天気と座布団

あべせい

天気と座布団



 11階建てマンションの一室。

 ドアが開き、その部屋の中年夫婦、半田赤司と妻の葵が買い物袋を下げて帰宅する。

「オイ、おれはくたびれたから、少し横になる」

「どうぞ。わたしはベランダに干したものを取り込むから」

「あァ……」

 葵はベランダへ。

「あなた、タイヘン! 来てよ」

「どうした? おまえは、いつだってタイヘンなンだからな」

 赤司、仕方なくベランダへ。

「これ、見てよ」

 とり込んだ座布団を示す。

「これを干していたのか。濡れているじゃないか」

「雨が降ったのかしら?」

「バカ野郎、この近所のスーパーに行っただけだ。出かけていたのは、2時間足らず。こんなに晴れているンだ。スーパーで降らずに、ここだけ雨が降ったというのか」

「そうかも……」

「それより、座布団なンか、どうして干したンだ。クローゼット下の、いちばん奥にしまってあっただろう。滅多に使わないのに……」

「だから、干したのよ。昨日はわたしたちのお布団を干したから、きょうは座布団と前から決めていたの」

「座布団は全部で5客あっただろう。ここには3客しかないが……」

「気になるの?……」

「いや……、それより、きょうの天気予報はどうなっていたンだ」

「いつも見ている、この地域のテレビKJの天気予報だったけれど。自信たっぷりに『きょうのお天気は、快晴です。お布団を干したままお出かけしても、大丈夫です』って言っていたわ」

「あの、いつもの子か?」

「雨戸ニレちゃんよ。あなたの大学の後輩でしょ。あなたは気象クラブのOBとして、当時はよく彼女たちの指導に行っていたじゃない」

「そんな古い話、忘れたよ」

「彼女、若く見えるけれど、もう30になっているンでしょう?」

「どうかな。5年前の卒業だから、まだ27くらいじゃないか」

「あなた、詳しいわね」

「毎年、年賀状が来るだろう。それくらいの見当は付く。それより、本当に、きょうは布団を干して出かけてもいいと断言したのか」

「そう。あの子、最近、ときどき断言するの。『明日は雲一つない快晴です』とか、『午後から、雨が降りますから、傘をお持ちください』とか。ふつうは、『よく晴れるでしょう』とか、『傘があるほうが安心です』というじゃない。だから、あの子、主婦の間でちょっと話題になっている」

「大手のテレビ局に引き抜かれたがっているのかもな」

「あなた、気象庁の予報官でしょ。少し、意見してあげたら?」

「こんど会う機会があったらな。なかなかないと思うけれど……」

「わたし、いまから電話で注意してあげる。座布団が台無しになったンだから。そのほうがあの子のためでしょ」

「そういうことなら、おれがかける」

「いいわよ。わたしがかける。あなたは乱暴だから。電話番号はケーブルテレビの案内に載っていた……これね」

 赤司は濡れた座布団を撫でまわしている。

 葵はダイヤルしながら、

「あなた、何しているの?」

「いや、まだ弾力があるか、確かめているンだ」

「?……あァ、もしもし。赤塚9丁目の半田ですけれど、お天気の係をお願いします……あなた、今朝天気予報をなさった方? 雨戸ニレさんね。いつも見ています……でも、きょうのあなたの予報は、大外れよ……そんなこといっても、ベランダに干した座布団、濡れたもの。ずぶ濡れヨ……わかったわ。うちは9丁目2番……」

