









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※ ハンガリー人の姓名は、日本人と同じように姓・名の順に表記する。

 だが混乱を避けるため、他の欧米諸国で仕事をする場合など、名・姓の順に名乗ることも少なくない。

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