第4話 お出かけするお嬢様

 透き通るような青い空。燦々と照りつける太陽。体を吹き抜ける心地よい風。

 隣に可愛い女の子を添えればどう見てもデートだ。

 昨日の雨はすっかり止んだようで、水溜まりに反射する陽射しに目を細めた。


 電車に揺られること3駅。俺と雲母は財布を探すために学校近くのファミレスへと向かっていた。

 隣を歩く雲母は緩いパーカーに裾が広がったパンツスタイル。足元にはスニーカーが覗いている。ストロベリーブロンドの髪もひとつに纏めている。あまりお嬢様らしさを感じられないのに、これはこれで似合っているのだから不思議だ。

 改めて見ると少し西洋人の血が混じっているおかげか顔立ちが整っており、学校でも見慣れない姿にドキリとしてしまう。

 どうにか気を紛らわそうと適当な話題を選ぶ。


「お嬢様でも電車に乗るんだな」

「普段はシャーリーが車を出してくれますわ。でも今日は弥太郎君とのお出かけですもの。せっかくなので弥太郎君と2人きりの時間をめいっぱい楽しみたくて送迎はお断りしましたのよ。あ、ご安心くださいまし。移動費は全て私が負担しますわ」

「いや、財布見つけたら返すから」


 お嬢様にとっては電車賃程度毛ほども痛くないかもしれないが、金の切れ目が縁の切れ目とも言う。

 雲母は時折おぞましい片鱗を見せるが、決して悪いやつじゃない。これからも普通に友達として過ごしたいならこれくらいのことはちゃんとしておきたい。

 雲母は何か言いたげだったが、ぐっと言葉を飲み込んでにこりと笑う。


「弥太郎君がそう言うなら、後でお返しいただきますわね」

「ああ。ありがとな」


 シャーリーの言葉が影響しているのか、雲母は俺の申し出を受け入れてくれた。

 小さなことではあるが、こうして自分の意見を尊重してもらえるのは嬉しいことだ。


 移動中に財布を落とした可能性も鑑みて、昨日歩いた道のりも注視しておく。

 その道中でふと歩行者と目が合う。だが、サラリーマン風の男は相手が俺であることに気付いたのか、そそくさと目を逸らして足早に立ち去る。

 神宮財閥の本社は隣町だし或いは……とも思ったが、淡い期待はすぐに打ち砕かれた。

 やはり隣町であっても俺のことを知る人間は少なくない。

 ふんふんと鼻歌を歌いながらご機嫌な様子の雲母は今のやり取りに気付いた様子もない。


「今更なんだが、本当に良かったのか?」

「ん? 何の話ですの?」


 雲母がどこまで知っているのかもわからない。俺は一応確認しておくことにした。


「隣町には神宮財閥の本社があるんだ。あの町の連中は勘当された俺への当たりが強い。俺と一緒に居るところを見られりゃ雲母にも変な噂が流れるかもしれない」

「ふふん、弥太郎君は心配性ですわね。噂なんて一息でピュー!ですわよ」


 雲母は軽快な足取りのままあっさりと答える。


「誰に後ろ指をさされても私は弥太郎君の隣に居ますわ。それとも弥太郎君は私の気持ちが嘘だとでも言いますの?」

「いや。雲母の下心は痛いほど知ってる」

「それはそれで複雑ですわね……」


 過去の行いを悔いているらしく、雲母はどんよりと肩を落とした。

 雲母が俺にただならぬ好意を持ってくれているのはこの半日で痛感した。

 俺にはそこまで好かれる理由もわからないままだが。


「ま! 最悪の場合は持てる力の全てで握り潰しますわ。目には目を権力には権力を、ですわよ!」

「それはやめとけ。大惨事になるぞ」


 三大企業の2つが面と向かって対立。想像しただけで恐ろしい。それも雲母の機嫌ひとつで実現すると思うと気が気じゃない。

 荒事が起こらないよう願いながら、俺たちは目的地へと足を進めた。



 それから会話を軽く弾ませていると、あっという間にファミレスへ到着した。


「ちょっと待っててくれ」

「わかりましたわ」


 雲母は素直に頷いて、ファミレスを取り囲む小さな塀に腰掛けた。

 ひらひらと手を振る雲母を尻目に1人でファミレスに入り、店員に事情を話す。

 シフト制のせいか、昨日見かけた店員は居なかった。

 財布を失くしたことを話すと、対応してくれた店員は微妙な顔をして一度裏へと下がった。きっと電話か何かで確認してくれているのだろう。もしくは俺を見て対応に困ったか。


 数分経って戻って来たが、財布の忘れ物はなかったらしい。

 ここじゃないとなると学校だろうか。よくよく考えれば昨日は親友の泉田与一がファミレスの飲食代を支払ってくれたおかげで、俺は取り出した財布をすぐに仕舞ったような気もする。