 赤司は、濡れた座布団をドライヤーで乾かしている。

 葵、ドライヤーを奪い取り、

「あんた、なにバカやってンの!」

「エッ!?」

「いまから、雨戸ニレちゃんが来るのよ。証拠の座布団を乾かしたら、何も言えなくなるでしょう」

「あの子、そんなことでわざわざ来るっていうのか。おまえ、断らなかったのか」

「来たいって言うンだもの。いいじゃない。お詫びしたいンでしょうから」

 90分後。

 テレビKJのお天気キャスター・雨戸ニレが現れる。葵に負けない美貌だ。

「遅かったわね。道に迷ったンでしょ」

「いいえ、こちらはすぐにわかりましたが、周辺の調査に手間取りました」

「調査?」

「この近辺で実際、雨が降ったのか。あるいは、それに類する出来事があったのか。この建物にこれまで水に関する事故、事件はなかったか、などについてです」

「それと、最も大事なこと。電話をかけたわたしの日頃の素行についてもでしょ」

「それは……」

「あそこの奥さんは札付きのクレーマーじゃないのか、評判のウソ付きじゃないのか、って聞き込みをしていたンでしょ」

「おい、それは邪推だ」

「それで調査の結果はどうだったの?」

「わたしの天気予報はバッチシ当たっていました。この赤塚地区では、雨は、一滴も降っていません」

「あなたの責任は免れた、ってことね」

「あと考えられることは、この建物からの漏水ですが、3年前に行われた大改修の際、取り換えられた外壁の外部配管が粗悪品だったらしく、最近あちこちで漏水が始まっています」

「ということは、この座布団を濡らしたのは、汚い下水か!」

 赤司、思わず、座布団を投げてしまう。

「いいえ、ご安心ください。漏水している配管は上水です」

「あなた、乱暴なンだから」

 葵、投げられた座布団をとりに行き、ポンポンと軽くたたく。

「これで事件は解決だ。ニレさん、お忙しいのに、わざわざご足労いただいて、申し訳ありませんでした。何か、お詫びをしたいが……」

「あなた、お茶にでもお誘いしたら? それともホテルかしら?」

 ニレと赤司、思わず、

「エッ!?」

 顔を見合わせる。

「あなたたち、つきあっているンでしょ」

「何を言い出すンだ」

「奥さま。ご冗談は困ります」

「困っているのはわたしのほうよ。ニレさん、あなた、わたしがさっき電話で住所を教えたけれど、赤塚9丁目2番15号で、よくここがわかったわね」

「オイ、デタラメを教えたのか」

「うちは本当は9丁目2番25号よ。でも、あなたは迷わずに来れたと言った。当然よね。ここには、わたしのいないとき、ときどき来ているのでしょうから」

「奥さま……」

「わたしが、水が漏れている外部配管のそばに、どうして座布団を干したのか。あなた方、考えてみて。一家の主婦がそんなおバカをする?」

「おまえ、何がいいたいンだ……」

「ニレさん、あなたが今朝の天気予報で『きょうは快晴です。布団を干したままお出かけしても大丈夫です』と言ったから。それが始まりよ。あなたをここに呼びつけて、白黒付けるいい機会だと思ったわけ」

「おまえ、いつから……」

「あなたがニレさんの天気予報ばかり見ているから、気になったのがきっかけ。あなたは自分の部屋で、彼女の天気予報をDVDに撮っているでしょ」

「おれの部屋に入ったのか」

「1週間に一度は、掃除しないと。あなた、承知しているじゃない」

「毎週月曜日という約束だろ」

「いつもいつも、そういうわけにはいかないの。家事の都合でね」

「約束は守ってくれ」

「天気予報は録画してまで見るものかと不思議になって。それから、あなたと居間で一緒にテレビを見ているときは、テレビのニレさんを見るあなたの顔を観察したわけ」

「ウソをつくな」

「そゥね。あなたと一緒にテレビを見るのは夜だから、その時間帯、ニレさんの天気予報はないわ。でも、きょうの祝日みたいに、たまたま、テレビKJでニレさんが天気予報をやっていたら、あなたはすぐに他のチャンネルに変える。わたしは、それに最初引っかかったの。後輩がテレビで天気予報をしているのよ。ダメなところがあれば、あとで電話なり、手紙で意見してあげるのが先輩でしょ。ところが、それをこっそり全部録画していたンだから、おかしいでしょ」

「先輩、どうして録画なンか。職場で見ればいいのに……」

「そうよね。気象庁にだってテレビはあるンだから。例え他局のローカルを見ていても、天気予報だっだら、だれも怪しまないのにね」

「赤司先輩……」

「わたし、きょう午後のニレさんの予報を見ていて、はっきりしたの。あなた、予報するとき差し棒を使っているでしょ。長さ50センチほどの。赤白赤白と色で4分割されている。紅白幕みたいと業界では少し話題になっているらしいけれど、あの紅白の差し棒、きょうは真ん中を持っていた」

