あみだくじの編み出す字

亜未田久志

コウユウカンケイ


 失敗した。

 望月夕生もちづきゆうこと私の頭の中は、パンク寸前であった。

 中学の頃に、他にやる事がなかったという理由で

 勉強に明け暮れていたところ、進学の時、先生から「お子さんの成績なら、もっと偏差値の高い学校も狙えますよ」などという悪魔の囁きが、親を刺激した結果、私を進学校に入れてしまったのが運の付きだ。

 私はすぐさま勉強についていけなくなってしまった。

 土台、無理な話だったのだ。

 そもそもこういう学校は、授業の内容に加えて塾にも通うような人達が来るようなところであって、たまたまその学校内の勉強で上手くいった私では、天と地ほどのの差があったのだ。

 井の中の蛙、大海を知らず。

 ただし、この場合、カエルにあたるのは、あの時の先生か親だ。

 私はカエルに従っただけ……いや、やはりカエルの子はカエルか……。

 どうも物事を自分から言い出せない性格の自分はつい唯々諾々と周りに流されてしまう。

 今、机に向かい中学の時の様に、他にやる事がないので、休み時間にも関わらず勉強しようとペンを持ち教科書とノートに向かい合っているのだが。

 どうにもこれは無理がある。

 なぜかと言われれば、例えるなら、私が中学を卒業した時点でのレベルが五段階評価の五であるならば、この学校全体の平均レベルは十である。

 といった具合だ、まあ入学は出来た訳だからこの例えは流石に話を盛ってはいるが、あくまでイメージの話だ、勉強の内容が、中学卒業時より一歩ではなくかなり先をいっているのは間違いない。

 入学から一ヶ月経った今。

 そんな訳で私は、机の上で最早、周りが見えなくなるほど頭を悩ましていた。

 数式が頭の中を飛び回り、関係ない教科まで乱舞する、国語の朗読が始まり、科学の実験が爆発し社会では武将がラブロマンスを――

「望月さん、大丈夫?」

 突如として声をかけられる。もちろん、この学校に知り合いなどいない。

 普通私がいた中学からここにくる生徒などいなかったのだから当たり前だ。

 恐る恐る顔をあげてみるとそこにいたのは。

「もしかして、勉強でどこか詰まってるのかな? だとしたら、僕がお役に立てるかもしれない、どうだろうか」

 金髪碧眼、しかしどこか少年の様な面影があるのはまだ高校の一学年だから、ではなく彼が純粋な外国の人ではなくハーフだからであろう。

 クラス一のイケメン、そういえば昔はクラス一の美少女をマドンナと呼んでいたんだっけなんていうどうでもいいことを思い出した。

「えっと望月さん?」

「えっ、はい詰まってます、というか全然わかりません!……あっ」

 しまった余計な事を口走ってしまった。

 まさか! この男版マドンナに! 勉強を!教えてもらう!?

 正直、勉強よりもハードルが高い、まず名前を覚えて貰っているという事実に驚愕している。

 このイケメンじゃなかった絡縄からなわケイ、人見知りの私でさえ名前を知っている……がそれだけだ。さっきも言ったがクラスに知り合いなどいない。

 なにかとつっかかってきては、いじってくる少女は二人ほどいるのだが その二人の名前は覚えていない、覚える気もなく、知り合いにカウントしていいのやらといった感じ。

 まあともかく、つまりは絡縄さんともほぼ初対面だという事だ。

 それなのになぜいきなり勉強を教えてくるなどと言う話に!?。

「そうなんだね、じゃあ最初から授業のおさらいをしていく感じでいいかな、僕も復習になるし、わからないところがあれば遠慮せずに言ってほしい」

「あっ、えと、はい、いや、でもいいんでしょうかそんな」

「そうだね、少し急な話……だったかな」

「あ、いえ、その……」

「でも、望月さんが困ってるみたいだったから、つい」

 いい人だ……この人はとてもいい人だ……。

 困ってる人がいたら、『つい』声をかける? それは条件反射レベルのいい人である事の証明だ。

 そんな風に言われて、手を差しのべられて、断れるはずはない。

「あの、よ、よろしくお願いします……」

 そして、私は思いっきりお世話になってしまった。

 一から十どころか、実質的に零から十まで教えて貰ってしまった。

「もうすぐ休み時間終わりだね、短い時間だったけどお役に立てたかな」

「いやそんなほんとに助かりました! これでなんとか授業にもついて行けそうです!ありがとうございました!」

「良かった、またわからないことがあったら遠慮なく聞いてね、いつでも協力するかよ」

「そんな! 本当にありがとうございます!」

 いやまさかこんな幸運が訪れるとは、人と目を合わせられず、コンプレックスの太い眉毛を隠すために、必要以上に伸ばした黒い前髪、その髪の間から覗く世界が輝いて見える時が来るとは夢にも思わなかった。

