背中合わせ

み(もざ)

第1話 2人の皇子の間で

「生きよ、そなたが生きることこそ私が生きた証となるのだから」


父は無実の罪で、殺された。


私の将来の夫から。


許嫁だった私は父に同行して死ぬこともできず、やがてあの人のところから迎えがきた


「お前を妃にする」と。________


古人皇子ふるひとのみこ皇子宮みこのみやは、ルビー色に染まり返った。

皇子をはじめとする一族は皆それぞれ自刃して果てた。

砕け散った宝石のような彼らをよそに、茫然とそこに佇むものがひとり。彼女の名前は倭姫王やまとひめのおおきみ。古人皇子最愛の娘である。


父・古人皇子は、この国の大王おおきみ候補として名前の挙がる人物だった。しかしこの度、彼の異母弟・葛城皇子かつらぎのみこの起こした政変によって、その道は絶たれ、古人はその命すらも絶つこととなった。


そんな逆賊となってしまった古人の娘が、倭姫なのだ。


もちろん、彼女も一緒に、死のうとした。しかし、直刀を首に向けた途端、息も絶え絶えの古人がそれを奪ったのである。既に自分の首に刀を刺していたというのに。


「お前だけは生きよ...あの子はきっとお前を守るだろう。」


「嫌です!!!一緒に死なせてください!!!」


「だめだ、生きよ。...そなたが生きることこそ...私たちが生きた....証となるのだ、か...ら...」


そう言いながら、真っ直ぐに倭姫を見据えたまま、古人は息絶えた。


「父上...父上...!!!」


母は既に亡く、他の兄弟も、古人が死ぬ前に、古人がとっくに手にかけて死なせている。


命が尽きる間際にまで伝えようとしたことを無下にはできない。倭姫は、父の息絶えた隣で、ずっと動かずにしゃがんで、わなわなと震えていた。


一族の自刃は昼下がりだったが、来客が誰もないまま夜になってしまった。灯もつけていないのに妙に明るいと思ったら、今日は満月らしい。白い光が皇子宮に差し込んできている。


倭姫はずっと、ルビー色に染まった床を見つめていた。すると遠くから人の足音が近づいてくる。それは特徴的な摺り足で、ゆっくりとした歩様であるように聞こえた。


この足音は、彼女にとって聴き覚えがあった。


__________葛城皇子だ。


やがてその音は、倭姫の目の前でピッタリと止まった。松明の灯で照らされているのがなんとなくわかる。彼女は足元だけを見つめた。相変わらずこぢんまりとした気品のある足だなと思った。


「...ここでずっと待っていたのか?」


彼はまず最初に、そう語りかけた。


「死ねなくて、ずっとここにいました。」


「そうか。」


そう言うと、彼は松明の焔を揺らめかせながら倭姫の方へ手を差し伸べた。


「ここはもう燃やす。危ないから一緒に来なさい。」


倭姫は目の前に差し伸ばされた手を勢いよく振り払った。


「私を殺さないんですか。」


そう言って意地でも立ちあがろうとしない倭姫を手を、葛城は掴んだ。


「ああ。私はお前を妃にしなければならない。」


「なぜ?なぜ父上もあなたも私が死ぬのをお許しにならないの??その手を離してッ」


「嫌だ。離さない」


葛城は倭姫の手を掴んだまま、彼自身の方へと引き寄せて、彼女を立たせた。彼女の大きな瞳に、葛城の青白い顔が映る。


「ようやく私を見てくれたな。」


兄と同じ目をしている。葛城はそう思った。傍に倒れて冷たくなっている古人の方を見る。葛城は、心の中でしか祈ることができなかった。表情ひとつ変えない葛城をよそに、枯れたと思っていた倭姫の涙の河は、また流れ始めている。


「...逆賊の誹りを受けながら生きるより、父上のところへ行きたい...です...」


倭姫の瞳からは大粒の涙が溢れていた。大きな海でも作れそうなほど延々と涙が出てきた。その様子を、葛城は眺めることしかできない。かけるべき言葉も思い浮かばず、きっと、かの兄も娘にかけたであろう言葉のみが、静まり返った皇子宮に響いた。


「だめだ。生きよ...」



____________倭姫を先に皇子宮の外へ出した。もっと泣き喚くと思っていたら、案外すんなりと皇子宮を後にした。やはり彼女も、大王の血を引く者の宿命を背負い、それを理解しているようだった。葛城がそうであるように。


どう転んでも死ねないことが分かったのか、葛城というより古人の思いを汲んで生きるしかないと思ったのか、皇子宮に松明の火を放って外に出てきた葛城が見た倭姫は、不気味なほどに落ち着き払っていた。


「金剛石は、磨かなければ光らない。光ることも知らないまま、火の中に投じて、燃えていくだけ。それでは後に何も残らない。存在も、記憶も。」


ふと、倭姫は燃え盛る皇子宮を見ながら呟いた。


「では、その金剛石が存在したことを知る者が、これからも生き残り、記憶しておく必要があるな。」


えっ、と倭姫が言うと、葛城は倭姫を見据えた。


「今日は疲れただろう。とりあえず、私の宮へ帰ろう。」


まっすぐ見つめる目は、誠実さを帯びていた。分かっている、この兄弟が本当に反目しあっていた訳ではないことなんて。

最後まで憎たらしい相手でいてくれれば、こちらとしてはどれほど気が楽だったかと、倭姫は思う。しかし葛城は悪に徹することができるほど、冷酷な男ではなかった。


その結果が、今の状況だろう。


かくして、2人の皇子から死ぬことを許されなかった倭姫は、葛城の皇子宮へと住まうこととなった。葛城の、妃として。

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