異世界新宿とヴァンパイア
鴎
第1話 見知らぬ路地裏
目が覚めると私は路地裏に寝ころんでいた。
見たことのない路地裏だった。
ビルに切り取られた青空が見える。壁には配管が何本も這い、空調機が音を立てて回っていた。
どこの路地裏だろうか。まるで見当がつかなかった。
そもそもなんで自分が路地裏にいるのかひとつも分かりはしないのだ。
だって、自分はさっきまで車を運転していたのだ。山間の田舎の国道を走り、職場に向かっていたのだ。あの、汚い辛い工場に向かっていたのだ。しかし、どうしたことか。なんでか突然こんなところに私は居る。
「おい、意識ははっきりしているか?」
そんな私に声がかけられた。
視線を上げる。つまり、私の頭の上、路地の奥から聞こえた声の主に目を向ける。
そこに立っていたのはショートの銀髪の女だった。少女というには幾分か大人びていたが大人というには若かった。ありふれたパーカー姿だった。そして、その目は血のように赤かった。
「すいません。まるで状況が分らないのですが」
私は率直な感想を口にした。
どうやら、この女なら私がなぜここにこうしているのか分かるような気がしたからだ。
「どうやら、自我に問題はないな。記憶も連続しているのか」
女は私の元まで歩いてきた。そして、私の上から私を見下ろした。
「あの」
私は質問を重ねようとすると。
「お前は死んだ」
「は?」
女は言った。
「お前の世界でお前は死んだ。そして、この世界に魂を素にして召喚された」
「はぁ」
答えるしかなかった。死んだ? 私が? しかし、記憶の糸をたぐりよせると思い出されてきた。
そうだ、確か、あの山道でカーブを曲がったとき大型トラックが車線をはみ出してきて、それを避けようとして、そのままガードレールを.......。
「なんで生きてるんですか?」
「私が転生者として呼んだからだ。って言っても、召喚のタイミングで死んだのがお前だっただけでそれ以上の意味はないけどな」
まったく意味が分らなかった。
自分が死んだ。それはなぜか実感があった。確かにあの時自分が終わったということだけはなぜかはっきりと納得できた。
しかし、
「あっちとかこっちとかなんなんですか」
「ここはお前が居た世界と別の世界だよ」
「でも」
この景色はどう考えても日本の路地裏のように見えた。回る室外機には日本語でメーカー名や、品番が書かれている。少なくともどう考えても日本のように思われた。
「元居た世界と似通ってるってことか? そうだな。ここはたぶんお前の世界の双子みたいなものだ。でも、まったく別の世界だ」
そうは言われても実感はなかった。だって、どこが違うのか分らない。
「あなたは?」
「私か? 私は吸血鬼だ。イツカと呼べ」
「吸血鬼?」
「別にこっちじゃ特別なもんじゃない。珍しくはあるだろうがな。そら、立て」
そう言うと女は私の襟を掴み強引に立たせた。ものすごい力だった。とても人間の力とは思えない。そ私はそのまま米袋のように脇に抱えられる。
「な、なんだ」
「飛ぶからしゃべるな。舌噛むぞ」
そう言うと女はそのまま飛び上がった。文字通り飛び上がった。路地裏からひとっ飛び。およそ、人間の動きじゃない。女は私を軽いバッグか何かのように抱えたままビルの屋上に着地した。
動揺でパニックの私の眼に眼下の街が映る。しかし、それはさらに私の動揺を加速させた。
「な........」
そこに広がっていたのは東京の街だった。間違いなくテレビで見た新宿の街。
しかし、歩いている人が違った。頭から角が生えたもの。獣の耳が生えたもの。刀剣を脇にさした人間。街角では光の弾を浮かばせてパフォーマンスのようなことをしている黒い頭巾の男が見えた。大きな見たことのない牛のような生き物が横断歩道を渡っている。空には大きなクジラのようなものが飛んでいた。
「な.........」
どこからどう見ても現実の景色ではなかった。夢だろうか。死の際に見るたちの悪い夢なのだろうか。
「夢だ」
私は言った。
「夢じゃない。大体夢でもどっちでも良い。お前は私の下僕になってもらう」
「はぁ!?」
「お前には私と狼男を狩ってもらう」
「はぁあ!?」
とうとう私は今の状況の理解が追いつかず頭がパンクし始めた。
確かに死んで、死んだら吸血鬼を名乗る女に召喚されて、そこは東京そっくりの別物の街だった。
そして、吸血鬼は下僕になって狼男と戦えという。なにがなんだか分らない。
夢だろうか。全然私には分らなかった。
ただ、この異様な街を眺めることしか出来ない。呆然とするしかない。
「理解したか? OK?」
「全然.......」
「物分かりの悪い奴だな。まぁ、どっちでも良い。ちょっと痛むぞ」
「は?」
女が、イツカがそう言うと私の首に激痛が走った。見れば、イツカが私の首に喰らいついていた。その歯は深々と私の頸動脈に突き立てられていたのだから。
「ぎゃああ!!」
私は叫んだ。その声はこの異様な新宿にこだますることもなく、雑踏にかき消されるのだった。
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