よろづや探偵さん

刈谷つむぐ

よろづや探偵さん

 私は探偵であります。探偵というのは、とても難儀なお仕事です。まず、そもそも現代社会において、探偵の役目はほぼありません。ここは先進国の中でも屈指の治安を誇る国ですから。それに、大抵の事件は警察の職掌になってしまいます。体も弱く、探偵といえども一人の女。大男に襲われれば推理以前に命を落とす身です。そんな私としては、血生臭くなるような事件が少ないのは非常に喜ばしいことです。

 探偵事務所は、私の家の一階であります。わざわざ通勤するのは気が引けるので、なるべく近くにしたいのです。できれば、寝床で仕事をしたいのですがね。


「おはようございます、先輩」


今日は朝の十時に起きました。どうせここに、朝早くから来る人はほとんどいません。しかし、助手はすでに来ていたようです。


「流石に来るのが早いと思うんだ」


私は、助手が淹れてくれたコーヒーを口にしながら、言いました。


「だって、先輩といるの、楽しいですから」


助手は、困ったように口角を上げます。

 

 私と助手の邂逅は、とても印象深いものでした。——ある日、一人で探偵をしていた私の許に、助手がはあはあと息を荒くして走り込んで来ました。


「ここ……が、探偵事務所であってますよね」


「ええ、ご用件は」


「宿題のこの部分がわからなくて」


「探偵をなんだとお思いですか」


机上にばら撒かれたのは、歴史の練習プリントでありました。この部分、と口では言っておきながら、どこの部分か特定していません。それに、解答欄は全て空白でありました。


「せめて、一二問くらいは解いて欲しいのですが」


「全部、わからないんです」


「はあ、仕方ないですね。少し歴史の授業といたしましょうか」


探偵という職業は、犯人とではなく、暇と戦うような職業です。もちろん、浮気調査など、ちゃんとした依頼を受けることもありますが、仕事のない日が七割を占めるような職業です。尤も、私があまり売れていないだけでもあるのですが。だから、内心では、彼女のことを少し嬉しくも思っていました。

 あの日以来、彼女は事あるごとに探偵事務所へと来ていました。私には、彼女という存在が、どうも憎めないのです。明らかに賢いとはいえない上に、私からすれば、探偵という存在をぞんざいにして利用している人でもあります。でも、毎日のように顔を合わせていると、そんな探偵としてのプライドはどうでも良くなって、仲良くなっていきました。

 その成れの果てには、とうとう何もないのに居座る彼女がいました。ある日、依頼者が来た時にも彼女がそばにいたため、依頼者から助手と勘違いされてしまいました。どうやら、助手という言葉に彼女は惹かれたようで、その日以来、助手を自称するようになります。


 ぴーんぽーん、とインターフォンの音がします。今日は珍しく、依頼者が来たようであります。すかさず助手が机から立ち上がって、玄関へと向かいました。

 私も後を追うと、依頼者の姿が見えます。なかなかに体つきがしっかりとした、パーカーを羽織る青年です。それに、どこかで見覚えがあります。もしかしたら、過去の依頼のよしみで、再びここを頼ってくださったのでしょうか。

 円く小さい机を挟んで私と彼が対面します。助手はすかさず、紅茶を依頼者の側に置きました。これでは、助手というよりメイドです。依頼者は「ありがとうございます」と礼を言って、早速湯気だったそれを口に運びます。ちなみに、私と違ってコーヒーではないのは、わざわざ砂糖やミルクを準備するのがめんどくさいからだそうです。


「では、ご用件は」


「ええ、すぐに終わる依頼です」


そう言うと、突然に立ち上がって、ポケットからナイフを取り出すと、私の首元に突きつけました。


「あなたの、命が欲しい」


ナイフを突きつけながら、青年は私の左側へと移動します。邪魔だった机を無視することができますし、助手を正面から睨めます。私は何もできずに、足を震わせながら仰け反ります。しかし、それを止めるように青年は、私の腕をがしりと掴みました。


「おい、そこの助手! 動いたらこいつを殺るぞ」


さっきまでの紳士のような振る舞いから一転して、ライオンでさえも怯むような大声で助手を制します。私は必死に、助けて、助けて、と叫ぼうとしますが、思うように喋れず、あ、た、などと喉の掠れたような声を出します。


