一番こわいのは、幽霊よりも

一番こわいのは、幽霊よりも

 深夜の会社に行くと、青井さんが座って仕事をしているらしい。


 そんな噂話が広がったのは、青井さんが死んでから一週間後くらいだろうか。

 青井さん。青井さつきさん。彼女は、この会社のシステムエンジニアで、一番の働き者だった。仕事がすごく早いわけではないが、真面目で誰かに仕事を頼まれると断れない、責任感のある子。そんな彼女が、ある残業している夜に脳梗塞を起こし、そのまま会社で亡くなった。まだ三十代だったというのに。

「死んでからも、仕事してんのかよ」

「休むのが下手だったからな」

 そう言って、どこか哀れみを含みながら皆話していたが、誰も青井さんを見るのは怖いのか、深夜に一人になりそうになると、急いで帰るようになった。

 とはいえ、噂によると現れる青井さんは、仕事していたときと同じように、机に座っていてパソコンをカタカタと動かしているだけのようだ。特に驚かせたり呪いの言葉を吐いたりもしない。生きているときと同じ動きをしている。

 彼女のやっていた仕事は、別の人に引き継がれて、特に影響を受けずに動いているというのに。

「死んだことに気づいていないのでは」

 そう言う人もいたが、わざわざ深夜まで残って、彼女にそのことを伝えるような暇人もいない。

 そのうち、普段の忙しさに殺されて、だんだんと青井さんの事は忘れていった。心も身体も病む人が多いこの業界では、一人が過労で亡くなっても、何も変わりはしない。

 だから、本当に偶然だった。関わっていたプロジェクトがかなり遅延していたため、どうにかその埋め合わせをするために、深夜まで残業していた。ふと気づいたら、オフィスには自分一人で。

 かすかに冷たい風が吹いて、そっと後ろに振り返ると


「うっ……わっ」


 後ろの席に彼女が座っていた。

 生きているときと同じポニーテールで猫背でカタカタと小刻みにキーボードを打ちながら、モニターを見つめている。

 しかしその身体はぼんやりと霞がかっていて、ああ、これが幽霊なんだ……と疲労した頭で思う。

 どうしようか。何かしてくるわけでもないし、放っておいてもいい。いじっているのも、放置している彼女のパソコンだし、セキュリティ上に問題はない。いや幽霊にセキュリティも何もないか……。

「あ、青井さん」

 少し動揺しながらも声をかける。生前の彼女だったら勢いよく「はい!」と振り向いたが、特に動きもせずカタカタと指を動かしている。

「青井さん」

 冷えた風に乗って、蒸れたような汗と髪の匂いがする。ああ、そうだ。いつも残業している彼女からは、こんなこもった匂いがしていたっけ。

「……聞こえない、のかな」

 彼女は、変わらず返事をせず指を動かしている。何をしているのか気になって、そっと画面を覗くと、

「えっ……」

 そこには事細かに記載された、彼女の職務経歴書が表示されていた。

『わたし、転職するんです』

「えっ?」

 まるで雑談するような声で言いながら、彼女がUSBをだして、パソコンにさした。そしてうちのプログラムの最新ソースコードをコピーしていく。

「ちょ、ちょっと、青井さん。USBは禁止だし、第一ソースコードの持ち出しは……」

 と、そこまで言ってふと気づく。いや青井さんは幽霊だぞ。いくら持ち出されても、競合他社に渡せるわけじゃないし、どうにも……。

『天国も今、IT人材が足りないらしくて、結構就職するところあるみたいなんですよ』 パソコンに向かったまま、彼女が淡々と言う。そして職務経歴書や履歴書、そしてポートフォリオをUSBにいれていく。

『天国のパソコン、スペックが悪くて。なので、ちょっとお借りしようと』

 まだ私のPC残っていてよかったです、と言いながら、彼女がUSBを抜いた。

 そして椅子からゆっくり立ち上がる。

「青井さん、まだ仕事をするつもりなの? だって、あなたは……」

 仕事をしすぎて過労死したのに。

『ゆっくりしようと思ってたんですけど、一週間で飽きちゃったんです。だから再就職です。それに』

 さらりと黒髪をなでながら、彼女が振り向く。

『この会社に、一応復讐?っていうものもしたかったですしね』

「え?」

 一瞬見えた彼女の顔が、ゾッとするほど冷たく見えて、息を飲む。

 復讐、復讐ってなにを? まさか呪い、とか、取り憑く、とか……?

『じゃ、お疲れ様でした』

 固まった俺を置いて、彼女はふっと笑うとそのまま溶けるように消えた。

 ドクドクと鳴る心臓を押さえながら、椅子に座り込む。

 なんなんだ……天国に就職? かと思ったら、復讐って……。

 確かにちょっとは青井さんに仕事を押しつけたことはあったが、まさか死ぬとは思ってなかったし、それに自分で勝手に抱え込んでいただけだし……。

 ぴこん、と電子音がして、顔をあげる。

 つけたままの青井さんのPC。そこに新着メールが届いたらしい。

 近づくと、まるで見えない手が操作しているように。勝手にメールアプリを開き、新着メールをクリックした。

 差出人は、青井さつき。件名は、なし。本文には、リンクと添付ファイルのみ。

「あ」

 見えない手が、リンクを開き、添付ファイルをクリックする。

 おい、おい、まさか……

 先ほどの彼女の冷たい顔と、“復讐”という言葉が思い浮かぶ。そうだ、彼女は社内のセキュリティ担当もやっていたんだった……。

 クリックが押され、添付ファイルが開いた途端、すさまじい速度で大量のウィンドウが開いていく。慌ててLAN線を抜くが、抜いた途端社内WiFiに切り替えられて、あらゆる共有フォルダにアクセスされていくのがわかる。

「復讐って……」

 コンピュータウィルスで、社内の情報を全て破壊することだったのか……

 あっというまに青画面になったパソコンを見つめながら、俺は呆然と呟いたのだった。

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