一五章 お前がやれ

 月がかわり、四月となった。

 昨今らしく、日はますます強く輝き、四月にしてすでに初夏の空気さえ漂っている。

 季節は入学シーズン。世間が入学や進級、入社の時期を迎えて妙に浮かれ騒ぎ、新しい旅立ちに向けて胸を高鳴らせるなか、まことの畑も新たなシーズンに向けてその姿をかえていた。

 「よいしょおっと!」

 ほだかが威勢のいい掛け声とともに遮光シートをはためかせ、まこととふたり、畑の畝にかけていく。畑一面を緑で埋め尽くしていたコマツナはすでにない。売れる苗はすべて収穫して出荷し、売れない苗もすべて刈り倒して畝の上に敷き詰めた。さらに、その上から遮光シートを広げ、畝全体を覆っている。

 おかげで、いまやまことの畑は土と遮光シートの二色だけ。コマツナの緑に覆われていた先月までの様子は欠片もない。

 「でも、師匠」

 と、まこととふたり、畝という畝に遮光シートをかけているほだかが尋ねた。

 「どうして、こんなシートをかけていくんです?」

 「雑草対策だ」

 「雑草対策?」

 「雑草は昔から農家にとって大敵なんだよ。雑草がわんさと生えるとそっちに栄養がとられて肝心の作物が育たなくなる。いかに雑草を抑えるか、が、農家としてやっていくための最大の鍵だ。昔はそれこそ一本いっぽん手でむしっていたわけだ。一家総出の人海戦術というやつだな」

 「それは、大変ですねえ」

 「ああ。大変だよ。親父は子どもの頃、じいさん、つまり、おれのひいじいさんから『おれが子どもの頃は、これぐらいしなきゃ飯も食わせてもらえなかったんだぞ』って言われながら、雑草取りをさせられていたそうだ。その頃の恨みが残っているのか、いまでも酒を飲むとその頃のことをよく愚痴ってる」

 「へえ。農家の苦労は絶えないですねえ」

 「まあな。無農薬栽培と言えばなにか良さげなイメージがあるけど、作る側からすれば大変なんだよ。遺伝子組み換え作物と除草剤を使えば薬を撒いてそれでお終い、なところを自分の手で一本いっぽんむしっていかなきゃならないんだからな」

 「やってられませんね、そんなこと」

 「そのとおり。そこで、このシートの出番となるわけだ。このシートは光は通さないが水は通す。だから、雨が降ると雨が土に浸透して土のなかに残されている雑草の種が芽を出す。でも、光は通さないから発芽した芽は全部、枯れる。枯れだ雑草は土に戻って、夏野菜のための肥料となる。いま、敷き詰めたコマツナの残りも一緒に肥料になるわけだ」

 「なるほど」

 「そのあとに夏野菜を植えれば、雑草に邪魔されずに育つことが出来ると言うわけだ。もちろん、雑草なんてものは不滅の代名詞。いずれまた生えてくる。しかし、その頃には夏野菜の方が大きく育っているから邪魔にはならない。

 それどころか、いいことがたくさんある。土がむき出しになっていると乾燥しやすいし、雨が降って土が跳ねて葉にかかると、そこから病気か広まることもある。雑草が地表を覆うことでそれらの害が防げる。害虫を食べる益虫の住み処にもなるし、枯れて土に戻れば肥料になる。まあ、無農薬でやっていこうと思ったら、現在ではこれがベストな方法だな」

 「なるほど。いろいろ工夫してるんですねえ」

 「それだけ、農業を取り巻く環境が厳しいと言うことだ。工夫してくふうして、知恵を絞って、少しでも手間と費用のかからないやり方を見つけ出さなきゃやっていけない。それが、いまの農家の現実だよ」

 「なるほど」

 と、ほだかは力強くうなずいた。

 「ますます、燃えてきました! 何がなんでもオーバーアートを成功させて、農業界に革命を起こしてみせます!」

 「もちろんだ」

 まことも大真面目にうなずいた。

 「それで、このシート、どれぐらいの間、かぶせておくんです?」

 「一ヶ月から二ヶ月」

 「そんなに⁉ つまり、その間、畑は使えないわけですよね。いいんですか?」

 「その間に苗床で夏野菜の苗を作るからな。スーパーセル苗だから時間がかかる。だから。ちょうどいい」

 「すーぱーせる苗?」

 「畑に直接、種を蒔くのではなく、セルトレイという苗を育てるための用器に種を蒔いて育てたのがセル苗。スーパーセル苗というのは、このセル苗を通常の倍ぐらいの期間、水だけで育てた苗のことを言う」

