一四章 御曹司にざまぁ
その日の昼下がり。
ほだかは相変わらす近すぎるぐらいに近い距離で
なんとも複雑な感情を抱えてモヤモヤしている
「どの苗もずいぶんつぼみが大きくなってきましたね。もうすぐ全部、終わりですかね」
なにかと言うとからかってくる(からかってるだけだよな?)ほだかだが、自分から望んだこととあって仕事に関してはさすがに真面目。とくに、カメラマンという仕事柄、観察力が高いのだろう。収穫時期に関してはすぐにプロはだしになってしまった。
「そうだな。いつも、このぐらいの時期になると全部とって、夏作の準備をはじめるし……」
こうして日差しを浴びながら歩いているとすぐに汗ばんでくるし、半袖でも大丈夫そう。もっとも、畑には毒虫も多いので、刺されないように夏でも長袖なのだが。
「……ほんと。三月とは思えない日差しだな。おれが子どもの頃はこの時期はもっと寒かったものだけど」
「そうですかねえ? あたしは、昔からこんな感じだったと思いますけど」
その言葉に――。
ジェネレーション・ギャップを感じて思わず落ち込む
ふいに、クラクションが鳴り響き、聞き慣れないエンジン音がした。見てみると、いかにも高級そうな真っ赤なスポーツカーがやってきたところだった。スポーツカーには興味のない
しかも、高性能モデルのアセットフィオラーノ。
――あんなゴツい車が、こんなところになんの用だ?
車種やくわしいスペックまではわからなくても、普通は畑の広がる田舎道を走っているような車ではないことはわかる。そんな車でわざわざやってくるなんていったい、どこの物好きなのか。
いぶかしむ
「
もともと高級志向で、どこに行くにも必ず着飾り、そのための費用を
そして、運転席からはその財布……ではなく、現在の男である
「な、なんで、あのふたりが……」
戸惑う
「畑なんかに入れるか。靴が汚れる」
そう言わんばかりの態度で足をとめ、
本来であれば、応じる必要などない失礼極まる態度だが、このときの
技術だけは高いが、個性も、特徴もなにもない下手くそな絵描きの絵を見ているような気分。捨てられたばかりの頃は夜ごとに思い出してはひとり、空しく自分を慰めていたというのに……。
――なのに、なんで、こんなになにも感じないんだ?
「なんで、君たちがここに……」
「相変わらず、貧乏くさい畑ね」
カチン、と、
そんな
「喜びなさい。あなたにいい話をもってきてあげたわ」
「いい話?」
「そう。うちでお前の畑の作物を買いとってやろうという話だ」
「うちの会社でもいわゆる『地産地消』というやつに力を入れることになってな。まず、手始めとして、東京都内の農家と契約することになった」
「そこで、わたしがあなたのことを推薦してあげたの。貧乏くさい畑だけど、野菜だけは確かにおいしかったものね」
ありがたいでしょう?
喜びなさい。
感謝なさい。
そう言わんばかりの口調で
「おれとしては、こんな名もない零細農家と契約するなど社名の恥だと思うんだがな。婚約者のたっての願いとあっては無下にするわけにもいかない。そこで、今年からこの畑の作物はすべて、我が社で買いとる。まずは……」
「断る」
――師匠、カッコいい!
