レンタル夜空

嵯峨嶋 掌

不満の日々

 このところ夜の空は、なにかとアクシデント続きだった。

 たとえば、デート中に二人で見上げた夜空には、ひとかけらのロマンティック効果もないのだ。あるいは、何年ごとの彗星を眺めようと見上げても、なにも見えない。なぜなら視覚に入る部分には、ぽっかりと空白(そう、文字通りの意味だ)ができていて、まるで巨大なジグソーパズルのひとコマがなくなったかのように、その部分だけのだ……。


「ったく……いいかげんにしろよなァ」


 朝からぶつくさ望遠レンズをきながら、タカはぶつくさぼやいていた。部室には誰もいない。けれど昨夜のことを思い出すたびに、辛言からごとまらない。

 写真部のタカは、年に二回開催される写真コンテストに応募するために、毎夜、とっておきのスポットに陣取って一眼レフカメラを三脚にえ付け、待ち構えていると、突然、夜空のぼよよんとかすみ、あたかもその部分だけぽっかりと穴があいたような、そこだけがすべての色彩を失ったかのような、本来あるべきものをどこかに置き忘れてきたかのように、一定時間、しまうのだ。


「あぁぁあ……やってられねえ」


「でも、今夜も行くんでしょ?」


 一人だとおもっていたら、振り向くと、メグが笑っていた。隣りには天体観測クラブがあって、壁ではなくカーテンで仕切られているだけだ。天体と写真は切ってもきれない関係にある……。


「……そんなに腹が立つなら、いっそのこと、レンタルしちゃえばいいじゃない?」


 意味ありげに言うメグは、それでもタカをからかっているふうにはみえない。それどころか天体観測クラブも、夜空の一部だけが空間がたわみ、その部分だけがモザイクがかかるので、観測どころではなくなる日も多かったのだ。

 誰かが“レンタル夜空”をしたのだろう……。レンタルしたしか、本物の夜空を見ることはできない。


「レンタル夜空料金、一秒で10万円だぞぉ……いったい、そんな金どこにあるんだ!」 


 1分間で60万円……、かりに、中高生、いや、大学も含め、写真や天体観測に関係する生徒、学生から寄付を募ったとしても、また、その親からもせしめたとしても、せいぜいほんの数分間レンタルできるのが関の山だろう。

 ……そんなことは、メグだって分かっている。


「今はやりのクラウドファンディングをやってみるとか……」


 メグはそう言ったものの、高校生にそれが可能かどうかは不明だ。保護者の名を借りたとしても、すでに“レンタル夜空”関連のクラウドファンディングは、それこそ雨後のたけのけのごとく登場して世間をにぎわせている。


「ふん、手っ取り早く強盗でも……やっか」


 冗談としてもタカがそんなことを口をするのは、よほど腹を立てている証拠だ。


「うーん、犯意の芽生えね……うふふ」

「なに? なんか、つっかかるなあ」

「ちがうよ、ちがう、ちがう、あたしらもね、かなり腹立ってるし」

「…………」

「でね、いろいろ、みんなと対策を考えてたら、貴クン、小さい頃、お父さんがお誕生日のプレゼントかなにかで、レンタル夜空したってこと聴いて……」

「ん……?」

「ね、レンタル夜空してもらって、どんな感じだったかなってさ、ふとおもったから」


 ぼそりとメグはいった。

 ぼそり。

 突っ込んで根掘り葉掘り聴きたいのだろうけど、そこはそれ、ちょっぴり控え目に、相手の虚栄心をくすぐるように、メグは声のトーンをおさえている。

 予想通り、タカは何も言わない、返して来ない。

 しかたなく、メグは、

「……ちょうどね、いま、交通遺児を励ますボランティアをやってて、その子たちにさ、レンタル夜空、してあげたいなあって……」

と、続けた。


 ぐさり。

 ……と、タカの胸に何かが刺さった。かれもまた、八歳の頃、母親を交通事故で亡くしている……。父が、レンタル夜空をプレゼントしてくれたのは、その年の八月だったはずである……。

 どうやらメグには、自分が関わっている市民ボランティアのグルーブにタカを誘う魂胆こんたんがあるらしかった。だから、さきほどから、“ぼそり・ぐさり作戦”でそのことをほのめかそうとしていたのだろう。


「さあ、そんな昔のこと、忘れちまったな」


 吐き捨てるように言うとタカは椅子を蹴らんばかりの大きな音を残して出ていった。それでも、メグはため息を吐かない。瞳をさらりと細め、なにやら考え込む表情になって、ぷいと横を向いたままの椅子を、ゆっくりと元に戻した……。

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