 俺は店員に感謝を述べてファミレスを後にした。


 ファミレスから出ると、先程まで雲母が座っていた場所にその姿はなかった。

 周囲を見渡しても雲母らしき人物の姿はない。遠目からでも目立つ外見だ。目に入ればすぐにわかると思ったが、どこにも姿が見えない。


 もしかして良からぬ事件に巻き込まれたんじゃないか。

 俺が連れ出してしまったせいで雲母に何かあっては雲母の両親にもシャーリーにも合わせる顔がない。

 恩返しどころか仇で返すようなことはごめんだ。

 何より、俺を助けてくれた心優しい雲母が傷つく姿を見たくはなかった。


 手当り次第に付近の店舗の中まで注意深く観察して、ようやくその姿を捉えた。

 雲母がいたのはファミレスから少し歩いた先にあるカフェだった。レジの前で佇んでいるのが窓ガラス越しに見える。

 やはり目に入ればすぐに雲母だとわかった。焦燥感が安堵へと変わり、ほっと胸を撫で下ろす。


 財布も持たずに店に入るのも気が引けたため、そのまま外で待つことにした。

 経過すること五分程。雲母は紙袋片手に店から出てきた。


「す、すみません! お待たせしてしまいましたわ」

「いや、それはいいんだが……心配するから勝手に居なくなるのはやめてくれ」

「や、弥太郎君が私の心配を?」

「するだろ。俺と一緒に居たんだし、そうでなくとも雲母の外見ともなれば誰かに連れ去られてもおかしくない」


 ナンパなら可愛いものだが、雲母のことを知る者であれば誘拐や拉致といった犯罪に巻き込まれる可能性もある。

 一先ずそれらが杞憂に終わってよかった。


「もう勝手に居なくならないでくれ。雲母に何かあったら俺は──」


 そこまで言って、俺は口を開けたまま固まった。

 雲母が口元を押さえて耳まで真っ赤にしていたからだ。

 なんだよ、そんなに恥ずかしがることもないだろ。俺はただ雲母が心配で雲母に何かあったら……


(俺は一体、何を言おうとしたんだ?)


