二〇章 夏だ! 海だ! 水着姿だ!

 「師匠、海に行きましょう!」

 ある日、突然、ほだかがそう言ってきた。食いつかんばかりのその勢いに、まことは思わずのけぞった。

 「な、なんだ、いきなり」

 「地球はすでに夏! 夏と言えば海! だから、海に行きましょう。まだ七月半ばで夏休みシーズンの前ですから空いてますよ。いまが狙い目です」

 「『だから』って言うのはなんだ、『だから』って言うのは」

 「『だから』は『だから』です」

 ほだかは胸を張ってそう答えた。

 抗戦不可能を悟ってまことは押し黙った。すると、ほだかはさらに追撃をかけてきた。

 「師匠、言っていたじゃないですか。『農業で一番いいのは上司がいないこと、一番つらいのは休みがないこと』って」

 「た、確かに言ったけど……」

 「これからは、農家だって休みを満喫できなきゃいけません。でなきゃ、後継者なんて集まりませんよ。だから、今後の手本となるためにも海に行って夏を楽しみましょう!」

 ほだかは力いっぱい、そう主張した。

 生き物を相手にする農家が定休日などとれるはずもない。しかし、いまどき、そんなことを言っていては、農家になろうなどと言う奇特な人間が現れるはずもない。これからは、農家もきちんと休みをとれなければならない。完全週休二日制ぐらいは導入できなければいけない。

 伊吹いぶき誠司せいじ冬菜とうなと組んでいるのもそのため。誠司せいじたちとまこと・ほだか組にわけてシフトを組み、交代で休めるようにしているのだ。

 だから、海に行くぐらいのことは出来る。オーバーアートの撮影は毎日、欠かさず行わなくてはならないが、撮影するのは早朝のほんの数秒だけなので日帰りなら問題はない。

 「う~ん。しかし、海かあ……」

 まことは両腕を組み、首をひねった。

 海なんて何年ぶりだろう。と言うか、いままでに行ったことがあっただろうか。一応、学校で水泳の授業はあったので、泳げることは泳げるのだが……。

 子どもの頃は親が畑からはなれることが出来なかったので、海に限らず遊びに連れて行ってもらったことなどない。中学、高校を通じても友だちと海に遊びに行ったなどという記憶はない。連れたちと海に出向いて大はしゃぎ……などという華やかな青春を送ってきたわけではない。大学に入って美咲みさきと知り合い、玉砕覚悟の告白に成功するまで、彼女のひとりもいた試しのない地味~な青春を過ごしてきたのだ。

 そして、美咲みさきと付き合って以降は、美咲みさきのほうが『海や山に行くぐらいなら高級ホテルでもてなされたい』というタイプだったので、美咲みさきと海に行ったことはない。もちろん、他の女性と海に行くなんてとんでもないことだった。

 ――う~ん。こうしてみると、本当に海に行ったことってないなあ。

 まことは首をひねったままそう思い返した。

 ――それが、いまさら海と言うのもなあ。

 もう三〇近いし、海に行って夏を満喫……などという歳でもない。そもそも、そんな柄でもない。自分のように地味な人間は、夏でも家にこもってひとりで過ごしているのが似つかわしい……。

まことがそんなふうになかなかに自虐的なことを思っていると、ほだかが片目をつぶって、口元に人差し指を当て、イタズラっぽい笑顔を浮かべて言ってきた。

 「師匠、いつもがんばってますから。ご褒美にとびきりの水着姿、見せてあげます」

 「そうだな。これからは農家だって休日が必要だ。良き前例を作るために行くとしよう」

 あっさりと、そう答えるまことであった。


 そして、当日。

 まことは車の準備をしてまっていた。まっていたのだが――。

 「おまたせしましたあっ!」

 明るく元気なほだかの声とともに現れたのは、ほだかと同年代とおぼしきふたりの女の子。それも、どちらもかなりの美少女。スタイルも良いし、どこかの雑誌のグラビアを飾っていてもおかしくないレベル。