 「水だけで? それで、ちゃんと育つんですか?」

 「それが、不思議なことに、水だけで育てた方が丈夫に育つんだよ。虫にも食われにくくなるし、病気にも強くなる。畑に植えたあとの育ちもいい」

 「へえ、すごいんですねえ」

 「そう、すごいんだ。すごいセル苗。だから、スーパーセル苗」

 「なるほど! 機械だからキカイダー、ですね」

 「そのセンスには誰も勝てないな。まあ、多分、肥料が少ないから野菜自身がなんとかして養分を補給しなくちゃって、必死になって根を伸ばすからだろうな。その分、丈夫に、たくましく育つんだろう。実際、路地植えでもあまりに水や肥料をやり過ぎると根を伸ばす必要がないから、野菜のほうも面倒くさがって根を伸ばさない、なんてことは普通にある」

 「なるほど。至れり尽くせりの環境は却って良くないってことですね」

 「そういうこと。子どもの頃から甘やかすと……」

 「「例の御曹司みたいになる!」」

 まこととほだかは同時に言った。

 見事にハモったので、ふたりして笑い出してしまった。

 まことは笑いをおさめると真剣な面持ちになった。ほだかを見た。ほだかもまことの視線を受けて真顔に戻った。そんな表情をするとかわいいなかにも一本ビシッ! と、芯の通った凛々しさが加わり『イケメン美少女』と言った趣になるほだかだった。

 「コマツナ栽培が終わって、いよいよライフ・ウォッチング・オーバーアートに挑戦することになるわけだが……具体的にどうするんだ?」

 「はい! まずは良い場所を決めてカメラを固定します」

 「カメラを固定?」

 「はい。もちろん、雨風に耐えられるよう、きちんとまわりを囲って。そして、一日数秒ずつ動画を撮って、一シーズン分の動画をまとめてひとつの作品とします」

 「一シーズン……一枚の写真じゃなくて動画にするのか」

 「はい。オーバーアートは生命を見る超芸術。文字通り、生命そのものを見る芸術ですから。動画にすることで植物が育つ姿を、生きて、動いている姿を、そのまま見せるんです。」

 「なるほど。しかし、そうなると、畑ひとつを丸ごとっていうのは大きすぎないか?」

 「ああ、そうですね。カメラに収まる範囲には限りがあるますし。一台きりのカメラだと故障もあり得るし、アクシデントもあるかも知れない。いくつかの区画を作って、別々に撮影した方がいいかもですね。その方が色々なパターンを同時に試せますし」

 「となると、一〇アール、一〇メートル四方ぐらいの区画をいくつか作ってそこを撮影場所にするか」

 「いいですね、それ。でも、そんなにいくつもの区画を使わせてもらっていいんですか?」

 ほだかもさすがに遠慮があったのだろう。かのにはめずらしくオズオズした口調で言った。ちょっとうつむき加減になって上目遣いのその仕種がまたかわいくて、まことの胸に突き刺さる。

 「な、なにをいまさら」

 まことは照れ隠しも含めてあえて強気な口調で言った。

 「うちはもうオーバーアートに賭けると決めたんだ。遠慮はいらない。思う存分やってくれ」

 そう言われて――。

 ほだかはニカッ! と、太陽のような笑みを浮かべた。

 「はい! がんばります!」

 「『がんばります』じゃない。『一緒にがんばろう』だ」

 「はい!」

 ほだかはますます明るく、まぶしいぐらいの笑顔で力強く答えた。

 ともかく、区画整備するとなれば他の専門家たちの意見も聞いた方がいい。と言うわけで、料理人の平井ひらいたかし、画商の篠崎しのざき白馬はくば、画家の篠崎しのざき伊吹いぶき、さらに、ほだかが人脈をたどって集めてきた建築家や造園家の助っ人も加えて畑に集まり、会議となった。

 畑に直に出向いてみんなで見て、歩いて、試しに撮影して、スケッチして、部屋にこもって膝をつき合わせての話しあい。数日の間、そんなことを繰り返してようやく大筋が固まった。

 畑の一角に一〇メートル×一〇メートルの区画を五つ用意し、そこをオーバーアートの撮影現場とする。それぞれの区画には小さな池を作り、その池を囲むように馬蹄形の畝を三段、作る。段々畑のように階段状にすることで高低差をだし、立体感を演出するのだ。

 これは、画家である伊吹いぶきの主張だった。

 「水面に映る景色は幻影。魔性を呼ぶ合わせ鏡。その妖しさが世界をより豊かに、魅惑的に彩る。水辺は必ず作るべきだ。そして、奥に行くに従い天に近づけば、神の世界への階段を登るがごとく、世界に奥深さが感じられることとなる」

