さょっとでていさます

みな

第1話 ジローのまちぶせ

 ある日、私の前にジローはあらわれた。

 なんの前触れもなく、突然。


 始まりは、エサをあげたこと。


 雨が降っていた。つゆの季節だった。

 夕方5時を知らせるチャイムが、雨に歪んで鳴り響いていた。



 大学からの帰り道、スーパーで夕食の買い物をして、水色の傘を差しながらいつものように近道の松林を歩いていた。

 すると目の前にいきなり、大きくて、ふさふさな『なにか』が、ぬっとあらわれたのだ。


 クマが出たと思った。

 あまりにも驚きすぎて、買い物袋がベチャッと音を立てて足元に落ちた。


『なにか』は、ゆっくりと大きな体をかがめ、袋についた泥を、ふさふさの手で拭うと「はい」と私に、差し出した。

「ありがとう」

 おそるおそる、それを受け取った。


 言葉を喋る『なにか』が、なんなのか、私には見当もつかなかった。

 ただ、『なにか』はあまりにもびしょ濡れで、なぜか、ほっとくこともできなくて、「うちで雨宿りしませんか」と、つい聞いてしまって、『なにか』がこくんと頷いてしまったので、連れ帰ってしまった。


 お腹も空いているみたいだったから、エサもあげてしまった。


 昨日の残りものの『肉じゃが』。


「おいしい、これ、だいすきです」と、『なにか』は言った。

「あなた、名前は?」


「ジローです。よろしくです」

 にぃっと、『なにか』は……ジローは白い歯を見せたのだった。


 それから、ジローは『まちぶせ』をおぼえた。


 夕方5時の松林。

 何の目印かわからない『No.3』と書かれたひょろりと細長い松の木の下で、ジローは私をまちぶせる。


 しかたがない。と、また、連れ帰ってしまった。

 お腹も空かせているみたいだったから、また、エサをあげてしまった。


 新しく作った『肉じゃが』。


「おいしい、これ、だいすきです」

 ジローは白い歯をみせた。



 まちぶせは続いた。


 はじめは、たま~に。

 たま~にが、ときどきに。


 ときどきは、『よく』に変わって。

『よく』が、いつもに。


 ジローは、すっかり私になついてしまった。


 ひょっこりあらわれてはエサをおねだりし、そのまま帰っていくときもあれば泊まることもあった。


 まるで気まぐれな野良ネコみたい。

 野良ネコならぬ、野良ジロー。


 だから私は、ジローの首に青い合鍵をかけてあげたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る