第四告  拡散(その2)~柊 修二

 ある朝、その高校は異様な雰囲気に包まれていた。校庭の真ん中に大きく落書きがされていたためだ。ライン引きで書かれた文字は屋上から見えるほど大きく、それは片仮名で【シニコク】と読めた。

 教師や事務員のほか朝練の運動部の生徒が駆り出され、落書きを消すため砂を撒いたりレーキやスコップを手に奔走していた。そのあいだ、他の生徒たちはスマホを手に動画や写真を撮ってネットに拡散した。


 それを皮切りに、いくつかの学校で同様のいたずら騒ぎが起こる。校庭や校舎への落書きにはじまり、体育館に縄跳びの縄で作られた【シニコク】の文字、カレンダーや時刻表などの数字を使った【4259】までさまざまな方法でいたずらは広がっていった。


 騒ぎは樋ノ杜高校でも起きた。朝に全クラスの黒板に大きく【シニコク】と書かれていたのだ。それは3年1組の教室も同様だったが、皆が写真を撮る中で滝村涼香たきむらすずかは日直の石川義彦にそれを消すように指示した。

「消すわよ。文句ある人、いないわよね?」

 カーストトップの滝村涼香の言葉に逆らう人間はいなかった。彼女はその美貌に加え、成績優秀でバスケ部のキャプテン、そして地元の名士で県会議員の父を持つというプロフィールの持ち主だった。

 消されていくその数字を見ながら、滝村涼香は先月転校していった柊修二ひいらぎしゅうじのことを思い出していた。最後に彼が口にした言葉が【シニコク】だった。


 ……その日、滝村涼香は柊修二に呼び出された。放課後に空き教室で待っていた彼に明日で転校すると教えられ、よければ付き合ってくれないかと告白された。そのとき柊修二は何故か深々と頭を下げたままで、その顔は見えなかった。

 滝村涼香は柊修二に別のクラスの平凡でぱっとしない同級生という印象しか無かったため、自分とは釣り合わないと罵った。

「それ何の冗談なの? 記念告白? 気持ち悪いわね! 隠し撮りなんかしてたら許さないわよ!」

「それは君らが鎌田久留美かまたくるみにしたことだろう? 気持ち悪い? それは僕のセリフだよ」

 柊修二は顔を伏せたままそう言って、くくっと笑ったのだった。


 鎌田久留美は滝村涼香のグループのパシリだった。気弱な性格のせいでグズ美と呼ばれ、買い出しや掃除などをいつもやらされていた。しかし滝村涼香が仕掛けた嘘告がもとで、鎌田久留美は不登校になりその後転校していった。

「カーストとか家柄とか、そんな価値観でしかものを見れない君のほうがよっぽどいびつでおかしいと僕は思うんだけどね」

 柊修二の声には嘲りの色が含まれていた。それに滝村涼香は敏感に反応した。

「はあ? 何ですって! もう一度言って見なさ……な、何よそれ!」

 柊修二が顔を上げる。だがその表情は白い仮面で隠されて分からなかった。そこから覗く暗い目が滝村涼香を見ている。


 仮面の下で柊修二は言った。

「鎌田久留美は死んだよ。嘘告のせいで自殺したんだ」

「はっ?」

 柊修二が口にした自殺という言葉を、滝村涼香はそんなことは自分に関係ないと突っぱねた。

「だから何? 謝れってこと? 泣けばいいの? 嘘告なんてただの遊びじゃない! 真に受けるほうが悪いのよ。それにあなたがいま私にした事だって、嘘告と変わらないじゃない!」

「する人間がどんな気持ちなのか、一度知っておきたかったんだ。だけどこれは嘘告じゃない。【シニコク】だよ」

「しにこく? 何よそれ?」

「後で分かるよ。そのときにはもう遅いだろうけどね」

 そう言い捨てて柊修二は滝村涼香を残して教室を出ていった。ひとり残された滝村涼香は自分を不快にさせた柊修二の仮面の下の顔を思い出そうとしたが、頭に血が上ったせいかうまくできなかった。


 ……そしてこの先、二人が会うことはもうなかったのだ。

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