第2話 下心に塗れたお嬢様
「少し落ち着きまして?」
「あ、ああ……」
雲母に用意してもらったホットココアをずずずっと啜る。
ミルクの割合が多いのか、これまでに飲んだものよりもまったりとした味わいだ。クリーミーな舌触りを追いかけるように甘さがほんのりと口に残る。
「……美味いな」
「お気に召していただけたようで光栄ですわ」
流石はお嬢様。ココアひとつ取ってもさぞお高いんだろう。恩を返すと息巻いていたが、果たしてこのココア代を返すにも何年かかるのやらと頭を抱える。
「まだどこか悪いんですの?」
「ああ、いや。何でもない」
不安げな視線を送る雲母へ軽く手を挙げて応える。
あれ程の痴態を晒した相手にも雲母の慈愛は等しく注がれる。ココアをもう一口いただくと、温かさと一緒に彼女の優しさも体に染みるようだった。
次第に落ち着きを取り戻したところで、俺は喉につかえていた質問を吐き出した。
「雲母、何故俺を助けてくれたんだ?」
俺は今や神宮家を勘当され、誰もが避けて通る家なき子だ。
俺が住んでいた場所から2つほど離れた町とはいえ、名家の令嬢である雲母がこの事実を知らないはずもない。
跡継ぎの資格を失った俺を助けたところで、神宮に恩を売ることもできやしない。
だからこそあの町の住人は俺を避けた。俺を助けるということは、神宮に喧嘩を売るに同義だからだ。
ただの親切心ではないことは俺にも容易に理解できる。一体何を企てているのやら……。
その本題へ移ろうと投げかけた質問だったが、雲母の答えは想像よりも遥かに単純なものだった。
「あら? 先程もお答えしたはずですわよ。淑女たるもの、困っている人を助けるのは当然のことですもの」
「いや、だから……俺を助けて何になるんだって話で」
「んむう? 仰っている意味がよくわかりませんわ。人助けに利害や下心が必要でして? 弥太郎君が困っていて、私は助けたいと思った。それだけの話ですわよ?」
雲母の言うことは間違いなく正しい。だが、俺の知りたいこととは異なる。
どう説明したものか。
「もしかして、お家を勘当された件を気にしていますの?」
「そう、それだ」
雲母があまりに素っ頓狂なことを言うものだからもしかして知らないのかと思ったが、彼女はようやく話の本筋を理解してくれたらしい。
「俺はもう神宮家の人間じゃないんだ。俺を助けたところで意味はない。わかってるのか?」
「ま! わかっていないのは弥太郎君の方ですわ!」
急に語気を強めて、雲母はムッと口を尖らせる。
「私が弥太郎君を利用するために助けたとお思いですの?」
「……違うのかよ」
「違いますわ! ぜんっぜん違いますわ!」
すごく怒っているようだが、口調と可愛らしい顔立ちのせいか全く怖くない。
それなのに雲母の声に気圧され、俺は何も言い返せずにいた。
それはきっと、彼女が目元に涙を浮かべて必死に何かを訴えようとしていたからだ。
「弥太郎君は何もわかってないですわ! 神宮の名前がそんなに大事なんですの? 名家の跡継ぎという肩書きがそんなに大事なんですの? 違いますわ!」
雲母の言葉は今の俺にぐさりと突き刺さった。
けれど、痛みはない。
俺の中にあった複雑な心に突き刺さったそれは、ゆっくりとその蟠りを溶かしていく。
「弥太郎君の許嫁さんもお父様もあの町の方々も酷いお方ですけれど、弥太郎君も弥太郎君ですわ。本当に神宮の名前に囚われているのは弥太郎君ではありませんこと?」
彼女の言う通りだ。
俺は、自分が神宮家を勘当された身だからと雲母の優しさに疑念を持ってしまった。
俺を助けたことには裏があるんじゃないか、神宮家の弥太郎という立場を利用しようとしたんじゃないかと疑ってしまった。
「神宮家と雲母家である以前に、私たちは人と人なんですのよ。生まれや育ちは違っても、1人の人間であることに違いはありませんのよ。人が人を助けるのに理由なんて必要ありませんの!」
「雲母……」
彼女はひたすらに純粋だ。
例えあの時倒れていたのが俺でなくとも、彼女ならきっと手を差し伸べて、こうして温かいココアを振舞っていたのだろう。
それは俺でも同じことか。
神宮家と縁を切られ、身分も肩書きも失った俺を彼女はただ純粋な気持ちで助けてくれたんだ。
気付けば俺の頬にはつうっと涙が流れていた。
「私はただ、ただの雲母深愛として弥太郎君の力になりたいと思っただけですわ! 人として、人を助けたいと思っただけですわ! あわよくば弥太郎君に好きになってもらえたらと思っただけですわ! 弥太郎君が神宮家の名に繋がりがなくても、私の気持ちに偽りはありませんわよ!」
「……うん?」
「……あら?」
雲母が涙がらに訴えた気持ち。その中に紛れた違和感に気づいた俺たちは同時に間の抜けた声を漏らす。
引っ込んだ涙。ぱちぱちと瞬きを繰り返して見つめ合う俺たち。
おかしいな。聞き間違いか?
「悪い、もう1回言ってくれないか?」
「私はただの雲母深愛として弥太郎君の力になりたいですわ?」
「うん、それで?」
「人として人を助けたいですわ?」
「うん、その後は?」
「あわよくばおマヌケさんな許嫁さんに代わって私が弥太郎君と結婚しようと思っただけですわ?」
「おい待て、悪化してるぞ」
「や、やってしまいましたわ!」
ガーン!と効果音まで聞こえてきそうな絶望的な表情を浮かべる雲母。絶望したいのはこちらの方だ。
散々良いこと言っておいて最後にとんでもない爆弾発言を投下され、俺の情緒は崩壊寸前だ。今なら幼児退行しても許される気がする。
「下心は無いとか散々語っといてこれかよ……」
「言ってないですわ〜、弥太郎君の聞き間違いですわ〜、私には下心しかありませんわ〜」
「それはそれでどうなんだ?」
そう冷静に返すと雲母はぐぬぬと口ごもる。
彼女の言葉に感銘を受けていたのが馬鹿らしくなる。心が絆されていたのも遠い昔の話のように思う。
それどころか身の危険を感じてきた。さっさと逃げた方がいいんじゃないか?
受けた恩も忘れかけたところで、わなわなと震える雲母はバンッ!と机を叩く。涙ぐんだ瞳をグッと近付けてきた。
「無し! 今のは無かったことにして!」
「もう無理だろ。キャラも壊れてんぞ」
「ですわ!」
ずっと気になっていたが、この口調って素じゃなかったんだな。何でキャラ付けしてんだよ。
と、俺の意識も全く別の方向へと飛んでいってしまった。
それでも雲母は必死に言い訳を続ける。
「ち、違うの! 弥太郎君が許嫁を寝盗られたって聞いてチャンスだとか思ってないの! 偶然弥太郎君を見つけて、今助けたら弥太郎君が私に惚れてくれるかも?とか思ってないの! 私のベッドに寝かせたら添い寝しても誤魔化せるかな?とかぜんっぜん思ってないの!」
「全部言ったな。もう何も隠せてないな」
「うわあぁぁん!」
言い訳どころか墓穴を掘り進み、とうとう膝を着いて項垂れる雲母。
どうやら許嫁も家も金も失った俺は、ただ純粋な下心に助けられてしまったらしい。
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