 しかし、この時の私は気付いていなかったのである。

 同じクラス内、こちらを不機嫌に見つめる視線を。


 呼び出しである。

 いつの時代かと思うが校舎裏に呼び出された。例のいじってくる二人組である。

 いや仮に時代が時代でもこういうのは男の子の領分ではなかろうか。

「あんたさぁ、ちょっと調子のってんじゃないの?」

 ステレオタイプにも程がある決まり文句、意味が重複してしまった。

 とにかく昔ながらにもほどがある。

こうさんならともかく、なんであんたみたいのとケイ様があんないっぱい話してる訳?勉強まで教えてもらうとかあり得ないんですけど」

『いっぱい話す』と『勉強教えて貰う』が別々のカウントなのは何故なんだろう。

 勉強以外の話はしていないのですが……とは口に出しては言えない。

 こういうのは下手に抵抗してはいけない、それもまた昔ながらの対処法……のはず。

「あんたもしかして本気でまたケイ様に勉強教えて貰う気ィ?」

「え、いやその……」

 あっ!しまった!なぜいま「そんな気まったくないです!」と言ってしまわなかった!?そうすれば解放してもらえたかもしれないのに!

 もしかしたらどこかで期待していたのかもしれない、彼ともう一度、話す、いや勉強するのを。

「やっぱ調子乗ってるね」

「ちょっとだけ痛い目みないとわからないかもね」

 痛い目とはなんだろう、怖い、二人の手がこちらへと伸びてくる――

「まさかにまで、アンタみたいのがいるなんてね」

 凛とした声が校舎裏に、静かに、でも確かに響いた。

「紅……さん!?」

「なんでこんなところに!?」

 紅と呼ばれた人物はこちらにゆっくりと歩いてくる。

「なんではこっちの台詞、アンタ達こそ、こんなところでなにしてんの」

 もともとつり目なのだろうか、だがその目は、恐らく普段の時よりさらに鋭くなっていた。

 その眼光が二人を射抜く様が実際に見えるかのようだった。

「それは、その」

「だって、こいつがケイさ、さんとその」

「ケイがその子に勉強教えてあげてたって?それだけじゃない、それをなに?まさか『先を越された』とか思ったわけ?」

「うぐっ……」

 二人組は反論の言葉も紡げなくなってしまう。

「アンタ達、そんなにケイのことを気にいってたならさぁ、アンタ達の方からアイツに近づいていかなかったの?」

「そ、それは」

「こ。紅さんに」

「アタシを言い訳にするんだ。別にいいけどさ」

 少し悲しげに、しかし眼光の鋭さだけは変わらずに言葉を紡ぎ続ける紅さん。

「でも結局、ソッチが勝手にアイツから距離を取った事実は変わらないよ。それなのにケイの方から誰かに近づいていったら、それに嫉妬って……そんなことする権利、アンタ達にはない。せめて告白して付き合うか、振られるかぐらいしたら、その行動を理解するぐらいは。出来なくもないけどね」

 紅さんは直も厳しく二人を糾弾する。

「でも納得はしないし、許さない。アタシはそういう事が大ッキライだから」

 二人組すっかり震えあがって言葉も出なくなってる様子だ。

「さて、どうしてあげようかね。さっきアンタ達なんて言ってたっけ……『調子乗ってるからちょっと痛い目みてもらおうかな』だっけ?」

「ちょちょちょ、まずいですって、紅さん空手黒帯じゃないっすか!? 死んじゃうあたし達死んじゃいますって!」

「そうそうそう! 無理っす無理っす! ちょっとじゃすまないっす!」

「試合以外で人を殴ったりしないわよ、でも次こんな事したらわからないかもね? だからもうしないこと わかったら、さっさとどっか行きなよ」

 そういって紅さんは、すっかり怯えきった二人に道を、逃げ道を開ける。

『すっ、すいませんでしたー!』

 キレイにハモって二人は退散した。

 最後まで昔ながらのテンプレートっぷりだった。

「あの……」

 紅さんと私、二人きりである。

 さっきの二人組と一緒に逃げた方が良かったかもしれない。

 緊張する。

 この人とはクラスも違う完全な初対面である。

 だが彼女はかなりの有名人で名前だけは知っていた。才城紅さいじょうこう、この学校にいる時点で秀才なのは間違いなく(私は例外)そんな中でもトップクラスの成績を持ち、さらにさっきの二人組の言っていた通り、空手で大会に出ているという文武両道であり、それに加えて、あのケイさんと親しくしている数少ないというかほぼ唯一の女性である。