 なんだかこっちまで恥ずかしくなってきて、俺は雲母から目を逸らした。


「な、なんだ。あれだ。恩人に何かあったら困るって話で……」

「そ、そうですわよね! で、でも大丈夫ですわ! いざとなればシャーリーへの緊急連絡手段もありますですわ!」

「また語尾がおかしくなってんぞ」


 無言で立ちつくす俺たち。雲母がおかしな反応をするせいで変な空気になってしまった。

 さっさと話題を変えてしまおう。


「と、ところで、何を買ってたんだ?」


 店から出てきた雲母は何やら紙袋を提げていた。

 雲母はハッとした様子で「そうですわ!」と紙袋をゴソゴソと漁る。


「こちら、弥太郎君に」

「これ、サンドイッチか」

「ですわ!」


 紙の包装に綺麗に包まれたサンドイッチが差し出された。貼られたシールには『たまご』と書かれている。

 どうやら雲母が惹かれたのはこれだったらしい。


「こちらのサンドイッチ、とっても美味しいですのよ。弥太郎君は殿方ですし、こうした軽食は食べたことがないかと思いまして」

「確かにこの辺はよく彷徨いているが縁がなかったな」


 差し出されたサンドイッチを見ていると、ぐうっとお腹が鳴った。咄嗟にお腹を押さえるが、雲母にくすくすと笑われる。


「今日は何も食べておられませんよね? せっかくですので公園にでも行きませんこと?」



 ファミレスのある通りから10分ほど歩くと、そこには小さな臨海公園がある。繁華街の外れにありあまり利用する子供も居ないせいか遊具も滑り台とブランコくらいしかない。

 しかし目の前に広がる海は絶景で、遠くに見える緑の島々と太陽の光を反射して煌めく水面が調和している。


「久々に来たな、ここ」

「大きくなると公園とは縁遠くなりますものね」


 雲母がベンチに腰をかけると、吹いた潮風でポニーテールが揺れる。何ともまあ絵になるものだ。


「ほら、弥太郎君。こっちですわ」


 ベンチをポンポンと叩く雲母に誘われ、俺も隣に腰を下ろす。

 心地よい風に目を細めていると、再びサンドイッチが差し出された。


「弥太郎君はたまごサンドがお好みでしたわね。今もお変わりはありませんこと?」

「ああ、そうだが……よく知っていたな」

「昔はよく顔を合わせておりましたから。弥太郎君の好みは覚えておりますわ」

「そうは言ってもな……」


 俺の父親に連れられて雲母と顔を合わせていたのはもう10年近い前の話だ。

 それから程なくして許嫁として紫乃を紹介され、学校の違う雲母と会うことはなくなっていた。

 高校でようやく同じ学校になったが、それでも許嫁のいる俺に雲母が近付くことはなく、こうして話すのも随分と久しくなる。


「私の気持ちはあの頃から変わっておりませんもの」


 雲母はとうの昔から俺のことを好きでいてくれたのか。雲母が俺を避けない理由が少しだけわかった気がした。

 だが、どうしてそこまで俺を好きでいてくれるのか。その質問をする前に雲母は「さて」と話を切る。


「冷めてしまう前に食べましょう。温かいものは温かい内に食べるのが一番ですわ」

「それもそうだな。じゃあ、早速……」


 包装を丁寧に剥がすと、焼いたパンの匂いがふわりと漂う。追いかけるように芳醇な卵の香りが鼻孔をくすぐった。

 空腹にこの匂いは犯罪的だ。そそられた食欲を満たすように俺は勢いよくたまごサンドに齧り付く。


「うまっ!」


 反射的に声が出た。たまに高校の購買でたまごサンドを購入するが、全く比較対象にならない。

 一口食べただけで卵の香りが鼻を突き抜けた。味付けはマヨネーズに塩コショウと至ってシンプルなのに、卵のとろみが舌にしっとりと絡みつき、サクッとした食感のパンと絶妙なバランスで広がっていく。


「お気に召していただけました?」

「ああ、今まで食べた中で一番美味い」

「それは嬉しいお言葉ですわね」


 俺が食べる様子を微笑ましそうに見ていた雲母もサンドイッチに小さくかぶりついた。

 こちらは所謂BLTサンドというもので、ベーコンとレタス、トマトとやはりシンプルな具材ではあるが、雲母は恍惚な表情でほっと息をつく。

 このたまごサンドを提供している店だ。雲母のサンドイッチも相当美味しいのだろう。


「弥太郎君もお一口いかが?」


 じっと見ていたことがバレたらしく、BLTサンドがこちらに向けられる。ベーコンの香ばしい匂いに空腹が刺激される。

 お腹が空いているとはいえ、人の食べているものをもらうのはあまりに卑しいような……。

 どうしたものかと躊躇っていると、突然たまごサンドを握っていた手を掴まれた。


「えいっ!」


 そのまま俺の手は雲母の方と引き寄せられ、次いでざくりと小気味よい音が聞こえた。


「これでおあいこですわね」


 小さく齧られたたまごサンド。雲母には敵わないと思わされる。俺の考えも雲母にはお見通しだったらしい。

 こうまでされては断る理由もない。


「じゃあ、遠慮なく」

「召し上がれ」


 控えめに差し出された手に顔を近づけると、雲母とグッと距離が縮まる。なんだかドキドキしてしまう。

 変に意識しないように勢いよくサンドイッチに噛み付いたせいでトマトの汁が顔にはねる。


「そんなに急がなくてもサンドイッチは逃げませんわよ」


 子供っぽい様子に雲母はくすくすと声を漏らす。

 増してしまった恥ずかしさを隠すように袖で頬を拭おうとすると、


「あら、いけませんわ」


 と止められる。

 雲母はポーチからポケットティッシュを取り出し、頬に飛んだトマトの汁を拭う。


「はい、もう大丈夫ですわよ」

「何から何まですまん……」


 こうも世話をされては親子のようだ。雲母の気配りとおおらかさがそう思わせる。


「弥太郎君は変わりませんわね」


 雲母も同じことを思ったのだろう。そんなことを呟く。


「昔から危なっかしくて見てられなくて。それなのに、どこか人の目を惹く魅力があって」

「それ、本当に俺の話か?」

「そうですわよ。私、ずっと弥太郎君のことばかり見ていましたもの」


 それは雲母だけだろう、という無粋な言葉は喉元に留めておいた。

 昔のことは覚えていないが、今はむしろ人に目を逸らされる生活だ。見られていたとしてもそれは好奇か哀れみか。どちらにせよ良い理由ではない。


「雲母はどうして俺のことを好きでいてくれるんだ?」


 チャンスだと思い、ずっと聞きそびれていた質問を口にする。


「あら、覚えておられませんの?」

「いや、何の話かさっぱりなんだが……」


 好きになるきっかけは覚えているかもしれないが、好かれるきっかけを覚えている人は少ないだろう。そもそも好かれたと自覚することすら難しいのに。

 俺が首を傾げて見せると、雲母はほんの一瞬だけ寂しげに目を伏せた気がした。


「弥太郎君が思い出すまでこの話はお預けですわ」


 かと思えば、べっと舌を出してサンドイッチにかぶりついてしまった。

 一体なんなんだ……思い出せと言われても難しい話だ。

 わからないことにいくら悩んでも答えは出ない。俺も諦めて食事を再開した。


 美味しい食事に舌鼓を打ち、会話に花を咲かせながらぼーっと海を眺める。

 暖かく過ごしやすい気温に満腹のお腹。眠気を誘うには充分な環境だ。

 くあっと欠伸を漏らすと、雲母がふふっと笑う。


「ご飯の後はお昼寝の時間かしら?」

「ああ、悪い。気持ちよくてつい……」


 雲母は膝の上に抱えていた紙袋をそっと隣に置き、ぽんぽんと膝を叩く。


「さ、どうぞ」

「い、いや流石にそれは」

「あら? 女子高生の太ももの弾力を堪能するチャンスですのに」

「え、遠慮しとく……」


 これ以上辱められると自尊心まで失ってしまいそうだ。

 ドギマギしている俺をからかうように雲母はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

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