 驚くまことを尻目に、ほだかはふたりを紹介した。

 「相沢あいざわせりかと篠崎しのざきひじり。ふたりとも、あたしの同期です」

 つまり、ふたりとも、ほだかと同い年であまの育館いくだての出身と言うわけだ。

 「今日はよろしくお願いします」

 ふたりそろって挨拶されて、まことはようやく我に返った。

 「ちょっとまて!」

 泡を食って叫んだ。ほだかの腕を引っ張って、ふたりから引きはなし、物陰に引きずり込んだ。

 「うわあっ。いきなり物陰に引っ張り込むとか師匠、今日は大胆ですねえ。女の子に囲まれて興奮しちゃいました?」

 「バカ! なに言ってんだ⁉ どうして、女の子がふたりも来てるんだ⁉ 聞いてないぞ」

 「だからあ。言ったじゃないですか。『ご褒美に、とびきりの水着姿、見せてあげます』って。そのためのとっておきの人選ですよ。あのふたり、あたしの同期のなかでも一、二を争う美少女ですから」

 スタイルも良いですから、最高の水着姿を拝めますよお、と、ほだかはイタズラっぽく笑ってみせる。

 「伊吹いぶきはどうした⁉ 伊吹いぶきは一緒じゃないのか⁉」

 伊吹いぶきも一緒だと思えばこそ、承知したのである。それが、女子ばかり三人。ほだかとふたりだって気まずいと言うか、気恥ずかしいのにその上、見ず知らずの女の子がふたりもいるなんて……。

 まことの言葉に、ほだかはあきれたように答えた。

 「師匠こそ、なにを言ってるんです。伊吹いぶきはお父さんやお母さんと同じ組なんですから、あたしたちと同じ日に休みをとれるわけないじゃないですか」

 「そ、それは、そうなんだけど……」

 まことがなおもうろたえていると、ほだかは唇に指を当てて空を見上げた。

 「それに、伊吹いぶきには白馬はくば兄さんがいますからねえ。誘ったって来ませんよ」

 「……あのふたり、本当にそういう関係なのか?」

 「さあ?」

 と、ほだかは答えた。

 「仲が良いのはたしかですし、そういう噂はありますけどね。はっきり聞いたわけでもないですし。ただまあ、あまの育館いくだては性別関係なしに恋愛推奨ですから。ガチBLでもおかしくはないですけどね」

 そう言ってから、ほだかは付け加えた。

 「あたしだって、女の子と『特別に』仲良くなったことありますし」

 「そ、そんなことがあったのか」

 思わず食いつくまことであった。そんなまことに対し、ほだかは『おやあ?』と言いたげな笑みを浮かべて見せた。

 「おやおや~? 師匠、気になります? なっちゃいます? そんなに、あたしのこと知りたいですか? そう言えば、男の人は女子同士の関係が大好きだって言いますもんねえ。ここはひとつ、聞いちゃいますか? 男子禁制の女子物語」

 「い、いや、いい……」

 まことはあわてて答えると、そっぽを向いた。そんな話を聞いてしまっては、ほだかとその友人を普通の目で見られなくなる。

 ともかく、もう話は決まっているし、いつまでもせりかとひじりを放っておくわけにもいかない。このまま海に向かうしかなかった。まことの車に荷物を放り込み、全員で乗り込んでいざ出発。出発したのだが――。

 ――ご褒美って……これ、ただの運転手じゃないか?

 そう思わずにいられないまことだった。

 なにしろ、海までそれなりの距離があると言うのに、女子三人は後部座席で楽しげにおしゃべりに興じるばかり。運転をかわろうという気配もない。運転免許は三人とももっていると言う話なのだが……。

 ドライブインで休憩をとって、再び海へ。やはり、まことひとりで運転し、ほだかたち三人は楽しげなおしゃべりをつづけている。

 海に着いたらついたで、ビキニに着替えて海に飛び出すほだかたちを前に、まことはひとり荷物を担いでえっちらおっちら。シートを敷くのも、ビーチパラソルを立てるのもまことひとり。誰も手伝ってくれはしない。

 ――これじゃ本当に、運転手兼荷物持ちの雑用係だな。おれを連れてきたのはこのためか。

 ふっ、と、まことは息をついた。

 ――嬉しいぜええええっ、ちくしょおぉぉぉぉっ!