「せ、先輩っ!?」


こちらを見るなり目を円くして、動くなという忠告にも関わらずこちらへ走ってきます。その鬼気迫る光景を見て、私は死ぬ覚悟をします。

 だくだくと鳴る心臓の音が、まるでカウントダウンのように聞こえます。動くな、と言われているのに走っているのですから、私は殺されることでしょう。青年も、その気のようでした。

 首元に刃がかけられて、後一コンマで、力を入れれば切れるというタイミングで、助手は青年の右手を掴みます。青年もびっくりしたのでしょう。まさか、もう目の前に助手が来ているとは、と。首元からナイフは離されて、そのままナイフは、重力に従ってカランと金属音を立てます。助手は、床にあるナイフを拾い上げて、逆に青年の首元に突きつけました。青年は私を引っ張って後ずさります。その様子を見て、助手は密かにナイフを捨てたようでした。ナイフが原因で、逆に犯罪者扱いされても困るからでしょう。しかし、青年は恐怖で捨てられていることに気づかず、圧してくる助手に狼狽します。私は両者の間に挟まる格好になり、心臓のぞくぞく

という音が、脳髄にまで響きます。

 ついに、青年の退路は壁で塞がれるところまで到達したのか、ドンという、どでかい音がします。おそらく、頭を痛めたのでしょう。青年は悶々と言わんばかりの、情けない声をあげました。そのまま、青年が倒れます。よほど強打したのでしょうか、気絶してしまったようです。しかし、助手はまだ迫ってきます。なんででしょうか。もうこいつは気絶した、となんとか制止しようとします。しかし、あまりに圧倒してくるので、私も壁に背をつけることになりました。

 ——ドン。

 私の両肩を掴んで、助手は私を座らせます。そして、彼女は私に言います。


「びっくり、しました?」


「は、はい……」


顔が異様に熱く感じられて、心拍にもアッチェレランドがかかります。なんだか気まずくなって、目を伏せました。窓からまだ昇り切っていない太陽光が注いで、私に、彼女の影が重なります。


 うう、と声を出して呻る青年を外へつまみ出し、再び鍵を閉めます。助手は、もう事件は終わったと言わんばかりの様子でありましたが、私の心臓は、いまだに拍を刻み続けています。


「その……ありがとう。私を助けてくれて」


「なーに、先輩のためなら、なんでもします」


「そのせいで死ぬ覚悟をする羽目になったんですけどね?」


「……それは、ごめんなさい」


 あの事件から三十分ほどが経ちました。助手はいつも通り、台所で昼食を作っている最中です。彼女からすれば、もう日常に戻ったも同然なのでしょう。対して私は、いまだにあの感覚を引きずっていました。今なおどくどくと心臓にノックをしてくる犯人は、誰なのでしょうか。探偵である私でも、難題でありました。


「昼食、簡単に済ませましたけどできましたよ」


助手は鼻歌を唄いながら、サンドウィッチを持ってきました。いただきますと言い合って、それを頬張ります。出来立てのサンドウィッチはほかほかで、体が温まります。


「そういえば、あたしも先輩に依頼があるんです」


「……ご用件は」


「さっきの先輩が可愛くて、忘れられないんです」


彼女はまさに困ったという様子で、わざとらしく言いました。


「それは……忘れて」


「先輩の方が、意識してますよね」


「へっ?」


私は思わず素っ頓狂な声が出てしまいました。


「だって、まだ顔が火照ってますもん」


何か言い訳しようとしても、何も言えず、ただ私は目を逸らします。


「もうっ、ばか。言わないで」


「えへへ、探偵さんにこの事件は、解決できるんでしょうかねー」


「少なくとも、犯人は、おまえだからっ!」


「それだけじゃあ解決できませんよ?」


「探偵をなんだとお思いですかっ……!」


「恋煩いも解決できる、よろづや?」


「こ、恋煩いって、ふざけないで!」


探偵の私には、解決できない問題が一つだけありました。


 ——それは、助手への気持ちです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よろづや探偵さん 刈谷つむぐ @kali0710

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