 付き合ってるとかいないとかは、正直、噂以上の情報は知らない。

 私はどこか、非現実的な感覚に陥りながら、ぼけっーと紅さん……いや才城さんを見つめていた。

「ああ……、あんたも行ってもいいよ」

 ぶっきらぼうに言う才城さんの瞳に先ほどまでの鋭さは無く、あまり私に興味が無いようだった。

 興味が無いようだった……筈なのに、突然、才城さんの瞳に再び鋭さが宿った。

「聞きたい事、あるんじゃない? ケイについてさ」

「……え?」

「いやアタシが話たいだけかも」

 急に何を?と思ったが、いや確かに心当たりはある。

 この人なら教えてくれるのかもしれない。

「ケイさんがなんで急に私に勉強を教えてくれたか……今まで話したことも無いのに」

「そうソレ、不思議だったでしょ? 教えてあげる、なにがあったか。言葉にすれば簡単で短いことではあるけれど……中学の時、とある事件が起きたの、ひとりの女の子がもう一人の女の子に怪我をさせちゃったの、けっこう酷い傷だったわ。一応いっとくけど、アタシじゃないわ、どっちの子もね」

「……まさかその原因って」

「今回と同じ、ケイに惚れた二人が勝手に起した事よ、でも今回よりタチが悪いわね、なんせケイはその二人と話したことも無かったんだから、アンタにしたみたいに怪我した方の子に勉強を教えた訳でもない、勿論、怪我させた方にも」

「そんなことがあったなら尚更、なんで私に?」

「あんたを重ねたんでしょうね、怪我しちゃった子と、そして事件そのものと、そして、今度は自分から関わって『もう誰も怪我をさせたり暴力を振るわせたりしないように自分の手で止めよう』みたいに考えたんじゃない?ほらアンタあの二人にいじめられてたんでしょ?」

「別にいじめって程では……」

「アタシはどっちでもいいけど、アイツはそうはいかなかったのね。でも結局こんなことになっちゃって。ケイは方法を間違えたのかもね」

 才城さんはそう言って、私から視線を外した。

 横から見たその瞳は、先ほどまでとは違う鋭さで、どこか辛そうな感じがした。

 私はその時、ふと思った疑問を口にした。

「才城さんって、ケイさんの事ならなんでもお見通しって感じなんですか……?」

「まさか、全部アタシの想像……っていう訳じゃないけど、結構、昔からの付き合いだからね、なんとなくならわかるのよ『なんとなく』ならね」

「お付き合いとか……してるんですか?」

 才城さんは軽く首を振る。

「片思いってやつ、幼馴染って以外と恋愛対象に入るの難しかったりするのよ、それに中学の事件のせいであいつ色恋沙汰にトラウマ持っちゃったし」

「トラウマ……」

「残念?」

「いえ、でも才城さん、やっぱりすごいです、絡縄さんのこと、すごく大切に――」

 突然、才城さんに口をふさがれ言葉を遮られる。

「そこにいるんでしょ……ケイ?」

 才城さんの言葉を受け、なんと本当に校舎の影から人が現れる。

 それは日向に立ち、陽光に照らされて輝く金色の王子――

 って違う違うケイさんだ。

「えっ!? いつから!?」

 私の疑問に、ケイさんはどこか不機嫌そうに答える。

「たった今付いたところだよ、紅は他人の気配を感じたりするのが上手いんだ。だから盗み聞きとかは昔から出来なかった……それでなんの話をしてたんだ。下野しものさんと村上むらかみさんが……望月さんをここに呼び出した事は把握してる」

