一一章 農業は高度な知的専門職である

 「……と、とにかく、畑の説明をはじめる」

 ハアハアゼエゼエと荒い息をつきながら、まことはようやくそう言った。両手を自分の膝につき、肩で息をしている。ぴったりくっついてはなれようとしないほだかを振り払うために、無駄な力を使った結果である。

 「……仕事の話だということは覚えていたようだな」

 伊吹いぶきが相変わらずの斜に構えた姿勢で皮肉っぽく口にした。すると、兄貴分の白馬はくばもつづけた。

 「まあ、ほだかは昔から抱きつき魔として有名だから」

 表情はあくまでもにこやか。口調も穏やか。それなのに、見ているとなにかゾッとするものがこみあげてくる。

 「もしかして、元ヤン……?」

 そんなふうに思わせられる笑顔だった。

 一方、当の『抱きつき魔』と言えば、無理やり引き離されたことがよほど腹立たしいのだろう。腕を組んで仁王立ちし、頬をふくらませてプンスカしながらまことを睨みつけている。

 まことは当然、その視線に気がついていたが、このときばかりは無視して話をつづけた。

 「……見ての通り、畑は一面、コマツナだ。うちは江戸時代からつづく歴史あるコマツナ農家だからな。しかし、コマツナ栽培は秋から春にかけてだ。春から秋にかけては別の野菜、トマトやキュウリ、ナス、カボチャ、トウモロコシと言った定番の夏野菜を作っている」

 「なぜだ? コマツナ農家を名乗るならなぜ、コマツナひとつに生命を懸けない?」

 伊吹いぶきの問いにまことは答えた。

 「そこには三つの理由がある。ひとつめは旬の問題。どんな作物も旬の時期に栽培し、旬の時期に食べるのが一番、おいしいくて栄養がある。そして、コマツナに限らず、ほとんどの菜っ葉類の旬は冬だ。冬の寒さに包まれ、霜に当たった菜っ葉ほど甘味が増し、おいしくなる」

 「そうなんですか?」

 と、ほだか。大きな目が驚きのあまり、ますます大きくなっている。

 「野菜って、気温の高い夏の方がよく育つものだと思ってました」

 ケロッとした様子でそう尋ねる。あんなに怒っていたのにもう機嫌が直っているあたりが、いかにも単純明快なほだからしい。

 まことはそのことにホッとしながら説明した。

 「その通り。気温が高い方が菜っ葉はよく育つ。育ちすぎるのが問題なんだ」

 「どういうことです?」

 「あまりにも育ちが早いと味が乗らず、水っぽい仕上がりになってしまう。おいしくないうえに、栄養も低い。冬場の菜っ葉類がおいしいのは寒さのなかでじっくり育つ分、栄養を蓄えているためだからな。おまけに、暑いとすぐにつぼみがついてしまう。充分に葉が育つ前につぼみがついてしまったら商品にならない」

 「なるほど。育てばいいってものじゃないんですね」

 ほだかは感心してうなずいた。

 「そういうことだ。それに、夏場の強すぎる日差しは葉焼けを起こして枯れてしまう心配もある」

 まことはいったん、言葉を句切ってからつづけた。

 「ふたつめの理由は畑に貯金を作るためだ」

 「貯金?」

 と、今度は伊吹いぶきが尋ねた。

 「菜っ葉類は全体を食べる。畑に残るのは根っ子だけだ。つまり、菜っ葉類だけを栽培していると畑の養分が持ち出されるばかりで、畑はどんどん枯れてしまう。

 そこで、夏野菜を作る。夏野菜は実を食べるものばかりで大量の茎葉を残す。この茎葉は畑の養分を吸って出来たものだが、それだけじゃない。日を浴びることで自ら光合成で作りだした分もある。この茎葉を畑に戻すことで、光合成によって増えた有機物が畑の養分となる。この養分で冬のコマツナを作る。これが、畑の貯金というわけだ」

 「それなら、肥料を撒けばすむ話だろう?」と、伊吹いぶき

 「それはそうなんだが、肥料を与えるのにもふたつ、問題がある。ひとつは単純に価格。肥料代も年々、高くなっている。うちみたいな零細農家ではいちいち外から買っていては経営が成り立たない。畑のなかで作物と同時に肥料も生産しなくてはならないんだ。ニワトリを飼っているのもその糞や毛を肥料として使うためだ」