「! 先輩、だから言ったでしょ」

「チィ」

「あなたが紅白棒の真ん中を持って予報する日は、この人の帰りが決まって遅いの。早くて午前様。きょうも、この後、この人、お出かけでしょうね」

「いや、その……」

「出かけないの? ニレさん、それでいいの」

「困り……」

「あとはデートの時刻よね。わたし、それに苦しんだ。時間をどうやって連絡しあっているのか。電話やメールで出来るけれど、それだと履歴が残る。この人、臆病だから、証拠になるものは残さない。それで、この人が録画したDVDをじっくり見直したの。録画しているのは、朝の天気予報だけ。そうしたら……」

「もういい……」

「ニレさんの天気予報は、月曜から金曜の朝8時50分と、午後12時50分の1日2回、約10分。朝の予報のとき、ニレさんが紅白棒の下から4分の1のところを握って予報したら、それはこれからデートの日にちを伝えますという合図。数字はわかってみれば簡単だった。右手で紅白棒を持ちながら予報しているとき、空いた左手で額を触ると、『1』ね。同様に、左眉が『2』、右眉が『3』、左目が『4』、右目が『5』、左の小鼻が『6』、右の小鼻が『7』、左耳が『8』、右耳が『9』、口が『0』。きょうは23日だから、3日前のDVDでニレさんは、左手の人差し指が左眉から右眉に移動していた」

 赤司、無言。

「そして、午後の予報で、その日に会う時刻を伝える。紅白棒の真ん中を持って。きょう買い物に出かける前、ニレさんの予報を見ていたら、左手の小指で、右の小鼻を触ったわね。あなたも、自分の部屋のテレビで確認していたンでしょうけれど。あなたはあと1時間足らずで、出かける。そのために、あなた昨日、わたしに伏線を張っておいた。『明日の夜、予報官OBの会があるが、顔を出してくれと言われているので、遅くなる』って」

「だから、祝日はやめようと言ったンだ」

「わたしにもいろいろ事情があるンよ」

「あなたたち、これからどうするつもり?」

「結婚します」

「おい、ニレ」

「ズバリ言うわね。わたし、まだ赤司の妻なのよ。こどもがいないから、離婚は簡単だ、なんて思っていたら、大間違いよ」

「どうしてですか……」

「この人は、わたしが2度目。前の奥さんと別れていないのに、わたしが不倫して一緒になったの。聞いているでしょ。あなたが、例えこの人と一緒になっても、3年もすればわたしと同じになる。この人、飽き性なの」

「そんなことはありません。わたしが最後の女です」

「この人、わたしを口説くときも同じことを言った。『キミが最後の女だ』って」

「オイ、やめろ……」

 赤司、情けなくなる。

「ニレさん、あなた、どうしてここに来たの? あなたが来なくても、トラブル処理は番組プロデューサーの仕事でしょ。違う? あなたがきょうここに来る気になったのは、本当はわたしと対決したかったからでしょ」

「赤司先輩が、去年から離婚する離婚すると言っているのに、話がちっとも進んでいないから」

「そりゃそうよ。この人、別れようなんて、わたしに言ったことないもの。別れる気があるのなら、あなたのことをひた隠しにしないでしょ。男ならバレるようにするわ。ねえ、あなた」

 ニレ、顔を真っ赤にして、

「そうなンですかッ」

「この人ね。いまわたしと別れられない事情があるの」

「! 奥さん、それ何ですか?」

「お義母さんの介護。知らなかった?」

 ニレ、激しく首を横に振る。

「ここから車で20分ほどのところの老人ホームに、ことしの春からお世話になっている。それまでは足腰が不自由ながら、なんとか1人で暮らしていたンだけれど、転んだ拍子に足の骨を折って、歩行がうまくいかなくなったから施設に入ってもらった。わたし、それまで朝夕の食事はお義母さんの所まで届けていたから、わたしがこのマンションでお世話しますと言ったのだけれど、お義母さん、とっても気を遣う方で、わたしの手を煩わせるのはつらいとおっしゃって。わたし、2度目でしよ。わたしが最初の女房ならよかったのだけれど、前の奥さんを追い出すような形で一緒になったものだから、姑を親身に介護するような女と思われていないのでしょうね。自分でもわからない。実際、お義母さんと一緒に生活したら、どうなるか。で、1日おきに、夕方車を運転して施設に通って、洗濯物を預かってきたりお義母さんの好物を届けるようにしている。ニレさん、この人と結婚したら、そういうことするのよ。最近は少しその兆しがあるンだけれど、お義母さんに痴呆が出てきたら、もっともっとたいへんになる。認知症の老人ってたいへんなのよ。この人、お義母さんのこと、あなたにどう話しているの?」

