最終章 愛してる
ある日の昼下がり。
平日と言うことでスーツ姿の会社員が時折、通りがかる程度の人影のまばらな駅前。
「同じ家に住んでいるのになぜ、待ち合わせ?」
などと聞くのは野暮というもの。やはり、待ち合わせからはじまってこそのデートである。
ほだかとは正式に婚約した。
ほだかには親はいない。と言うことで、地獄行きにも似た緊張を強いられる『娘さんを僕にください!』イベントをこなさなくてもいいとホッとしていた。
それもつかの間。両親から『こういうことはきちんとしないといけない』と言われて、ほだかの育った
この館長というのがまた、登山が趣味と言うだけのことはあって『その台詞はおれを倒してから言え!』とか言いそうな外見の大男。プロレスラーもかくや――と言うか、若い頃は本当にプロレスラーだったそうだ。しかも、悪役――と思わせる体格の館長を前に
先に家を出て、この場にきてからすでに三〇分近く。ひたすら待ちぼうけである。その間、
――
――おれが悪かったんだ。『代々の畑を守る』とか言いながら、本当は家を出てひとりでやっていく度胸がなかっただけ。そんな自分にコンプレックスをもっていて、それを解消できると思って
――ほだかに対しても同じことをしようとしていた。歳の差を引け目に感じて踏み出せずにいた。もう、同じことはしない。おれはほだかが好きだ。愛している。金や、物ではなく、その思いをまっすぐにぶつければいいんだ。
そうすれば――。
ほだかならきっと応えてくれる。
同じ思いを返してくれる。
「
愛おしい声がした。
振り向くとそこに、長いウィッグとワンピースをまとって清楚系美女に変身したほだかが立っていた。愛情に満ちた、優しい笑顔を浮かべている。
――この笑顔があったから。
――この笑顔がおれを認めてくれたから、おれは自分に対して、農家であることに対して本当に誇りをもてるようになった。代々の畑を守り、次の世代に継いでいこう。本気でそう思えるようになった。いくら感謝してもしたりない。
「まちました?」
「いや、そんなことないよ」
「ふうん? もう、約束の時間より三〇分も遅れてますけどねえ」
「それぐらい、なんてことないさ」
「そうですか? それじゃあ、もっとまたせてもよかったかもですねえ」
「はっ?」
「ひとりで待ちぼうけしてるのがおもしろくて、ずっとそこで見てたんですよ」
と、ほだかは唇に人差し指を当てて、片目をつぶってみせる。
「いつまでまっているか、試してみようかと思ったんですけど結局、かわいそうだから三〇分で出てきちゃいました」
「お前が来てくれるなら、いくらでもまつさ」
「あらあ? そんなこと言ってると一日中、またせちゃいますよお?」
ほだかはそう笑いながら腕を組んだ。
「さあ、行きましょう。予約の時間に遅れちゃいます」
「そうだな」
ふたりは腕を組んだまま歩きだした。
ほだかが盛大に溜め息をついた。
「それにしても、婚約したって言うのにランチデートですか。ディナーでいいと思うんですけどねえ」
「夜になったらヤバい雰囲気になるじゃないか」
「婚約していてヤバい雰囲気になって、なにが悪いんです? むしろ、大歓迎でしょう」
「お前はまだ一九歳だ。来年、二十歳になったら結婚する。それまで、手は出さない。そう言っただろう」
「まったく、堅苦しいですねえ。そんなこと、気にしなくてもいいのに」
「そうはいかない。二九歳が一〇代に手を出すわけにはいかない。そこだけはゆずれない」
「三〇歳と二〇歳ならいいんですか?」
「……それはまあ。二十歳になっていれば世間的にも許容範囲内かな、と」
はああ~、と、ほだかはまたも盛大な溜め息をついた。
その溜め息のなかに『ヘタレなんだから、もう』という、しかし、はっきりと愛情の感じられる呟きが混じっていた。
「まあ、いいです。その分、初夜には盛りあがっちゃいましょうねえ」
ほだかは口元に手を当ててニンマリ笑う。
その誘うような笑顔が
――ううっ。この笑顔を前にして、おれは誓いを守れるのか?
実家住まいで両親と一緒で良かった。
「そういうところもまあ、好きですけどね。」
からかい甲斐があって。
と、ほだかはイタズラっぽく笑った。
その笑顔を見て
――そう。この笑顔のためなら。
「ありがとう、ほだか。お前は本当に色々なものをおれに与えてくれた。本当に感謝している」
「あたしこそ。
「愛している、ほだか」
「はい。愛しています、
完
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