 「しかし、ここはあくまでも畑。食糧生産のための場所だぞ。見た目を優先して食糧の生産力が落ちたら本末転倒だ」

 「それなら大丈夫」

 と、まこと白馬はくばの懸念に答えた。

 「レンコンでも、ジュンサイでも、池のなかで作れる野菜は幾つもある。休耕中の田んぼでヌマエビなんかを養殖している例もあるしな。池を作っても生産力は落ちない」

 「それはいいが……」

 と、今度は料理人の平井ひらいたかしが首をひねった。

 「階段状の畝というのが気になるな。それじゃあ、作業がしづらいんじゃないか?」

 たかしは料理人と言うことで契約農家のもとで畑仕事を手伝うこともある。ほだかたちのなかでは農業に関しては一番、くわしい。

 ちなみに、会議を重ねて親密になっているので、もう誰も敬語などは使わない。唯一の例外はほだかだが、ほだかの場合、子どもの頃から誰に対してもこの口調なのだという。本人にとっても意識しているわけではなく、自然にそうなるのだそうだ。

 「きっと、生まれつき、礼儀正しいんですね」

 と、『ふんぬ!』とばかりに胸を張ってそう言ったものである。

 「その態度のどこが、礼儀正しいんだ?」

 と言うまことのツッコみはともかくとして、たかしの懸念はまことにもっともなものであった。野菜の世話をするのにいちいち階段状になった畝を登り降りするのは大変だし、なにより、そんなことをしていては畝が崩れてしまう。

 まことは答えた。

 「畝を一続きにするんじゃなくて、ところどころ切れ目を入れて左右から世話できるようにすれば問題ない。逆に高畝にした方がいちいちしゃがまなくていいから作業効率はグンと良くなる」

 「よくわかります」

 ほだかがやたら真剣にうなずいた。この一ヶ月近く、コマツナの収穫で立ったり、しゃがんだりを繰り返し、そのつらさを身に染みて知った分、切実なのであった。

 「それで、師匠。収穫期の終わった夏野菜は枯れた茎葉がたくさん、残るんですよね?」

 「ああ、そうだな」

 「その枯れた茎葉のなかから新しい芽が出てくるって言うのをオーバーアートの最後のシーンにしたいんですよね。枯れた茎葉のなかから新しい命が芽吹く。まさに生命の循環! って言う感じで。そういうこと、出来ますか?」

 「茎葉が地面を覆っていたら新しい芽なんて伸びないだろう」

 と、白馬はくばが言った。

 まことは首を横に振った。

 「いや。実際にそういう畑なんだか、草むらなんだかわからない場所で作物を栽培している人もいる」

 「いるのか⁉」

 「ああ。ただし、それは自然栽培の流儀だ。以前に言ったように、有機農業が身に染みついているおれにはむずかしい」

 「そうですか……」

 ほだかはガックリと肩を落とした。

 そんなほだかにまことは言った。

 「だから、ほだか。お前がやれ」

 「あたしが⁉」

 「そうだ。これも前に言ったけど、自然栽培はなまじ経験のある人間より素人のほうが成功しやすい。だから、お前には具体的な栽培方法は教えなかった」

 「師匠……。最初からあたしに任せるつもりで」

 「当たり前だ。お前はおれの弟子なんだからな」

 「師匠!」

 感極まったほだかは叫びとともにまことの胸に飛び込んだ。あまりの勢いにまことは思わず倒れてしまう。おかげで、ふたり、重なり、抱きあった姿勢で寝姿をさらけ出すはめと相成った。

 「……白馬はくば。こいつらに、神の怒りに震える青き鉄槌を加えていいいか?」

 「いいんじゃないかな、この場合」

 伊吹いぶきがいかにも中二病患者らしいねた口調で言うと、白馬はくばがにこやかに答えた。相変わらず、にこやかな笑みの裏にうごめく魔性が怖いこわい。

 「なんなら、肌身離さずもっている包丁を貸すぞ」

 たかしの物騒な発言も相まって、その場の緊張度が跳ねあがる。まことはあわてて身を起こした。ほだかは相変わらず抱きついたままである。

 「と、とにかく! ここはほだかに任せる。だが、任せる以上、半端は許さないぞ。もちろん、おれも手伝うが、きちんと自然栽培について学んで、本気で取り組むんだ。いいな?」

 「はい! 任せてください、師匠!」

 とびきりの笑顔でそう答えるほだかであった。

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