第4話 ジャクリーヌの御守り

 

 ジャクリーヌは厩でブロンの世話をしていた。真っ白いそのたてがみを櫛でといてやると、ブロンは気持ち良さそうに口をもぐもぐさせはじめ、止めるともう少し掻いてと言いたげな表情を浮かべて見つめてくる。

 優しい性格だとジャクリーヌは思っているが、気難しい馬だと言われることもある。

 しかし、それはとても賢いからだ。


 ブロンは、ジャクリーヌが紺色のエプロンドレスを着ている時は、まるでジャクリーヌをエスコートするように、ゆっくりと歩いてくれるし、鎧姿の時は、その背に乗せて勇ましく走ってくれる。


 あの日もそうだった。


 あの日、ジャクリーヌは覆われた世界の隙間から、彼を見ていた。


 死を覚悟した顔。

 その顔なら何度も見てきた。

 しかし、その表情は様々だった。


 ジャクリーヌが掛ける言葉に馬鹿笑いをし、「情けなど死神に望まない」と無表情に戻る者。

 ひたすら睨み付けて無言を貫き通す者。

 誰もが死神のジャクリーヌを呪って死んでいく。

 呪われて救われるのであれば、別に呪ってくれて構わない。


 自分は魔女になってしまうのかと、泣いてしまったあの日に、きっと全ては決まっていたのだろう。


 だから、剣術の先生の言葉を信じて鍛練を続けた。

「お前は女だ。戦場においてそれは何よりの弱みとして、お前に襲いかかるだろう。だから、弱さを捨てろ。誰よりも強くなれ」

 どのように生きれば良いのかも分からなかったジャクリーヌには、それが生きる標となった。


 髪色に泣くこともなく、その髪色が自分の力として動く。


 そう、……死神になったのだから。それで良いのだろう。


「言い残すことはないか?」


 目の前にいる、自分を人間だと信じて疑うことのなかったジャクリーヌの敵が、何を言い残したいのかをただ知りたかった。


 しかし、ジャクリーヌの振るう剣は、諸刃の剣。

 諸刃の剣の片側は相手を切り裂き、もう片側がいつもジャクリーヌを切り裂く。


 だけど、きっと、赤にはまだ。

 まだ……。縋るような桃色のまま。

 ジャクリーヌは、そんなことにも気付かずに眼下を見つめる。


 彼はジャクリーヌを見上げて、どこか清々しそうに「そうだな」と空を見上げた。

 黒き瞳に黒き髪。しかし、闇に飲み込まれることのない、光を見つめるそんな目で、彼が続けた。


「生き残っている家族に伝えて欲しい。あの庭でゆっくりと待っているからと」

 死を間近に、彼は他人の『生』を望むのか。そして、肯くジャクリーヌに「感謝する。ありがとう」と力なく笑った。


 人間とは、……。

 魔女でもなく、死神でもなく……。

 頬に何かが伝った。


 あの時と同じ、髪を切ったあの時と。


 ……私は、死を覚悟して、きっと笑えない。ただ、感情がぐちゃぐちゃになる。きっと、誰かを呪うことで救われようとする。

 刃が、彼の首から離れていた。彼はもう逃げないと分かったのだ。

 ……私と違い、彼は、逃げない。


「……歩けるか?」

 ジャクリーヌは彼に問い、馬に積んでいた縄で彼の手を拘束し、腰紐を付けて、連れ帰った。

 城に戻るまで、死に急ぐこともなく、生きながらえようともせず、ただ彼は歩き続けた。


「ブロンはあの時も彼のペースに合わせて歩いていましたね……」

 ブロンがその言葉に耳を震わせ、こそばそうにした時、舞い上がるような風がジャクリーヌを襲い、彼女の帽子を奪ってしまった。

「帽子が……」

 慌てて駆けだしたジャクリーヌの後ろ姿を、ブロンがじっと眺めていた。


 そして、彼に会ってしまった。


『魔女なんだよ』

 童話の魔女がジャクリーヌの傍でにやりと笑ったような気がした。


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