 下野と村上……?あ、あの二人か! 今、初めて名前を知った。

 そんな私は蚊帳の外で、会話は進む。

「じゃあ話は早い、それをアタシが追っ払った。そんだけ」

「お節介焼きのお前のことだ。その後なにか話したんだろう!」

 少し怒った風にケイさんは紅さんを問い詰める。

「話したよ、中学の事件のこと、結局、あんたのやったことは逆効果だったね。まあわかりきってたことだけど」

「僕だって!」

 声を荒げようとしたケイさんは一度、息を整え落ちついた風になる。

「……いや紅の言うとおりだ、僕は望月さんを勝手に守ろうとして、逆に僕の事情に巻き込んでしまった。本当に申し訳ない。結局危ない目にまで遭わせてしまって」

 なんて声をかけたらいいのだろう。

 勝手、だとは思う、色々と。

 でもそれは過去のトラウマから来るものであっても善意だ。

 それを無下にするのは悲しいことだ。

 だから――

「あの、その。絡縄さん!才城さん!私のお願いを聞いてくれませんか!?」

 二人は驚いた様にこちらを見た。

 まあケイさんが来てから無言だったし、大声だすタイプには見えないだろうし。

「お願い?」

「……僕に、出来ることなら」

「あのもしかしたら才城さんは余計なことをって思うかもしれませんし、絡縄さんは今回の事でもう自分が関わらないほうがいいんじゃないかとか思ってるかもしれませんけど」

 紅さんが怪訝な顔をする。

「余計なことって……アンタまさか」

「確かに、もう望月さんに迷惑はかけられないと思っているけれど……」

 深呼吸して私は言う。

「二人で、絡縄さんと才城さんの二人で、私のボディーガードになってください!」

 少しの沈黙、二人は理解に時間がかかっている様子。

 そしてようやく理解し始めた二人は言葉を紡ぐ。

「それが余計なこと?いや確かにアタシにはあまり関係ないことだけど……いやあんたホントなに考えてんのさ」

(ボディーガードを二人でやってもらって、連帯感とかの相乗効果で片思いから両想いになってもらおうと考えてます!)

 とは口に出しては言えない。

「ボディーガードって、僕が関わらなければきっと、君はもう危険な目には遭わないと思うよ?」

「いえ!私は絡縄さんに勉強を教えて貰わなくちゃいけないんです!じゃないと留年いや退学になっちゃいます!」

「ふっ、ふふっ、あはははっ、それって大声で言う事!?」

 紅さんが盛大に笑うまあいいのだ。

 ただの事実なので。

 一方でケイさんは。

「そうか、そうなんだね、わかった、僕は君のボディーガードになる、正直もうこの高校に今回みたいな事する人がいないと思いたいけど万が一の時のために、君を守ろう」

「まあ、あんたファンは学校中にいるからねぇ、油断は出来ないよ、でもさぁやっぱりアタシがやる理由ってないんじゃないの」

 紅さんがどこか不敵な笑みを浮かべながら言う。

「いえ才城さんは、絡縄さんの過去を勝手に話した責任を取るべきです」

「ちょ、それは一応アンタから聞いてきたってことに」

「一応は一応です、それに才城さんも話したがってたじゃないですか」

 紅さんは少し拗ねたように口を噤む。

「才城さん」

「……なによ」

「才城さんも、絡縄さんと同じなんじゃないんですか?過去の事件のことを気にしてる。いや少し違うか、過去の事件に囚われてる絡縄さんを気にかけてるんでしょう?だから今回、綿脚を助けてくれたんです。絡縄さんの心の傷が大きくならないように」

「ちょっ、バカ、なにいって」

 顔を赤く染め、紅さんは顔の前で手をブンブン振って否定の意を示そうとしている。

 そのため、茶色い髪を後ろに束ねた短いポニーテールが文字通り尾のように揺れていた。

「そうだったのか、すまない紅、君にまで迷惑かけて」

「迷惑とかそんなんじゃ……もう!」

 紅さんはどこか不満気だが、ええいこのままボディーガード路線を押し切る!。

「それにですね、絡縄さんだけでは女子の事情に詳しくないですしなによりトイレの中まで私を守れません!」

「へ?」

 紅さんが気の抜けた声を出す。

「確かに。望月さんの言うとおりだ……」

 ケイさんは神妙な顔持ちでそんなことを言う。

「ちょっとケイ!?本気なの!?」

「ああ僕は本気だ、いや今、本気になった!僕からも頼む紅!望月さんのボディーガードを僕と一緒にやってくれ!」

「えぇ……」

 困惑する紅さん、すかさず私もたたみかける様に言う。

「私からもかさねがさねお願いします!」

「あーもう!わかったわよボディーガードでも用心棒でもやってやるわよー!」

 頭をかき、溜息ついて諦めた様な表情で紅さんはついに折れた。

 こうして私、望月勇には二人のボディーガードが出来たのでした!

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