「貧乏人のお前たちが食うに困らない程度の金は出して……なんだと? いま、なんと言った?」
「断ると言った。この畑は先祖代々伝えられてきた畑だ。ここで採れる作物はおれたちが丹精込めて育てたものだ。おれたちの誇りだ。その価値を理解しようとしない人間に売るわけにはいかない」
「なにが誇りだ。たたが野菜だろうが」
「そういうことを言う人間に売ることは出来ない。そう言っているんだ」
「ちょっと! いいかげんにしなさいよ」
「せっかく、わたしが推薦してあげたのよ。わたしに恥をかかせるつもり?」
そう。まさに『叱った』のだ。飼い主かペットの不始末に対してそうするように。
実際、以前の
「それは、君が勝手にやったことだろう。恩に着せられる理由などない」
「なんですって⁉」
「……おい。言葉に気をつけろよ」
「貧乏農家に望外のチャンスをくれてやろうと言うのに、無下にするつもりか? 身の程を知った方がいいぞ」
「身の程を知るべきなのは、どっちですかねえ」
余裕の笑みを浮かべながら
「なんだ、お前は?」
「
「あ、
その一言に――。
その様子は
ほだかはそんなまわりの反応は無視してつづけた。
「
「し、知ってるのか……⁉」
「
ほだかは自信の笑みを浮かべると、胸に手を当てた。小柄な体がまるで仁王像のように頼もしく見える。
「だから、知ってますよ。あなたのことも。大学を卒業と同時に支社のひとつを任されたのに、取り引き相手を怒らせるばかりでなんの成果も出せない。おまけに、女性社員に手を出して、孕ませる始末。それで怒った親御さんが『手元において監視しておかないとなにをしでかすかわからない』って、本社勤務にかえたんですよねえ」
そう言われて――。
「そもそも、神崎物産そのものが危ないですもんねえ。
高級スーツを着て、スポーツカーを乗りまわす生活を失いたくないならね。
ほだかは嫌味たっぷりにそう言った。
「こ、小娘……。図に乗るなよ。うちがその気になったらこんな貧乏農家、いつでも潰してやれるんだからな」
「こっちの台詞です。
ニヤリと笑ってそう言われ――。
「か、帰るぞ、
「ちょ、ちょっと……!」
「さあ、師匠。邪魔者がいなくなったところで仕事に戻りましょう。やるべきことはまだまだありますよ」
「あ、ああ……」
言われて、
「な、なあ……。
「もちろんです。『親のいない子に最高の教育を』が。
そもそも、それだけの教育を受けているからこそ、大手企業がこぞって寄付して自分の所に社員として囲いたがるんじゃないですか。
ほだかは自慢げにそう付け加えた。
「な、なるほど……。でも、勉強の苦手な子どもだっているだろう?」
もし、自分がそんな超高度な教育を詰め込まれたら……。
そう思うと、恐怖すら覚える
「もちろん、いますよ。でも、なんにも興味もなければ、才能もない、なんて人間はいませんからね。誰だって、なにかしら向いていることはあるものです。
勉強は全然ダメだけどオリンピック級のアスリートになったとか、動物好きが高じて腕の良いトリマーになったとか、そういう知り合い、たくさんいます」
「な、なるほど……」
そう思った。
「あっ! と、ところで、
本当だとしたら、かなり怖い。
「それは……」
「それは?」
ほだかは唇にそっと人差し指を当てると、ちょっと妖しい笑顔を浮かべた。
「ひ・み・つ、です」
その夜。
「……そうか。
「……ああ」
「今日、会って気がついたよ。おれはかの
――結局、農家であることをバカにしていたのはおれ自身だったんだな。
そう思い知らされた。
――『先祖代々の畑を守る』なんて言っていたのも言葉だけ。本当は家を出て勝負する度胸がなかっただけ。それをごまかすために家業にすがりついていたんだ。だから、
――ほだかがおれを認めてくれた。だから、おれはやっと自分に、農業に誇りをもてた。だから、
「おれが馬鹿だったせいで……親父たちにもいやな気持ちをさせたな」
親の前でのあの
「馬鹿だったのはお前だけじゃないさ」
息子の思いを汲み取ったように、
「おれも、母さんも同じさ。『先祖代々の畑を守る』なんて格好良いこと言っときながら結局、貧乏農家であることを心のどこかで恥じていた。だから、
「ほだかちゃんがすべてをかえてくれた。かえるためのチャンスをもってきてくれた。やってやろうぜ、
「おう」
父と息子は酒の入った杯を打ちあわせた。
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