 思わず内心で絶叫する二八歳独身男であった。

 どう格好つけてみたところで、一〇代美少女三人の水着姿を目の前にすれば感動に打ち震えてしまうのが悲しい男の性。まこととてもちろん、例外ではない。

 ――うううっ。まさか、この歳になって、一〇代女子の水着姿を堂々と拝めるなんて……。

 二八歳の男が一〇代の女の子たちの水着姿をジロジロ見ていたりしたらまちがいなく通報される。かと言って、学生時代だって女子と一緒に海に来たことなんてない。気になるあの子の水着姿を見る機会もないまま成人してしまい、もう水着姿の一〇代女子と関われる機会なんて永遠にない……と、あきらめていたのに、まさか、いまになって囲まれる日が来ようとは。しかも、アイドル級の美少女ばかりに。

 ――生きてて良かったあっ!

 と、思わず感涙にむせんでしまうまことであった。

 しかも、ほだかはもちろん、せりかとひじりも自分のスタイルに自信があるのだろう。きわめて大胆なビキニ姿を堂々と披露してくれている。もうありがたいやら、申し訳ないやらで『死んでもいい!』の境地である。

 シートを敷いて、ビーチパラソルを立てたあとは、定番通りにビーチバレー、スイカ割りと夏を楽しんだ。生まれてはじめての水着美少女たちに囲まれての夏の一時。

 ――ああ、幸せ。このまま時間がとまってしまえばいい。

 と、ほとんど恋する乙女と化してしまうまことであった。が――。

 得てして、幸せな時間ほど邪魔者が入るもの。このときも例外ではなかった。放たれる美少女オーラに惹かれたのだろう。街灯に惹きつけられる虫のごとく、見るからにパリピっぽい大学生風の男子三人組がよってきた。

 「なあなあ。そんなオッサン相手にしてたってつまらないだろ。おれたちと遊ぼうぜ」

 いかにも慣れた様子でほだかたちに声をかけてくる。ニヤニヤと浮かべる笑いが明らかにまことを見下し、馬鹿にしている。

 ――オッサンはどっか行ってな。

 はっきりと、そう言ってきている。

 まことは正直、怯んだ。

 荒事が怖い、と言うのとはちがう。喧嘩などしたことはないが毎日まいにち農作業で鍛えている身。体力はある。筋力もある。死に物狂いで戦えば、ナンパしか能のないパリピ男子三人ぐらいなんとかなるはずだ。しかし――。

 ――こいつらの言うことはもっともなんだよなあ。

 そう思ってしまう。

 ほだかたちはいずれも一八歳。目の前のパリピ男子たちもせいぜい二〇歳と言ったところ。もしかしたら、こちらの三人組も全員、一〇代なのかも知れない。

 一〇代は一〇代同士で楽しむのが自然というもの。アラサー男子の自分こそ、場違いなのだ。パリピ男子たちの言うとおり、自分こそが遠慮するべきなのでは……。

 ついついそう思ってしまったが、かぶりを振って気を取り直した。

 ――なにを言ってる! 唯一の男として、おれがほだかたちを守らないでどうする

 そう自分を鼓舞し、胸を張ってパリピ男子たちの前に出ようとする。が――。

 まことが勇を振るって相手をするまでもなく、ほだかたち三人があっさりとボコボコにして追い返してしまった。それはもう、相手が『ママっ~!』と、泣き出して逃げ帰らないだけ立派、と言いたくなるようなボコり方だった。

 「つ、強いんだな、みんな……」

 驚くと言うより、唖然あぜんとしてまことは言った。

 ほだかは『当然!』とばかりに鼻を鳴らした。

 「それはもう。あまの育館いくだてでは護身術もちゃんと教えますからね」

 「空手とか、合気道とか?」

 「目つぶし、金蹴り、かみつき、引っかき」

 「それ、格闘技じゃないだろ!」

 「だから、護身術ですってば。女子はどうしたって体力的に不利なんですし、捕まればひどい目に遭うんですから。きれいな技にこだわってる余裕なんかないですよ。とにかく、真っ先に急所をついて、逃げ出さないと」