 「鶏糞って言うのは聞きますけど、毛まで肥料になるんですか?」と、ほだか。

 「基本的に、生物由来のものはなんでも肥料になる。ニワトリの毛はあまり注目されることはないけど、肥料に混ぜて撒いておくと意外なぐらい役に立つ」

 「へえ」

 と、ほだかは感心しきりである。

 「もうひとつの問題は?」

 今度は白馬はくばが尋ねた。

 「環境に対する影響。畑に撒いた肥料はそのすべてが作物に吸収されるわけじゃない。と言うより、吸収されるのはほんの一部だ。大部分は吸収されることなく土にとどまったまま、雨などによって流されてしまう。この肥料分が地下水に流れ込むと、栄養過多を引き起こして河川の汚染の原因になってしまう。いくら食物生産のためとは言え、水質汚染を引き起こしていいわけじゃないからな。そのためにも外からどんどん肥料を入れるのではなく、その畑で使われた分を、その畑で生産して、その畑に返す、と言う循環経路を作りあげた方がいい」

 「なるほど」

 と、篠崎しのざき三きょうだい(?)は、そろってうなずいた。

 「さて。冬と夏でちがう野菜を作る理由の三つ目は連作障害対策だ」

 「連作障害?」

 「忌地いやち現象とも言うな。同じ野菜を同じ場所で作りつづけていると段々、出来が悪くなる現象だ」

 「あ、それなら、聞いたことがあります」

 ほだかが両手を叩いて答えた。

 「家庭菜園の指南書とかでも必ず載っていることだからな。農業に関心がなくても一度や二度は聞いたことがあるだろう」

 「……おれはない」

 「お前は絵画以外のことに興味がなさ過ぎるからな」

 伊吹いぶきねたように言うと、白馬はくばがからかうように、なぐさめるように言いながら伊吹いぶきの頭をポンポン叩いた。それに対する伊吹いぶきの表情がまた、怒っているような、喜んでいるような……。

 「それで、その連作障害って、なんで起こるんです?」

 ほだかの質問のまことはスラスラと答えた。

 「大きくわけてふたつ。まずひとつは、病害虫の発生。同じ場所で同じ作物を作りつづけていると、その作物を好む病原菌や虫たちが集まり、大発生しやすくなる。そんなことになれば当然、作物は育ちにくくなるわけだ。

 しかし、これは農薬散布などで対処できる。本当にやっかいなのは土壌状態の悪化だ」

 「土壌状態の悪化?」

 「そう。土のなかには目に見えないほど小さな生き物たちがウヨウヨいる。同じ場所で同じ作物を作りつづけていると、土のなかにもその植物を好む病原菌や害虫が増えてしまう。そうなれば当然、育ちも悪くなるし、病気にもかかる。これが、土壌状態の悪化。土壌状態の悪化にはもうひとつ、化学的な理由もある」

 「化学的?」

 農業の説明で『化学』などと言う言葉が出てきたのがよほど意外だったのだろう。三きょうだいはそろって目をパチクリさせた。

 「植物は根っ子から水や養分を吸うわけだが、根っ子の働きはそれだけじゃない。自らクマリン類やフェノール類、アルカノイド、テルペノイドと言った様々な化学物質を分泌する」

 「は、はあ……」

 「これらの化学物質は他の植物の生育を阻害する。そうすることで他の植物を枯らし、自分だけが生きのころうとするわけだ」

 「……人の目の届かぬ地下深く、植物たちは日々、生死を懸けた争いを繰り広げていると言うのか」

 伊吹いぶきが衝撃を受けたような、喜んでいるような声をあげた。

 「『他の生き物を害してでも繁栄しようとするのは人間だけ』

 なんてことをよく言うけどな。実際には、どの生物も自分の繁栄のために他の生き物を害そうとする。ただ、人間以外の生物は、人間ほど効果的にそれができないから全体としてバランスがとれている。それだけのことだ」

 「……やはり、この世は魔界か」

 ふふふ、と、雰囲気たっぷりに笑う伊吹いぶきである。

 「いや、なにも悪いことばかりじゃない」

 伊吹いぶきの態度に、まことはあわてて付け加えた。

 「これらの効果のことを『アレロパシー他感作用』、その効果をもたらす物質のことを『アレロパシー物質』と言うんだけどな。このアレロパシー効果は悪いことばかりじゃない。一緒に植えることで他の植物の生育を助ける場合もある。

 その効果を狙ってちがう植物を一緒に植える技術もある。コンパニオン・プランツと言うんだけどな。代表的なのがカモミールやネギ類だな。カモミールは『お医者さんのハープ』と言われるぐらい、まわりの植物を元気づけることで有名だ。ネギ類も様々な植物の成長を助ける。