「母はいるが、一人で元気に暮らしている。公務員だったから充分な年金がある。経済的にも困っていない、って」

「全部、ウソってわけじゃないわね。でもね、この人が前の奥さんと別れたのは、前の奥さんが、お義母さんと反りが合わなかったのがいちばんの原因なの。お義母さんの年金の一部を要求したり、弾みだと思うけれど、お義母さんを足蹴にして。それがきっかけでお義母さんは足腰が不自由になったわけ。だから、5年前、10年間の結婚生活にピリオドを打って別れた。だから、この人がわたしを選ぶとき、お義母さんと反りが合うかどうか、それをとっても気にしていたみたい。どう、あなた?」

「いや、それは、ほんの一部だ」

「ニレさん、この人、お義母さんを大切にする孝行息子よ。知っていた?」

「いいえ……わたしにも、母はいます」

「お義母さんは気丈な人だから、嫁の厄介にはならないってお考えなンだけれど、人間年を取ると、頭では思っていても、体がついていかないのね。わたしがホームに行けば、とってもうれしい顔をしてくださる。わたし、それを見るだけでも、心が癒される。この人も、わたしと交代で、1日おきに会いに行っているわ」

「奥さん、よォくわかりました。赤司先輩が離婚に踏みきれない理由が」

「それで、どうするの? わたしは、あなたという存在を知って、この先、この人と生活する自信がなくなった。この座布団を持って、しばらく旅に出てみる」

 葵、そう言ってクローゼットから2客の座布団をとりだす。

「おい、旅に出るのはいいが、どうして座布団を持っていくンだ?」

「この座布団は、旅をするのに、先立つものだからよ」

 ニレ、首をかしげて、

「奥さん、座布団を枕代わりになさるンですか。それとも、もう痴呆ですか?」

「なに心配しているの。この座布団の中には、大切なヘソクリが入っているの。この人に聞いてみなさい」

「オイ、それは、おれが15年かかって溜め込んだ大切なお宝だ。返してくれ!」

「なに言ってるの。クローゼットの奥のいちばん下に、使いもしない座布団が5客もあるから。わたし、結婚した当初から不思議に思っていたの。それで3年前、虫干ししようと何気なく出してみたら、ガサガサ音がする。で、縫い目をほどいてみたら、中から万札がごっそり出てきた。ニレさん、全部でいくらあったと思う?」

「さァ……」

「5客の座布団全部で、9百90万円よ」

「へエーッ。赤司先輩って、すみに置けないンですね」

「そのうちの5百万円はわたしのへそくり口座に預金した。あとの5百万円ほどがこの座布団の中にまだある、ってわけ。いまは、もう少し増えているかもしれないけれど」

「おい、少し、置いていってくれ。ニレとのデート資金が要る」

「この3客の座布団だけ、置いて行こうかしら。緑色の糸が付いているこの2客の座布団は、わたしが持っていくわ」

「この3客の座布団には、赤色の糸がついているが、赤と緑はどう違うンだ?」

「決まっているでしょ。赤は危険、緑は安全よ」

「赤が危険って?」

「赤糸が付いている座布団には、数万円づつしか入っていない」

「緑の糸の座布団は?」

「それぞれ2百万円以上、入っている」

「それはないだろう。おまえ、おれのヘソクリをそっくり、持っていくつもりか」

「赤糸の付いた3客の座布団は万札が中に数枚しか入っていないから、水に濡れてもいいように、ベランダに干したの。その3客で我慢しなさい。足りない分は、ニレさんに出してもらったら。ニレさん、どう?」

「わたし、いま奥さんのお話を伺っていて、すっかり気持ちが変わりました」

「心変わり? どう、変わったの」

「わたしも、奥さんと一緒に旅に出ます」

                 (了)

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天気と座布団 あべせい @abesei

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