 「な、なるほど……」

 言われてみればその通りではある。護身術とは、実際に身命の危険が迫ったときに使う技。その分、格闘技などよりよほど危険、と言うわけだ。

 「だから……」

 と、ほだかは唇に指を当てたお得意のポーズをとった。

 ニッコリ微笑んだ。

 「浮気したら怖いですよお?」

 このときほど――。

 ほだかの笑みを『怖い……』と思ったことはないまことだった。


 せりかとひじりが泳いでいる間、まこととほだかは荷物番をしていた。ビーチパラソルの影に入り、シートの上で並んで座っている。

 「あ~、やっぱり、海って気持ちいいですねえ」

 と、ほだかは満面の笑みで言う。

 「あ、ああ、そうだな……」

 そう答えるまことの視線がついついほだかの胸元に引きよせられる。

 一〇代のまばゆい肌を惜しげもなくさらして、美少女が自分のすぐ隣に座っている。

 それだけで、視線が吸いつけられるのは男としてはどうしようもない。しかも、このほだか、いつもは作業着がわりのジャンパーを着ているので気がつかなかったが、意外と胸がある。しかも、大胆きわまるビキニ姿なので、豊かなふくらみも、深い谷間もはっきり見える。その谷間についつい視線が吸いつけられ……そこで、『はっ!』と我に返って無理やり視線を引きはがす。

 しょせん、女性経験に乏しいヘタレ。胸の谷間を堂々とのぞき込むような勇者にはとうていなれない。そんなまことを、ほだかは『ふふん』と、勝者の笑みを浮かべて見つめてくる。それがもう、しゃくにさわるというか、降参するしかないというか……。

 「師匠、子どもの頃、海に来たこととかなかったんでしょう?」

 「えっ? ああ。まあ、そうだな」

 「お父さんたち、気にしてましたよ。農家は休みがとれないから子どもの頃、遊びに連れて行ってやることも出来なかったって」

 「そ、そうなのか?」

 「ええ」

 まことは正直、驚いた。そんなことを気にかけているとは思わなかった。第一、いまさら『遊びに連れて行ってもらえない』なんてねるような年代でもない。

 しかし、親にしてみれば、いつまでも気になるものなのか。

 まことはちょっとしんみりしてしまった。

 「はい」

 と、ほだかが小さな箱を手渡してきた。

 きれいな紙に包まれ、リボンをかけた小さな箱。

 「これは……?」

 「師匠、今日が誕生日なんでしょう? お父さんたちから聞きました。だから、簡単なものですけど、プレゼントです」

 「あ、ああ、そうか。今日はおれの誕生日だっけ」

 すっかり忘れていた。

 誕生日プレゼントなんていったい、いつ以来だろう。

 この歳になっていまさら誕生日でもないし、家での誕生パーティーなんて高校あたりからもうやらなくなった。親のほうがどうこう言うより、まことのほうが『親に誕生日を祝われるなんて恥ずかしい』と思う年代になっていた。

 美咲みさきと付き合っていた頃は美咲みさきの誕生日には欠かさずプレゼントを渡していたが、美咲みさきから渡されたことはない。

 ――つくづく、『恋愛』とは言えない関係だったんだなあ。

 と、いまさら思う。

 それが、ほだかはこうしてプレゼントを渡してくれた。自分でも忘れていた誕生日に。

 ――そうか。だから、いきなり『海に行こう』なんて言い出したのか。

 それも、ほだかからのプレゼントだったのだ。海での思い出がないまことのための……。

 じんわりと、思わず涙がこぼれそうになるまことだった。

 「そ、そう言えば、ほだかの誕生は一〇月だったな」

 「はい。そうですよ」

 弟子入りの際、履歴書を受けとっているのでそれぐらいは知っている。ただし、この『誕生日』というのは、ほだかがあまの育館いくだてに預けられた日のことを指している。実際に産まれた日はわからない。ほだかが預けられたとき、名前や生年月日を示すものはなにも残されていなかった。ただ、そのときの生育程度から『二週間ほど前だろう』とは言われている。

 ――よし。一〇月なら、まだ間に合う。お返しになにか計画しよう。

 そう決意するまことだった。

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