 ネギ類はアリインという硫黄化合物を含むんだが、このアリインが酸化するとアリシンという抗菌作用の強い物質に変化する。また、ネギの根のまわりには有害なフザリウム菌に対して静菌作用のあるシュートモナス菌などが好んで生息することが知られている。これらの効果が他の植物を病気から守るわけだ」

 ほだかたちが目を丸くして聞き入っているので、まことはそのままつづけた。

 「ともかく、同じ場所で同じ作物を栽培していると土壌条件はどんどん悪くなってしまう。そこで、それを防ぐために他の植物を元気づける植物を一緒に植えたり、シーズンごとにちがう種類の作物を植えて特定の病原菌や害虫が増えたり、化学物質が蓄積しないようにする。

 それが、輪作という技術だ。家も同様に、コマツナばかりを栽培してコマツナを好む病原菌や害虫が増えないよう、夏場はちがう作物を作っているわけだ」

 ただし――。

 と、まことは付け加えた。

 「連作、つまり、同じ場所で作りつづけた方がいいと言われる野菜もある。エンドウがその代表だな。マメ科のヘアリーベッチはシアナミドというアレロパシー物質を分泌し、雑草の生長を阻害する。

 エンドウの根からも同じような物質が分泌されていると言われている。そうすることで、他の植物の生長を阻害し、自分たちだけが育てる環境を作っているわけだな。では、どうして、当のエンドウはその影響を受けないのかと言うと、自分の出すアレロパシー物質を分解する酵素をもっているからだ。そのために、エンドウの成育中は分解酵素がどんどん分解するから自分は影響を受けずにすむ。

 ところが、エンドウの分泌するアレロパシー物質は、時間がたつと土のなかで安定形に変化してしまい、分解できなくなる。そうなると、エンドウ自身も成長が阻害される。だから、エンドウはひとつの苗が終わる前に種を蒔いて、新しい苗を育てる。そうして、どんどん育てつづける。その方が簡単だと言われている。まあ、あくまでも経験則で科学的に調べられたことがあるわけじゃないんだが、実際にやってみればうまくい、く……」

 そこまで言ってまことはようやく気がついた。ほだかたち三人がやたら不思議そうな目で自分をジッと見ていることに。

 「な、なんだ……?」

 ――なにか、おかしなことでも言ったか?

 まことはそう思って不安になった。

 「師匠!」

 「はい!」

 ほだかの叫びにまことは思わず跳びあがった。

 「なんで、そんな面白いことをもっとアピールしないんですか⁉」

 「はっ?」

 「アレロパシー物質とか、自分で自分の出す物質を分解するとか、メチャクチャ面白いじゃないですか。なんで、そういうことをどんどん発信しないんです⁉」

 「い、いや、だって、こんなこと、一般人は興味ないだろう?」

 まことは本気でそう信じていたので、ほだかがなにを興奮しているのかわからなかった。ほだかは前に踏み出した。

 「なにを言ってるんです⁉ そういう話こそ面白いんじゃないですか」

 「そうだ」

 と、伊吹いぶきもうなずいた。中二病に染まったままの瞳がギラギラ燃えている。

 「物言わぬ植物たちが日々、土のなかで繰り広げる生存競争。自らの生存のために武装する植物たちと、それを乗り越えて繁栄しようとする他の生物たちとの間で繰り広げられる血を吐きながらつづける悲しいマラソン。まさに、ハルマゲドンの世界だ」

 「は、はあ……」

 「こいつの言うことは放っておいて」

 と、白馬はくば伊吹いぶきの頭のてっぺんに指をつき、クリッとばかりに別方向を向かせた。

 「確かに、そういうことはもっとアピールした方がいい。『農業でのんびりスローライフ』なんていう風潮がはやるのは、農業というものが誰でも出来る簡単な仕事だと思われているからです。

 それでは、人は集まらない。

 とくに優秀な人間は。

 優秀な人間が望むのは『自分にしか出来ない』難易度の高い挑戦ですからね。だからこそ、農業というものは様々な要素が複雑に絡みあった高度に知的な職業だと言うことをアピールする必要がある。そうした方が優秀な人材が集まりやすくなります」

 「そ、そういうものなのか……?」

 「そう言うものです!」

 ほだかが断言した。

 「師匠! オーバーアートを展開する際には農業のそうした知的で科学的な面もどんどんアピールしてイメージ改善を図りましょう! 農業のイメージを『誰でも出来る簡単な仕事』から『高度に知的で複雑な専門職』にかえるんです! そうすれば、世の中における農家の地位だって全然かわってきますよ」

 「あ、ああ、そうだ……な」

 ほだかの勢いに押され――。

 よくわからないなりにそう答えるまことであった。

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