最終章 愛してる

 ある日の昼下がり。

 平日と言うことでスーツ姿の会社員が時折、通りがかる程度の人影のまばらな駅前。まことはそこで、ほだかとデートの待ち合わせをしていた。

 小松こまつがわファームでは『農家でも週休二日をとれるよう』にと、誠司せいじ冬菜とうな伊吹いぶき組と、まこと・ほだか組とでシフトを組んで交代で休日をとっている。今日はまこと・ほだか組の休みのシフトなのだ。

 「同じ家に住んでいるのになぜ、待ち合わせ?」

 などと聞くのは野暮というもの。やはり、待ち合わせからはじまってこそのデートである。

 ほだかとは正式に婚約した。

 ほだかには親はいない。と言うことで、地獄行きにも似た緊張を強いられる『娘さんを僕にください!』イベントをこなさなくてもいいとホッとしていた。

 それもつかの間。両親から『こういうことはきちんとしないといけない』と言われて、ほだかの育ったあまの育館いくだての館長に挨拶に行かされることになった。

 この館長というのがまた、登山が趣味と言うだけのことはあって『その台詞はおれを倒してから言え!』とか言いそうな外見の大男。プロレスラーもかくや――と言うか、若い頃は本当にプロレスラーだったそうだ。しかも、悪役――と思わせる体格の館長を前にまことは緊張する以上にビビりまくったが、豪快に笑いながら快く了承してもらえて心底からホッとした。

 先に家を出て、この場にきてからすでに三〇分近く。ひたすら待ちぼうけである。その間、まことはなんとなしにいままでのことを思いだしていた。

 ――美咲みさきさんが悪いんじゃない。

 まことは心からそう思う。

 ――おれが悪かったんだ。『代々の畑を守る』とか言いながら、本当は家を出てひとりでやっていく度胸がなかっただけ。そんな自分にコンプレックスをもっていて、それを解消できると思って美咲みさきさんと付き合った。そのことに引け目を感じて、金と物を送って埋めようとした。そんなことでまともな関係を築けるはずがない。捨てられたのは当たり前だ。悪いのはおれだ。

 ――ほだかに対しても同じことをしようとしていた。歳の差を引け目に感じて踏み出せずにいた。もう、同じことはしない。おれはほだかが好きだ。愛している。金や、物ではなく、その思いをまっすぐにぶつければいいんだ。

 そうすれば――。

 ほだかならきっと応えてくれる。

 同じ思いを返してくれる。

 「まこと

 愛おしい声がした。

 振り向くとそこに、長いウィッグとワンピースをまとって清楚系美女に変身したほだかが立っていた。愛情に満ちた、優しい笑顔を浮かべている。

 ――この笑顔があったから。

 まことはほだかの笑顔を見ながら思った。

 ――この笑顔がおれを認めてくれたから、おれは自分に対して、農家であることに対して本当に誇りをもてるようになった。代々の畑を守り、次の世代に継いでいこう。本気でそう思えるようになった。いくら感謝してもしたりない。

 まことがそんな思いとともに愛おしい笑顔を見つめていると、ほだかはニコッと微笑んだ。

 「まちました?」

 「いや、そんなことないよ」

 「ふうん? もう、約束の時間より三〇分も遅れてますけどねえ」

 「それぐらい、なんてことないさ」

 「そうですか? それじゃあ、もっとまたせてもよかったかもですねえ」

 「はっ?」

 「ひとりで待ちぼうけしてるのがおもしろくて、ずっとそこで見てたんですよ」

 と、ほだかは唇に人差し指を当てて、片目をつぶってみせる。

 「いつまでまっているか、試してみようかと思ったんですけど結局、かわいそうだから三〇分で出てきちゃいました」

 「お前が来てくれるなら、いくらでもまつさ」

 「あらあ? そんなこと言ってると一日中、またせちゃいますよお?」

 ほだかはそう笑いながら腕を組んだ。

 「さあ、行きましょう。予約の時間に遅れちゃいます」

 「そうだな」

 ふたりは腕を組んだまま歩きだした。

 ほだかが盛大に溜め息をついた。

 「それにしても、婚約したって言うのにランチデートですか。ディナーでいいと思うんですけどねえ」

 「夜になったらヤバい雰囲気になるじゃないか」

 「婚約していてヤバい雰囲気になって、なにが悪いんです? むしろ、大歓迎でしょう」

 「お前はまだ一九歳だ。来年、二十歳になったら結婚する。それまで、手は出さない。そう言っただろう」

 「まったく、堅苦しいですねえ。そんなこと、気にしなくてもいいのに」

 「そうはいかない。二九歳が一〇代に手を出すわけにはいかない。そこだけはゆずれない」

 「三〇歳と二〇歳ならいいんですか?」

 「……それはまあ。二十歳になっていれば世間的にも許容範囲内かな、と」

 はああ~、と、ほだかはまたも盛大な溜め息をついた。

 その溜め息のなかに『ヘタレなんだから、もう』という、しかし、はっきりと愛情の感じられる呟きが混じっていた。

 「まあ、いいです。その分、初夜には盛りあがっちゃいましょうねえ」

 ほだかは口元に手を当ててニンマリ笑う。

 その誘うような笑顔がまことの胸に突き刺さる。

 ――ううっ。この笑顔を前にして、おれは誓いを守れるのか?

 実家住まいで両親と一緒で良かった。

 まことは生まれてはじめてそう思った。ふたり暮らしでは絶対に耐えられるわけがない。

 「そういうところもまあ、好きですけどね。」

 からかい甲斐があって。

 と、ほだかはイタズラっぽく笑った。

 その笑顔を見てまことはなんとも言えない温かいもので心が満たされた。

 ――そう。この笑顔のためなら。

 「ありがとう、ほだか。お前は本当に色々なものをおれに与えてくれた。本当に感謝している」

 「あたしこそ。まことはあたしに家族をくれました。あたしだけの特別な家族を。ありがとうございます」

 「愛している、ほだか」

 「はい。愛しています、まこと

                  完

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